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新居編 2 背伸びもできるくたびれたこの革靴で

 流石にさ、俺がホームセンターで買った小さな炬燵でもあんなに嬉しそうにされたらね。  夏は出なかったけど、冬は出るらしいから、炬燵、いいなぁって。 「えぇ? 五万? そんなするっけ」  敦之さんに俺からプレゼント。クリスマスだから、ちょうどいいかなぁなんて思って。  いつも貰うばかりだから、何かお返ししたいんだけど、基本、あの人が持っているものってどれ一つとっても、たとえばネクタイにしたって、タイピンにしたってさ、俺が買うものの金額よりゼロが一つか、たまに二つ多いような高級品ばかりだから。  だからプレゼントしたって見劣りしてしまうものばかりでさ。使えないでしょ? 有名華道家の当主が安物のネクタイなんて。敦之さんのファンが怒ってしまう。  だから炬燵ならいいかなぁって思ったんだけど。 「わー……七万発見」  この前、営業の外回りの時に見つけた家具屋さん、どこかでチラリと名前を聞いたことがあって、調べたらすごく高級な家具屋さんだった。オンラインショップもあるみたいだし、直に行って見てみることもできるし、ここの炬燵なら敦之さんの部屋に置いても見劣りしないかと思ったんだけど……。  俺が持ってるホームセンターで季節外れに激安で買えた炬燵とはもう雲泥の差。  これを敦之さんの部屋にお洒落に飾れば、ほら、もう家具のカタログの中の参考写真とかにでもなりそうな感じ。  けど、これ、ボーナス……いくら出るのかな。そんなたくさんなんて出ないだろうから、二ヶ月分? いや……傾きかけて、倒産しちゃうかもしれないってレベルの小さな会社ではもしかしたら一ヶ月分がせいぜい……。 「匠の技……十万……」  その、どんどん見つかる高級炬燵の数々に目を回しかけたところだった。 「何してんすか?」  そんな声が頭上から聞こえてきて、はっと顔を上げると、そこには目を丸くして俺を見つめる立花クンがいた。 「え? 炬燵初体験?」  まだ茶色いシミが完全には落ちてないけれど、以前ほどの古ぼけて汚らしい印象ではなくなった休憩室で、立花君が目を丸くしていた。  大掃除をしたんだ。  茶色く煙草の煙色にくすんだ休憩室を。  やり始めた時は俺だけだった。でも、そこに立花君が参加してきてくれて、そしたら、女性社員の何人かが手伝ってくれて。煙草を吸わない女性が「ここ、いっつも煙草臭くて、ジュースとか買いに来るのに嫌だったんですよねぇ。においが制服に染み付いちゃうから」そう言って、壁をゴシゴシ洗ってくれた。 「うん、そうなんだ」 「す、すごいっすね」 「うん」 「炬燵なんてどこの家にもあるもんだと思ってた」 「だよね」  へー、って驚いた顔のまま何度か頷いて、立花君が冬から登場したロイヤルアップルミルクティーをクイッと飲んだ。 「そっか、セレブは炬燵使わないのかぁ」 「セレブって……」  そう敦之さんに言ったら、きっとそんなことはないよ、フツーの男だって笑いそうだ。ちっともフツーじゃないのにさ。 「それで炬燵をプレゼントしようかと思ったわけかぁ」 「うん」 「なんか……」 「?」  立花君が自分の足の間に手を置いて、無造作に前へと放り出すようにその足を伸ばした。作業服は紺色だからそんなに汚れが目立つわけじゃないけれど、毎日着ているものだから、その紺色が少し褪せてくすんで、汚れているのがわかる。安全靴もかなり使い込んでいて、ベルト式になっているそのベルトの先端がそっくり返っていた。 「幸せそうっすね」 「!」  彼には、一度、告白をされたことがある。 「いいなぁ」 「そ、そんな」 「そのセレブな彼氏さんは幸せっすね」 「そんなことっ」  けれど、俺は敦之さんが好きだからお断りした。  きっと彼の方が俺は背伸びせずにいられる。古ぼけてくすんだ作業着に、くたびれた安全靴。そっちの方が俺には馴染みのある毎日の暮らしだ。十万円の炬燵よりも、同じ暖を取るためのテーブルならホームセンターの安いもので十分。 「こんな健気な人を大事にできるんだから」 「ぇ?」 「好きな人を大事にできるのって、幸せじゃないっすか」 「……」  大事にされてるんですね、その彼氏さんは――そういう意味での「羨ましい」のかと思った。けれど、そうではなくて、あの人を想う俺を大事にできることを……。  俺なんて、って思ってしまいそうになる。  背伸びをしないと届かない高みの人だ。今、オンラインで見たらとても素敵だった炬燵とは雲泥の差の小さな、安物しか買えないような俺にとっては。けれど、それでも、どんなに考えても、考えても。 「羨ましいっすよ」  やっぱり俺はあの人が好き。  たったのそれだけ。  その一つだけ。 「炬燵、いいのが見つかるといいっすね」 「……うん」  あの人が好き、ただそれだけで、俺はいくらでも背伸びをして、あの人の身丈と並べられるようにと努めたくなる。ただ、それだけで――。 「ふぅ……」  午前中は社内でデスクワークをしてた。午後は外回り。打ち合わせが長引いて、顧客の入っているビルから出ると冬の夜風に身が縮こまる。  寒いな、って小さく息を吐くと真っ白だった。  今日はこのまま直帰にしておいてよかった。まだ敦之さんは仕事だよね。仕事終わったら来てくれるって言ってたから、部屋をあっためておいてあげよう。  そう思って、スマホを見たら、メッセージが二つ入ってた。 「……」  立花君からだった。スマホの画面にはこんなメッセージが来てますよってお知らせと一緒に彼からのメッセージで「新情報」って、書いてある。 「?」  何か、仕事のこととか? そう思ったけれど。  ――新情報なんすけど! 俺のダチも炬燵持ってなかったです! 理由は、全然違うだろうけど。部屋が狭いから置くと炬燵しかなくなるって。  これが二つ目のメッセージ。笑った顔のスタンプがくっついていた。 「……へぇ」  そっか。炬燵、ないこともあるのか。そう思いながら、また吹き付けてきた北風に肩をすくめたら、手に持っていたスマホがまた一つメッセージを受け取った。 「……ぁ」  今度は、立花君じゃなかった。 「急がなくちゃ」  そのメッセージには今、仕事が終わったよ、って書いてあったから、俺は部屋を暖めてあげたくて、駅まで履き慣れた革靴で駆け足で向かった。

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