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浴衣旅行編 2 癒してあげる
ちょっとだけ、ね。
ちょっとだけ思ってしまった。
―― その時は別の離れに泊まったんだけど、とても良かったから。
そう言っていたのが、ちょっとだけ、ね。
「拓馬、二階のベッドルームがとても素敵だよ」
「は、はい」
二人して、たった二泊では堪能できないかもしれないとても広い宿の中を探検していた。あっちには何があって、こっちにはこんな素晴らしいものがって、二人で子どもみたいに。そうして探検しながら、さっきの敦之さんが言ったことを思い出してた。
誰とここに来たんだろうって。
気にしたってさ、過去のことなんて仕方がないのだし。
けれど、やっぱり気になってしまうんだ。
お仕事、で来たって言ってたけど、でも、きっと一人じゃないよね、なんて、俺なんかが思うのはちょっとおこがましい独占欲。
でも、気になる。考えてしまう。たくさんの人を魅了する敦之さんがこんなすごいところへ連れてくるくらいの人って……。
「拓馬」
「は、はいっ」
「ね。素敵だろう?」
「……わ」
小さく、感嘆の声が溢れた。
本当に、すごく素敵だったから。
ベッドの、頭を置く方には幾何学模様が綺麗な障子があって、その向こう側に照明があるんだ。和紙を通して部屋を照らす明かりは柔らかくて、優しい。その障子を開け放つと、広い空に緑豊かな中庭が見えた。
開放感たっぷりの寝室にはテラス……なのかな。部屋一つ分くらいはありそうなウッドデッキがあって、そこにソファとテーブルが置いてある。
「拓馬も気に入った?」
「! も、もちろんですっ」
そのソファに敦之さんが腰を下ろして、俺を見上げると、コクコク頷く俺にホッと嬉しそうに安堵の溜め息をついた。
気に入らない人なんていないでしょ。
こんなすごいところ。
「それなら良かった」
敦之さんは俺の手を取り、そのまま引き寄せると、抱き留めて、とても、とっても柔らかく微笑みながらキスをくれた。優しくて、気持ちがホロホロと解けて溶けてしまいそうなそんなキス。
「むしろ、なんか、俺みたいな一般市民がこんなところって」
「なぜ?」
「だ、だって」
「君が気に入ってくれないと困るんだ」
「?」
「だって、君を三日間独り占めするためにここに閉じ込めようと思ってるんだから」
そんなこと。
「そのために、あの鬼マネージャーの過酷スケジュールを馬車馬のごとくこなした」
「っぷ、雪隆さんのことですか?」
でも、知ってる。ここ一週間……いや、一週間以上、とても忙しそうにしていた。帰りが遅いとかもあったけれど、それよりもなんというか疲労困憊っていう感じだったから。そんなヘトヘトそうな敦之さんを心配してたら、ふと旅行に行こうと言われたんだ。
「そうだ。あの鬼マネージャー」
「そんな」
「今度、成田の方であの鬼マネージャーをどこかに拘束してもらおう」
「えぇ?」
「そうしたら俺はゆっくりできるだろう?」
「ダメですよ」
すごく、疲れてそうだった。それでも夜には帰ってきてくれて。
笑って、「ただいま」って言ってくれるんだ。きっと、俺が起きてる時間までに帰れるようにって、昼間、すごい過密スケジュールにしてたんじゃないかな。
「あの……」
「? 拓馬?」
そうだ。
うん。
「俺がこの三日間、たくさん、その……」
「……」
こんなふうに優しくさ、どんなに疲れてヘトヘトの時でも優しい声で「ただいま」を俺にくれる。今、俺が一番、この人の近くにいて、今、この時、一番大事にしてもらってる。
「たくさん、癒してあげますから」
「……」
「だ、だからっ」
それが一番、だよね。
前のこととか気にするな。
だって、今この瞬間、こんな贅沢をたくさんしてるんだから。もうそれだけで身に余る幸運なんだから。
「困ったな」
急に敦之さんがそんなことを言って、さっきの溜め息とは違う種類の溜め息をほぅ、と溢す。
「え? 何か」
そして、慌てて、その瞳を覗き込むとくしゃっと笑って、俺を抱き留めてる腕に力を込めた。
「早速、癒して欲しくなってしまう」
今、この綺麗な、花のような人を独り占めできてるのは俺なんだから。
「ぁ……」
誰もが見惚れるこの人がさ。
「ぁ……えっと、あの」
「うん……」
こんなにワクワクした子どもみたいに、俺なんかのキスを欲しがってくれるんだから。
「癒して、あげます……ね」
そっと、唇に触れた。
触れると、舌を差し込まれて、小さく息を呑む自分の喉奥の音がする。
「あっ……」
服の下に潜り込んでくれた敦之さんの大きな手が。
「ぁ……」
小さな、でも、すごく敏感な胸を撫でて。
「ンっ」
乳首を摘んでくれた。
「あっ」
それがたまらなく気持ち良くて、花に触れるあの指で摘まれてることがたまらなくて、キュッとしがみつくと、もう片方の手がするりとズボンの中へと侵入してきてしまう。
「あ、敦之さんっ」
ゾクゾクする。
「あっ」
「拓馬」
その手でこの身体を弄られて、甘い啼き声を上げると、名前を呼んでくれた。色っぽくて、男っていう顔。
「拓馬」
「は、い……はい、あの、すごく」
そんな顔、誰でもは見られない顔。滅多に見せてもらえない表情。いつもは朗らかで穏やかな人が見せてくれる男の顔。
「敦之さん……」
こんな敦之さんを、今の俺は独り占め、してる。
そして、恋しさが染み込んだ声で愛しい名前をそっと耳に口づけながら呼んでみた。
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