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新居編 1 炬燵と蜜柑
今、 俺には恋人がいる。
人生初の恋人。
そんなの出来っこないって思っていた。つい半年前くらいまでは。
だから、半年くらい前までは想像もしていなかった。自分に恋人ができて、こんなに暖かくて幸せで、柔らかい気持ちになれる冬を過ごせるなんて、ホント、これっぽっちも――。
しかも、その人生初の恋人は王子様のようで、いや、 「ようで」 じゃなくて本物の王子様だ。 恋人の部屋を訪れる時には必ず花束を持ってきてくれるような、 紳士で、 もちろん真撃で、 優しくて、 ホント、本物の王子様。
「すごいな。本当に暖かい」
「それはよかったです」
本当に王子様だから、 炬燵…………っていうものを体験したことがないんだって。友人、知人のうちにもなくて、一度でいいから座ってみたかったんだって。
嘘みたいだけど。
嘘じゃないから、びっくりする。
「俺の部屋にも置こうかな」
「え? 敦之さんの部屋にですか? なんか」
変じゃない?
あのモデルルームのような部屋の端から端まで計算しつくされたような部屋に?
炬燵を?
ぽん…………って、置くの?
「とても気に入ったんだ」
「……はぁ」
「友人に頼んでみようかな」
「はぁ」
「でも、どうかな。たしか今、イタリアって言ってたから」
「はい?」
イタリア?
パスタの?
そこにいるの?
友人が?
なんの?
でも、敦之さんの友人なら海外暮らしもあり得るんだろうなぁって思うけれど。当主になりますって決まった時のパーティーでだってすごい有名人とか、実業家? みたいな、俺にしてみたら全くの異次元住人が集まっていたし。俺が観たことのある映画の監督もいたし、モデルも女優さんもいた。けれど、そんなモデルや女優さんがいくら彼に微笑んでも、彼は。
――拓馬、こっちへおいで。これがとても美味しい。
俺のことばっかりで。
人生で初めてだよ。優越感、っていうのかな。あんなの。敦之さんが無邪気に笑って俺のことばかり構ってくれた。
「この前のパーティーの時には来れなかったから、今も忙しくイタリアで仕事に没頭しているんだろうな」
「ご友人ですか?」
「あぁ、高校の時の同級生なんだ」
「……高校」
敦之さんの弟さんで、雪隆さんの……恋人もたしか同じ高校で。雪隆さんもそこの高校って言ってた。有名な華道家に、敏腕弁護士。全員炬燵未経験。
「今は建築とインテリアのデザイナーをしてる」
「デ……」
デザイナー……俺の人生でこの単語を何回くらい使うんだろう。弁護士も華道家も、デザイナーも俺の半年前までの人生では縁遠い単語ばかり。っていうか、その友人に何を頼むんだろ。
「俺の部屋のトータルデザインを手がけたデザイナーで、建築系の人間なら誰でも知っている……らしいよ」
「ぇ、えぇえ?」
「ただ、俺は建築関係は疎いから、全く……なんだけれど」
そう言って王子様が肩をすくめた。そんなすごい世界的なデザイナーに炬燵を調達させようだなんて、本当に本物の王子様の考えることは。
「あ! そうだ! 蜜柑!」
「へ?」
「蜜柑、食べるだろう? 炬燵に入ったら。そう聞いてる」
「…………っぷ」
「拓馬?」
王子様がはしゃいでる。
すごくすごく、すごーくかっこいい人なんだ。ただ街を歩いてるだけで女性が振り返ってしまうくらいにかっこいい人。
「ユウさん」と間違われて俺が声をかけられた時だって、なんて綺麗な人なんだろうって思ったんだ。そんな人に声をかけられてびっくりしたくらい。仕立てのいいスーツに整った端正な顔立ち。そんな人がくたびれたサラリーマンの俺なんかにどうして声を、って思ったくらい。
そんな人が炬燵にはしゃいでる。
「いえ、そうです。蜜柑、よく食べますよ。けど、俺、そんなの買ってきてなくて」
「大丈夫。今日、食べようと思って買ってきたんだ」
「……っぷ、あははは」
「拓馬?」
「いえ、大事にいただきます」
変なの。
すごく変なの。
俺の恋人は王子様だから。炬燵にはしゃいで、大喜びで、蜜柑を意気揚々と出してくる。木箱に入った蜜柑を。少しどころじゃない、ものすごく勿体無いんだ。
この部屋にこの木箱に入った蜜柑も。
こんな俺に、王子様のような貴方も。
「甘ーい、すごく美味しいです」
「よかった」
「?」
「拓馬が気に入ってくれて」
すごくすごく勿体無いけれど。
貴方は俺がいいって言ってくれる。
「すごく甘くて美味しいです」
「そう? そっちの方が甘いのかな」
「あ、食べ比べしますか? はい、どー、……」
俺も、どんなに分不相応だって言われても貴方がいい。
「……本当だ。甘くて美味しい」
「も、もぉ! 食べるなら、こっちのを食べて確かめてください」
「拓馬が一番甘くて美味しい」
「も……」
悪戯。
蜜柑を差し出した俺の手を掴んで引き寄せて、キスをする。
笑われちゃうよ。こんな俺を大事にさ、宝物みたいに扱ったりして。嬉しそうにキスなんてしたりして。今日だってやっぱりお花を持ってきてくれて、小さな小さな部屋の中が花で溢れてしまいそうなくらい。
女優さんよりも、モデルさんよりも、俺なんかを嬉しそうに引き寄せて、あれもこれもって食べさせてくれる甘ったるいほどに優しいこんな人。
「何、言ってるんですか」
そんな人とするキスは木箱に入った蜜柑よりも何よりも美味しいから、俺はいくらでも独り占めして食べていたくなっちゃうんだ。
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