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第80話 夢中

 ―― あの誕生日、って、いつなんですか?  そう、尋ねたんだ。もしかしたら誤魔化されてしまうかもと思いながら、ただの「友人」にいちいち誕生日まで教えてなどくれないかもしれないと緊張しながら尋ねた。  ―― 夏が終わった後、十月の二十五日。  そう答えてくれた。  俺は内心、夏が終わった後、っていう言葉に胸を締め付けられた。その頃、この夏が終わった頃、まだこの関係は終わってないだろうかと。まだ続いているだろうかと。そう思ったから。 「いきますよー」 「あぁ」  部屋の明かりを消して、カウントダウンをした。貴方の誕生日の。  貴方は目を瞑っていた。  星空は明かりがあると見えなくなってしまうから。  球体のグランピングテントは、まるで外にいるかのように星空が広がっている。ぼんやりと温かみのあるオレンジ色の明かりが部屋の中を照らしてる。その明かりを俺が消して、星空を見てしまわないように気をつけながら、注意深く足元だけを見つめて貴方の隣に座った。  明かりは貴方の誕生日に切り替わるを知らせるスマホの画面の明かりだけ。 「さん……」  甘い香りがしてたっけ。  貴方の誕生日を教えてもらった時、甘い甘いクチナシの香りがしていた。  誕生日をお祝いできたらいいなぁって思ったんだ。でも、それと同時に、十月なんて、十月の二十五日なんて、遥か遠く、ものすごく先の未来だと思った。  その時、俺は、敦之さんの「お気に入り」の一人でいられるのかな、なんて、頭の隅っこで考えていた。十月も終わる頃はもう寒いかな。その頃でも、まだ貴方の「友人」のリストの中に入られるのかなって。 「にぃ……」  遠い遠い、未来のことすぎて。  想像できなくて願うばかりだった。  遠い先のことすぎて、手が届くかどうかちっともわからなかった。  今、その手はちゃんと届いたんだ。 「いーち」  こんな二人を想像できなかった。  こうして、明かりを全て消した途端に現れる満天の星空に感嘆の声をあげる俺と敦之さんを。 「お誕生日、おめでとうございます」 「……ありがとう」  二人で祝えることを、願うばかりだった。 「すごいな。満天の星空だ」 「本当。すごいですね」  見上げれば、思わず手を伸ばしたくなるほど、数えきれない星が瞬いている。 「これで、三十だ」 「はい」 「君に、おじさんだと捨てられないようにしないと」  クスッと笑って、覗き込むようにキスをくれた。俺が嬉しくて俯いていたから、貴方はそうしないと俺にキスができなくて。 「そんなのありえないのに」 「そう? そうだといいな」 「ん……」  胸がいっぱいになる。 「拓馬」 「あっ……ふ、っ」  唇をキスで濡らされて、吐息が溢れた。  そして、服の中に潜り込んできた手にピクンと身体が反応する。 「敦之さん」 「?」 「このペンギンの……」 「あぁ、またお揃いだ」  クスクスと小さな笑い声が耳元で聞こえるのがくすぐったい。  夕食を食べ終わって、シャワーを浴びて、そしたら二人して同じTシャツを持参していたから。空を飛ぶペンギンのTシャツ。別にそうしようなんて話してたわけじゃない。でも、俺にとっては記念なんだ。生まれて初めてのデート記念。 「初デートの時、俺」  水族館のデートの終わりに、笑いながら、俺は冗談混じりになるようにと気をつけてこれを選んだ。あとで、面白かったなと笑いのネタになればいい。こんな子がいたんだとほんの少しでも記憶に残ればいい。だから、貴方は決して選ばないようなものを選んだ。 「これ、着てくれた時、すごく嬉しかったんです」 「……」 「あの時はまだ、恋人になれるなんて思ってもいなかったから。笑いのネタくらいにでもなれたらいいなぁって」  初デート、嬉しくて嬉しくてたまらなかったけれど、でも切なかった。せめて、少しでも覚えていてもらえたらと、儚いことを思いながら、でも知られてしまわないように冗談でそんなのは掻き消して渡したんだ。 「まさか着てくれるなんて思ってなかった」 「そう? はしゃいでたんだ」  思い出したのか敦之さんは少し照れ臭そうに笑ってる。 「君とデートできて、かなりはしゃいでたから」  思わず、ぎゅっと彼のTシャツにしがみついた。  その俺の腕の中で背中を丸めた彼にTシャツを捲り上げられ、胸にキスをされると溜め息が唇から零れ落ちた。甘い甘い溜め息が、額をくっつけて、すぐそこにある敦之さんの唇に触れて、そのまま俺からもキスをした。舌先を絡めて、それから離れた唇が笑みを溢す。 「今日も、はしゃいでる」  しがみつく俺を抱き抱えるようにベッドに寝かせて、解けた手を取って、この手の甲にキスをくれた。 「拓馬に誕生日を祝ってもらえるって、大はしゃぎだ」 「……ぁ」 「今までで一番の誕生日だよ」 「あっ」  覆い被さる敦之さんの重みを受け止めながら、捧げるように、微笑む彼に腕を絡めて深く、舌先が絡まり合うキスをした。  その肩から降り注ぐような星空が見えて、とても綺麗で――。 「敦之さん?」 「……君の瞳の中に星が見える」 「……」  そっとこめかみに触れる指先が熱い。 「拓馬、ここ、笑うところだったんだけどな」  頬も熱かった。 「キザすぎる?」 「あぁ」  ―― ここ、笑うところだったんだけどな。キザすぎるって。 「笑いません」  あの時、敦之さんが優しいのが少し嫌いだったっけ。俺にだけ優しくしてくれたらいいのにって。俺だけがこの優しさを独り占めできたらいいのにって。 「敦之さんに、俺……」  俺だけが、敦之さんを独り占めできたらいいのに。 「夢中なんです」  そう願ってやまない夏があった。

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