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浴衣旅行編 1 すごいとこ

「ひ、ぇ……」  思わず、声、出ちゃった。  だ、だって、こんなところだと……思わなかったわけじゃないけれど、敦之さんが誘ってくれたんだから、もう俺なんかじゃ、まず検索すらしようと思わないようなお宿だとは思ってたけど……でもでもこれって。  一泊いくらか知ってるとこだった。  インターネットの動画で見ちゃったんだ。  ふーん、へぇ、こんなところに旅行でお金出す人もいるんだなぁ、どんな人がこういうところに旅行でくるんだろー。っていうか、こういうところに旅行でポーンとお金使っちゃうような人って、どのくらいの収入貰ってるんだろうー。  そんな人も世の中にはいるんだなぁ……。  って、思いながら見ていた宿、だった。 「拓馬?」  そして、尻込みと唾飲み込んで、立ち尽くす俺を数歩先を歩く敦之さんが、ふと振り返って、爽やかに笑って手招いてくれる。 「おいで」 「は、はいっ!」  ここにいました。  こんなところにポーンってお金使っちゃう人が、ここに。 「ご、ごめんなさい」 「大丈夫? 疲れたかな」 「い、いえ」  こんな人、でした……。優しくてかっこよくて、どんな花よりも綺麗な人……でした。 「顔が真っ赤だ」 「! あ、いえ……あの、熱があるとかじゃない、ですっ」 「そう?」  ほら、こんなに優しく微笑みかけてくれる人。 「なら、よかった。てっきり……」 「?」 「あと少ししたら浴衣姿の君にたくさん悪戯ができるんだと浮かれているのがバレてしまったのかと思った」 「! ヒヘ? あ、あのっ」  優しくて、かっこよくて、俺のことを最も簡単に蕩けさせてしまう人がとても楽しそうに微笑んで、その長い指で、俺の髪に触れる。 「さ、行こう」 「は、はい」  優しくて、そして、夜は少し意地悪な、そんな人。  突然、言われたんだ。  ――拓馬、旅行に行こう。  そう、急に、キッチンで二人で夕食を準備していたら言われた。とても忙しい人で、あっちこっちって、日本の中で行ったことがない場所なんてもうどこもなさそうな人だから、少し驚いてしまった。せっかくの休み、あっちこっちって飛び回るこの人にとっては自宅でゆっくりするのが一番だろうって思っていたから。  先週だって飛行機の時間があるからと朝早くに出ないといけない仕事が三つ。それでも必ずうちに帰ってくるから、疲れると思う。基本、どうしても、どおおおおしても、の場合以外、出張は全て日帰りにしてるから。  絶対に帰ってくる。だから帰りがとても遅いこともたくさんあるわけで。疲れてるだろうなって、休日はできるだけ休ませてあげたいと思ってたし、休みたいと思ってるって、思ってた。  家でゆっくり過ごしたいって。  旅行なんて、もしかして俺に気を使ってるのかなって。  たまにはどこか遠出したいと思ってるんじゃないかと、気遣ってくれたのかと。  けれど、敦之さんが誘ってくれて、すごく嬉しかったんだ。  お花を扱う繊細な仕事をしているこの人には答えに戸惑う俺の心中もわかっちゃうんだろう。  戸惑う俺に優しく笑った。  ――いい中庭があるところで。  ドキドキしてしまうほど綺麗な笑みで。  ――拓馬と見てみたい。  そう誘ってくれた。 「風情があるね」  だから、それなりのところだとは思ってたけど。  ま、まさか、こんなに高いところだとは。 「離れにしてもらったんだよ。ゆっくりしたいから」  ひぇ……。  って、もう三回目の悲鳴を、心の中であげた。一回目はさっき、この旅館についた時。動画で見たことあるところだーって。二回目はここの支配人がわざわざ出てきて、総出でお出迎えしてくれた時。こういうの、テレビドラマで見たことあるって、一斉に両サイドから最敬礼のお辞儀をされたことに飛び上がりそうになりながら胸の内で悲鳴を上げた。  そして三回目は、離れだったよって。  離れは別格に高かったって動画で知ってる。  本当にすごい金額のところだーって。  なんだか渡るだけでも緊張してしまう朱色の鮮やかな橋を渡りながら。 「こちらになります……」  宿の人が案内をしてくれた離れ。もうただの一軒家。  本当にすごいところだ。  そのスタッフの人は鍵を敦之さんに渡すとお辞儀をして部屋を出て行ってしまった。  囲炉裏あるし……ただ二泊するだけなのに、二階建てだし。囲炉裏のあるリビングから寝室の間に中庭があって、そこを川が流れちゃってるし。  お風呂……付いちゃってるし。  あ、でも、浴槽だけ、露天風呂があるだけだ。じゃあ、身体はどこで洗うんだろ。 「わ」  お湯が露天風呂へと流れてきている水路みたいなものを追いかけていくと、大きなお風呂がついてた。こっちで洗って、そこから、外の露天にそのまま行けるんだ。  たった二人で泊まるだけなのに部屋数多いよ。  たった二日しかいないのに。  あ、でも、ここに十日もいたら、金額が……。 「良いところだろう?」 「は、はいっでも、ちょっと凄すぎて……」 「そう?」  敦之さんは囲炉裏のある間から続いている広縁に降り立つと、そこで深呼吸をした。 「前にここに仕事で来たんだ。エントランスあっただろう? あそこに花をね。新築開業の記念とかだったかな」  すごいなぁ、この立派なエントランスの中央かな。あそこにきっとあったのかもしれない。きっとそれはとても見応えがある生花だったんだろうなぁ。 「その時は別の離れに泊まったんだけど、とても良かったから」 「……」 「拓馬を連れて来たかったんだ」  そう言って微笑んでいた。 「仕事、頑張ったご褒美に付き合ってくれてありがとう」  そう言って、緑がとても綺麗な庭園を眺めていた。

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