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73 誘惑の仕方

「拓馬……」  シャワーを浴びて、敦之さんから自分と同じボディソープの香りがした。まだ芯まで乾かしていない髪はしっとりと指に心地良い瑞々しさで、整えられていない無造作な髪の流れにドキドキする。上半身裸のままな貴方に胸がときめく。綺麗な敦之さんの、油断した感じとか、それから、普段は見られないスーツで隠れる裸とかが……すごく、好きで。  本当にこんな人を独り占めしてるって実感できてる。 「よかった」 「? 敦之さん?」  どうしたのだろう。急に、俺の顔を見て、微笑んだかと思ったら、額に、頬に、そっと優しいキスをして。首筋にキスマークを一つくっつけてくれた。 「君とはもう……終わりかもしれないと、つい数時間前には思っていたから」 「……」 「出張先で雪隆が拓馬に接触してきたと分かった時、気が気じゃなかったよ。拓馬からのメッセージが少しぎこちないと気がついたら、もう」 「そんなにぎこちなかったですか」 「あぁ、慌てて帰りたくなるくらいには」  言葉は繊細だ。  敦之さんのくれるメッセージはいつも優しさが滲んでた。言葉使いとか、言い回しとか、あと、なんだろう。とにかく、ふわりと抱き締められてる時みたいに心地良いんだ。 「華道家だと知って、ショックだった? ずっと、君に言えずにいた」 「……敦之さんが仕事の話題を避けてるのは、わかってたから」  きっと言いたくないんだろうって思ってた。 「仕事も、あの、自宅も、知らないけど」 「ごめん……」 「いいんです。謝らせたいんじゃなくて、知らないけど、でも、それを知らなくても、本当に好きだから」  貴方を呼ぶ名前を知ってればいいって思ったんだ。住んでる場所も、素性も、何も知らなくても。恋に落ちるでしょ? シンデレラに恋をした王子だって、彼女のこと、名前しか知らなかった。あとは、靴の落とし物だけ。 「拓馬」 「ン……っ、頭がいっぱいいっぱいだったんです。俺、そんなに賢くないから」 「そんなこと」 「あの時、その、雪隆さんとお会いした翌日、会社の同僚に、こ、告白、されて、それで、いっぺんに予想外なことが続いたから」 「え……ええええええ?」 「!」  びっくりした。さっき、昼も抜いてるって話した時の怒った敦之さんにもびっくりしたけど、びっくりした敦之さんにも……びっくりした。そんな大きな声、出すんだなって。 「あ、あの」 「ちょ、そんなの聞いて」 「あの」 「同僚って、まさか、あの」 「あ、はい。ずいぶん前ですけど、あの時、その、敦之さんに好きだって言ってもらえた、あの時に、見かけた……かと」  そんな目を丸くしたりするんだなぁって。いつも優雅に微笑むとか、涼しげな感じとか、本当にかっこいい人だから。慌てたり、信じられないって口を開けてぽかんとしたり。 「…………」  そんな少し心配そうに顔を歪めたり、とか。 「…………」 「あの、でも、断りました、よ?」 「そういう問題じゃ」 「でも、俺、敦之さんが好きです。すごく、好きなんです」  甘えるように、擦り寄って、受け止めてくれると信じて、その胸に寄りかかった。 「君は……」 「?」 「最初から、可愛かったけど……拓馬? どうかした? 笑って」 「あ、いえ……」  そんなわけないっていつも思ってた。お世辞でも嬉しいって、そう。 「それ、言ってもらえるの、すごく嬉しいんです。お世辞でも嬉しくて」 「お世辞なわけないだろ」  こういうの言われ慣れてる人なら、上手に答えられるんだろうな。スマートにさ。けど、俺はそんなの上手なわけがなくて。 「あ、りが、と、ございます」  そうつっかえつっかえ返事をするのが精一杯。そして、照れ臭くて俯いた俺を丸ごと、その裸の胸で抱きしめてくれる。 「可愛いかったよ。ずっと。でも、それも考えものだな」  貴方に可愛いと言ってもらえると、嬉しくて、たまらなくて、ボディミストを買ってみたり、抱き心地が少しでも良くならないかなって、触り心地が貴方の好みにならないかなって、肌の手入れをしてみたり。 「今までは見る目のない相手ばかりで助かってたが、そうもいかなくなってきた」  貴方を少しでも振り向かせたくてしたんだ。貴方を独り占めしたくて。だからそんな貴方にそんなことを言われたらさ。 「あの、俺、そんな可愛いなんて誰にも言われたこと、ないけど、でも、あの、心配、なら」  引き寄せて、そっとキスをした。甘えるように、できるだけ、貴方が俺みたいな普通の男でも可愛いと思ってくれるように、首を傾げて、舌先で優しく貴方の唇を濡らした。 「もう、秋、なので」  この人を独り占めしたい。自分だけの人に、したい。 「キスマーク、たくさん付けて」  ずっとずっとそれを願っていた。 「ンっ……ン」  声、恥ずかしいくらいに蕩けてる。 「拓馬?」  だから、一生懸命に枕を抱えて声を閉じ込めてた。 「それじゃ、顔が見えない」 「あっ……」  だから、一生懸命、顔を隠してた。なのに、枕を奪われてしまって、咄嗟に手で隠そうとしたら、その手もベッドに縫い付けるように手で押さえられてしまった。 「っ、なんか、今日は……」 「心配?」 「その、準備してないっていうのも、あると……思うんですけど、そ、れだけじゃなくて」  じっと見つめられて、視線のやり場に困ってしまう。真っ赤で、きっとヘンテコな顔をしてるだろうから。 「本当に、敦之さんのこと」  隠されてることがひとつもなくなってしまったら、貴方のことを全部知ってしまったら、怖いくらいに膨らんでしまう。  好きすぎて、困るって言ったら、この人は笑うかな。 「…………やっぱり考えものだな」 「? あっ!」  いくつめかわからない敦之さんの唇の痕が肌にひとつまた残った。 「そんな可愛い顔をして」 「あっ」  きっと、絶対に変な顔してる。 「拓馬」 「あ、ンっ」  今日は、おかしいんだ。キスだけでイッてしまいそうになる。触れらただけで、身体の奥がズクズクと熱っぽくなってく。 「じゃ、じゃあ、あの」 「?」  こういうのをねだるのははしたない、かな。いつもそうだけど、こういうことを言うタイミングも、言い方も、俺は上手じゃないけれど。 「敦之さんのものって、なるように」 「?」 「その」  今日は、なんか、おかしいから。 「ゴム、しないで、は、ダメですか?」 「……」  だから、真っ赤でヘンテコな顔をしてるだろうけれど、誘惑の仕方も下手くそだけれど、欲しいものをねだった。 「このまま、したら……ダメですか?」  貴方を独り占めできるのなら、俺も貴方だけのものになりたい。  そう願いながら引き寄せて、深く、深く、キスをした。

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