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第68話 別れ話
綺麗な花だなぁって見惚れていた。
「わたくしは、上条敦之の秘書をしております。少し、お時間よろしいですか?」
品があって、甘い香りがして、豪勢で。
まるで敦之さんみたいだって。
そしたら、声をかけられた。
「突然、失礼致しました。もしも、ご友人の結婚式でこの後、お時間がないようでしたら、こちらへ……」
俺はこの人を一度見かけたことがある。ホテルのレストランで、俺の上司が予約を間違えて受付のところで大騒ぎしていたんだ。その店は偶然、敦之さんがよく使うお店だったみたいで、席を譲ってもらった。その時、あの人の隣に彼がいた。
華奢で、横顔だけだったけどとても綺麗な男性だなぁって思ったんだ。
あの人の恋人だと勘違いしてしまうくらい。
「いえ、大丈夫です。わざわざ来てくださってことは、大事なことなんですよね?」
「……えぇ……それでは手短に済ませますので宜しいですか?」
「はい」
「では、場所を移動されるのでしょう? 車でそちらの会場までご案内します。……話ながら」
「……はい」
やっぱり近くで見ると本当にとても綺麗な人だった。でもその視線は鋭くて、多分、この人は俺のことを……。
「私は弟です。上条雪隆(かみじょうゆきたか)と申します」
「……はい」
「……驚かないんですね」
弟だと言うその人が運転して、俺は後部座席に座っていた。優しい運転をする人で、エンジン音一つしない車が滑るように街中を進んでいく。
「敦之さんから伺っていたました。それに顔が、似てたので」
「……そうですか」
この前は横顔だけだったからわからなかった。体格も全然違うし。でも、さっき正面で見たら、よく似ていた。そしてその家族が話があると言ってきたら、大概、決まってる。
「あの、別れろ、とか、そういうこと、ですか?」
「…………話が早くて助かります」
チラリと鏡越しに彼が俺を見て、そして、さっきも左に曲がって、今もまた左に曲がった。二次会の会場付近をぐるぐる回るつもりなんだろう。
「あの」
「率直に申し上げます。今、上条は出張でいないので、その間にお考えをまとめてください。別れが言いづらい等であれば、私の方でできる限りでお手伝いをします。お住まいの方へお邪魔しているようなので、引っ越し等がご希望であればそのように」
「あの」
「電話番号等は……拒否にしておいてくだされば、こちらからはかけないように兄に伝えます」
「あのっ」
「あとは接点としては」
「あの!」
少し大きな声で彼の言葉を遮ると、またチラリとこっちを伺った。仕草一つにしても、少し似ている気がする。そしてこの人は敦之さん以上にしなやかな仕草をしていた。
「……別れない、です」
「……」
「その身分違い、とかなんですよね。秘書がいるような人と、そこら辺にいるただのサラリーマンじゃ、分不相応だから別れてくれってことですよね。俺、そのくらいのことならわかってます。でも、俺」
「違いますよ」
「ぇ?」
この人は敦之さんよりも、視線が冷たいって思った。
「もちろん、それも思いますが……先ほど、話が早くて助かりますと私は言いましたが、別れて欲しい、ではなく、別れるなら早めにしてください、ということです」
「……え? あの、それ」
「どうせ、貴方はいつか兄を捨てるから」
「俺は! そんなこと!」
「仕事の話を兄は貴方にしましたか?」
「……いえ」
してもらったことはない。仕事がすごく忙しい人だっていうのは知っている。けれど詳しくその内容を聞いたことはない。
「言ってないんですか……まぁ、あの人は怖がりだから」
「敦之さんが?」
「えぇ」
でも、その仕事のことと、俺があの人を、捨、捨てること、なんて、関係ある? 身分違いだって、分不相応だって知ってるよ。そんなの俺にだってわかってる。それでもあの人が好きで。
「華道、上条」
「え?」
「あの人は次期当主です」
「……」
「三十になったと同時に現当主となられます。歴史ある華道の家元です。インターネットで調べばすぐに出てきますよ」
すごい仕事をしている人だろうと思っていた。俺みたいな平凡なサラリーマンにはなれないような、頭のいい人しかこなせないような、そういう職業の人だと思ってた。
「もう、ご理解いただけましたか?」
「ぇ……」
「兄は仕事のことは話してなかった。言えば、貴方が去ることは分かっていたから」
「俺はっ!」
「ご理解いただけたと思うのですが」
家元だから? 華道の、歴史ある、由緒正しき家の? でも、それと、俺と敦之さんの関係には。
「関係あるんですよ」
心の中を読まれてしまったのかと思った。
「恋人、ならば彼と繋がるのであれば、それは、上条家とも繋がるということ……とても有名な家なんです。そうだな……芸能人みたいな、そういうのとはまた違っていますが。今はまだそう露出はしてないですが、当主となれば、兄の生活はまた変わります。代表としての露出も増える」
「その時に、俺が、その男の、恋人っていうのが」
「いいえ」
気持ちが少し波立った。想像もしていなかった敦之さんの仕事に、気持ちがざわめいたんだ。その小さな揺れで起きた波立つ水面に、大きな石を投げ込むように、彼の声が、ピシャリと、言葉を遮った。
「恋人が男でも、構いませんよ。花を生けるという生業に、そのようなことは関係ないです。美しい花を生けることに恋人の性別などどうでもいい」
「ならっ」
「あなたの生活に関係があるんです」
「……俺の」
「貴方の生活が変わります」
水面が彼の言葉に、パシャン! と、水飛沫をあげる。
「あの人の恋人、ということが貴方の生活の中に入り込む。もちろん、貴方がメディアに顔を出すことはないでしょう。ご自身が望まない限りは」
「そ、そんなの望まないですっ」
「目立つのはお嫌い?」
「そりゃっ」
「けれど、貴方が華道の家元の恋人だというのは、周知のこととなります。結婚だ、世継ぎだと騒がれますから。その時に誠意ある返答をすれば確実に男性の恋人がいるということが知られる」
「……」
「貴方が恋人だということが、です」
そこから先はご想像ください、と、敦之さんに似ている目元が、冷ややかにこっちを見た。
「…………ぁ」
「職場の皆様はご存知ですか?」
「……ぇ」
「貴方がゲイだということを」
バシャン! って。
「ご家族は?」
バシャバシャって、石がたくさん。
「貴方の生活が一変します」
水の中に落とされた。うるさい水音を立てて。
「隠しておられたのでしょう? けれど、そうもいかなくなります。どこかで知られる。そのことに貴方は耐えられなくて」
周りをびしょ濡れにして。
「別れ、」
「俺はっ!」
たくさん投げ込まれた石のせいで、水が溢れそうになる。
「俺は……」
「数日あります」
「……」
「ゆっくり、今の生活の中でお考えになられた方がいい。今の生活の中に、上条敦之の存在が入るということを。男の恋人がいるといつか知られるということを」
「……」
「兄が帰ってくる日はご存知でしょう? 迎えてあげるのなら、ご覚悟を。別れるのなら、その時に。今回は、本気のようなので、傷は浅いうちにしていただけると、私どもも助かります」
「……」
「到着しました」
あまりに丁寧で優雅な運転だったから、車の中だったことも忘れていた。今、結婚式の二次会のことも忘れていた。
「どうぞ」
差し出されたのは、彼の連絡先だった。
「何か、お手伝いできることがあれば何なりと」
その目は、俺を嫌っていた。
「……」
冷たい目をしているんじゃない。敦之さんよりも視線が冷たいわけじゃない。
敦之さんを、自分の兄を傷つけるだろう、捨てるだろう男を嫌っている、そんな目を、彼はしていた。
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