84 / 134
第83話 最後の人
「なんか、ハロウィンが終わるとソッコークリスマスっすよね」
「そうだね」
「はぁ、なんか、俺みたいなのが同行でよかったんすか?」
「もちろん」
立花君は俺の返事に口をへの字にして、少しバツが悪そうに作業服の上着のポケットに両手を突っ込んだ。
駅前の繁華街を作業服でいることに少し気が引けるのかもしれない。周りはスーツ姿のサラリーマンに、制服姿の学生、それからお酒落をした同年代くらいの男女ばかりで、作業服姿の人はざっと見た限りでは彼一人だから。
商談の帰り道なんだ。訪れた先は、繁華街の中にあるオフィスだったから。
俺が提案した。
小さな会社なのだから、全員で仕事を獲得していけたらどうだろうと。営業を進めていく中で製造部も同行しての打ち合わせをその場その場で必要性に合わせてやっていけたら、もらった案件を一度会社に持ち帰って……っていう、時間のロスがなくなるんじゃないかなって思ったんだ。
意見を通すのはそう難しくない。何せ、とても有名な華道家が親戚にいるわけだから。社長の中で、俺の株は急上昇。会議に出る機会も増えた。営業部長は相変わらずだけれど、無理な残業も無くなったし、八つ当たりをされることもなくなった。変に他部署の手伝いに行かされることも無くなった。でもそれは、多分、立花君が気を遣ってくれているんだと思う。そう本人が言ったわけじゃないけれど、多分。
「……恋人さんとは、上手く、いってんすか?」
「ぁ……うん」
「そっか……俺、今、彼女、できそうなんす」
「そうなんだ」
「この前、飲み会で知り合ったんすけど」
「そっか」
彼女、できるんだ。よかった。
「もしも」
「?」
「もしも、あの時、小野池さんが俺を選んでくれてたら」
「……」
「あは、ちょっと思っただけなんで。どうだったんだろうなーって。その後、飲み会で彼女に出会って、どうしてたかなーって」
どうしてただろう。
どうなっていただろう。
俺があの時、君を選んでいたら。君の手を取っていたら。
「なんちゃって」
立花君はポケットに突っ込んでいた手を出して、そのポケットに入っていたスマホを出すと、画面をチラリと見た。
「んで、この後、その子と待ち合わせなんで。あの、直帰でいいんすよね」
「あ、うん」
「小野池さんもこれからデートっしょ?」
「うん……」
「そんじゃあ、俺はここで、電車の路線違うんすよ」
「うん」
立花君はニコッと笑ってスマホをポケットにしまって、その手をそのままポケットに突っ込んで、駆け出した。
「お疲れしたー」
どうなっていただろう。それはわからないけれど。
「……お疲れ様」
でも一つだけ。
「……もしもし?」
『お疲れ様。仕事、もう終わった?』
「はい。今」
『そう』
立花君を選んでも、それはそれで幸せになったのかもしれない。でも。
『じゃあ、そこの駅で待っていて』
「大丈夫です」
花を見る度に胸が締め付けられて苦しくなっていただろう。
立花君と仕事を終えて一緒に帰って、小さなアパートでのんびりテレビでも観て、一緒に夕飯を済ませて、夜を過ごす。そんな穏やかな毎日だったかもしれない。彼はその後、女の子ではなく、ずっと俺を好きでいてくれたかもしれない。もしかしたら、途中で、やっぱり、と女の子を好きになるかもしれない。わからないけれど、でも。
『拓馬?』
「敦之さんのおうちの鍵、持ってますから」
どんな未来でも、敦之さんの手を離してしまっていたら。
「なので、行きますね」
『……あぁ、そしたら、うちの近くの駅で待ってるよ』
「えぇ? いいですよ。講演会が終わって疲れてるのに」
『だからだよ』
甘やかな花の香りがする度に、色鮮やかな花びらを見る度に、貴方ことばかり思い出して切なくなっていただろう。
『少しでも早く君に会いたいんだ』
「……」
『ここ、笑うところだったんだけどな』
「キザ、だからですか? 無理ですよ」
俺の初めての人だから。
「とっても嬉しいですもん」
そして、この人の手を俺は掴んで離さなかったから。
「大好きな人にそんなこと言われたら、すごく嬉しいものなんです」
俺の最後の人になったんだ。
「えー、それでは、まず……コホン」
顔が真っ赤だ。
「本日、講師を務めさせていただきます」
すごいな。ほとんど女性で、そのほとんどの女性が敦之さんを目をハート型にして見つめてる。
「上条敦之です」
静かにしてるけれど、黄色い悲鳴が聞こえてきそうな熱視線。でもそれはきっと日常茶飯事なんだと思う。敦之さんが当主になってから、すごく忙しそうに講演会で引っ張りだこだから。雪隆さんが悪い顔をして笑いながら俺を連れ回すんだと、この前溜め息を溢していた。
美しい、花のような現当主に皆メロメロなんだ。
「それでは、まず……」
さっきもそれ言いましたよ。敦之さん。
「生花とは……から、説明をさせていただきます」
はい。聞きます。
「えー……コホン」
また咳払い? 風邪ですか? 昨日、一緒に眠った時はそんな様子なかったのに。
「そんなに堅苦しく、考えず」
でも顔が真っ赤だし。
なんちゃって。
今日、敦之さんは講演会の自分を見せてくれないんだ。内緒にされてしまう。隠してるとかじゃなくて、ただ、恥ずかしいんだって。照れ臭いからと言われたけれど。
でも、俺は貴方のパートナーになるんでしょう?
それなら生花というものを少しでも学んでおかないとって思うんだ。雪隆さんに頼めばイチコロだ。彼は上条家の花に誇りを持っているから。学びたいって言えば、こうして席を設けてくれる。その辺は最近腕を上げた……と思う。営業トークの技で雪隆さんに頼めばいい。
そして、内緒で潜り込んだ講演会。その中で俺を見つけた敦之さんはそこから調子が狂いまくり。咳払いをしつつ、赤くなりつつ、いつもはすらすらと話すはずが、つっかえてしまう。
けれど俺は、澄まし顔でちょこんと席に座って、ちょっと、普段は見られない敦之さんの仕事ぶりと、滅多に見ることのできない戸惑う敦之さんを鑑賞してる。
「好きな花を愛でたいという気持ちで」
あ、目が合った。
「大事にしたいと思いながら」
これは、ちょっと。
「丁寧に優しく」
反撃されてしまった。そんな笑顔をこっちにだけ向けないでください。
「触れてあげてください」
もう……ホント。ずるいなぁ。
なかなかの出来栄え、でしょう? 俺が生けた花。
「どう? 敦之さん」
講演会のあとは食事会があるんだって。
「お疲れ様でした」
でも雪隆さんが気を遣ってくれた。当主はいなくても大丈夫だと。
「俺の先生」
「びっくりした。今日まさかいるなんて。どうりで雪隆が楽しそうにしていたわけだ」
「俺が頼んだんです」
「生花教室?」
「はい。貴方のパートナーとして学びたいって」
「……」
触れた手をリボンを結ぶように繋いで、家路を急ごう。
「あとで部屋に飾ってもいい?」
「もちろん。綺麗な薔薇だ。淡い色で」
二人の家に着いたら、結んだ手を解いて開いて、ただいまって二人でキスをしよう。
「君によく似合う」
そう? でも、この花は。
「拓馬」
貴方を想って活けたんだ。大事にしたいと思いながら、優しく丁寧に。そう俺の先生に教わったから。愛しい人を想って活けたんだ。
ともだちにシェアしよう!