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浴衣旅行編 3 浴衣の君
な、なんか……すごいところで……しちゃった気がする。ものすごくすごい旅館のすごいところですごいことを。
ホテルで足元で煌びやかに光る夜景を眺めながら窓際でしたこととかあるけど、それは地上から遥か上空、何十階っていう上でだから見えるわけないし。いや、ホテルの真向かいにオフィスビルがあって、そこで働いている人がいるのに窓際でしちゃったこともある、けど。夜だし。遠いし。仕事中にホテルを眺めてる人なんていないだろうし。いても、米粒くらいにしか見えなかったと思うし。
でも、さっきのは、ホテルみたいに何十階上空とかじゃないし。二階。地上から三メートルも離れてない、ただの二階。
そんなところで、セック……ス、とか大胆すぎるでしょ。
「拓馬?」
「は、はい!」
一人で、旅館に着いて早々盛り上がってしまった自分のテンションに慌てふためていた。
囲炉裏のある場所で。
ちょうどそこに、来た時には見落としていたけれど、この離れの間取り図が置いてあった。そりゃそうだよ。部屋だって一つじゃなくて幾つもあって、真ん中に川も流れてるような建物なんだから見取り図くらい置いてある。
そこで、へぇ、あれは月見台っていうんだ、ロマンチックな名前だなぁって思ったところで、行為の大胆さに心臓がキュッとなった。お月様を眺めるところで俺ってば、って。
敦之さんはちょっと仕事の電話をしたいからって、その俺たちがいた月見台の手前にある寝室で少し電話をしてたんだ。
電話の間に浴衣に着替えておくと良いと言われて、着替えて待ってたんだけど。
「どうかな」
「……」
か、かっこいい。
って、思わず見惚れちゃった。
「君が着てると色っぽいけれど、俺が着ると何だかおじさんくさくならないかな」
「そ、そんなことないです!」
「そう? 仕事柄、着物を着る機会は多いから、妙に馴染んでて、おじさんっぽくなってやしないかと」
「全然です!」
「ありがとう」
とっても似合っていた。
たまにお仕事で着物を着るのは知ってるし、見た事もあるんだけど、スーツ姿の方が圧倒的に多いから、すごくドキドキする。間近では見たことないんだ。敦之さんのファンの人みんなにとっても着物姿の敦之さんはレアだから、そういう時は囲まれちゃってて。
じっくり見られるのは雑誌とかテレビとか。実物が着てるのは遠くからしか見られないから。
わ、って、なる。
すごい、かっこいい。
「拓馬は」
「! す、すみませんっ、なんか」
変ですよね。着慣れないから、上手じゃなくて、同じ浴衣を着てるとは思えないくらい、なんだかクタクタになってる。敦之さんのは、キリッとしててパリッとしてて、すごく素敵なのに。
「いや、すごく似合ってる」
「ぜ、全然です」
「でも」
敦之さんの長い指が俺の浴衣の襟に触れる。
「少し色気が……すごいかな」
「あ、すみませんっ、着崩れがっ」
「いや、そうじゃなくて……」
魔法の指先。
「さっきせっかく癒してもらったばかりなのに、また、したくなる」
「!」
「君を前にするとダメだね」
その指先がすっと触れただけで、浴衣がパリッとしてくる。
「だから少し、俺のために」
「……」
「うん。このくらいがいい」
にこやかに笑ってくれた。
「これなら、食事の後くらいまでは襲い掛かるのを我慢できそうだ」
俺こそ、なんです。
「少し散歩をする? マッサージ、とかできるらしい。岩盤浴もあるし」
俺こそ、我慢できなくなっちゃいそうなんです。
「拓馬は何したい?」
「え? あ、えっと」
「うん?」
「あ! じゃあ、カラオケ! 敦之さんの歌ってるとこ、ちょっとずっとちゃんと見たくてっ……って、あ、ぁは、ここ、にはないですよね」
敦之さんが目を丸くしてた。
そして俺はなんか浴衣でカラオケっていう、なんというか俗っぽいっていうか、フツーの宴会みたいな旅行を想像しちゃう自分の脳みその一般市民っぷりが恥ずかしくて、頬が熱くてたまらなくなった。
「す、すみませんっ」
「いや……あるかもしれないよ。カラオケ」
「! い、いえ、敦之さん、ないです。きっと。あの、すみません」
「そんなに謝らないで。あるか聞いてみよう」
「えぇっ、い、いいですって、あの、そんな敦之さんはそんな一般市民旅行プランじゃなくて」
もう、バカなんじゃないのか。こんな高級旅館に卓球とかカラオケとかあるわけないだろ。こういうところは「ラグジュアリー」なんだから、あるとしたらスパとかエステとかに決まってる。岩盤浴もあるって言ってたじゃん。
「あぁ、もしもし?」
「!」
「そう、あるかな、カラオケ……」
ひぇ、訊いてるし。
「そう……ありがとう……いや、大丈夫」
大丈夫じゃないです。本当にすみません。
「拓馬、ないそうだ」
そりゃそうだと思います。こんなすごいところに泊まる人はカラオケは嗜まないと思います。あぁ、なんて、俺はばかな。
「とりあえず、散歩をしながら考えよう。ほら、中庭見せたいと言っただろ? それで、のんびりして、夕飯を食べよう」
「はい! もちろん」
そんな一般的すぎる俺に優しく微笑んで、とても素敵な浴衣姿の敦之さんがエスコートをしてくれた。
素晴らしいって言っていた中庭は、俺の提案したカラオケよりもずっと美しい時間が流れてて。
「うわぁ……」
俺は思わずそんな声をあげながら、まるで絵画の中にでも入り込んでしまったみたいに綺麗な緑色に目を輝かせていた。
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