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浴衣旅行編 4 独り占めできる
「なんか、肌が艶々になった気がします!」
「そう? 拓馬はいつも肌艶々だけど」
「!」
初めての岩盤浴に身体が芯からぽかぽかと温まっていたのに、今の一言と笑顔で、一気に、二度かな、いや三度くらいかも、今以上に体温が上がった気がする。
キュッと肩をすくめて、褒めてくれる敦之さんに一人慌ててしまう。
「あ、ありがとうございます」
ほら、変な返事をしてしまったし。
でも、だって、肌、いつも艶々って言ってくれたから。なんか、当たり前なんだけど、肌、触ってもらってるんだって、急に思っちゃったんだ。
「あ、敦之さんも、肌、艶々ですねっ」
「そうかな」
「はいっ」
「じゃあ、後でたくさん触ってもらおう」
「!」
こういうの、墓穴、っていうんだ。
肌を褒めてもらって、色々、たとえばさっき月見台のところでしちゃったこととかを思い出して、照れてしまうから、話を切り替えたかったのに、余計に色々思い出してしまう。
それでなくても浴衣姿の敦之さんが目の前にいるっていう、ドキドキする状況なのに。
宿の中を探検してた。
岩盤浴にマッサージもしてもらって、ヘッドスパも体験できて、もう一泊あるけれど、充分すぎるくらいリフレッシュできた気がする。
「あぁ、こっちだな。もう随分前だったから忘れてしまった。こっちだよ。食事処」
あ……また、だ。
また、チクって。
だって、こっちだなって、もう随分前だったからって、ここへ来たのが随分前だったから忘れちゃったんだって。それはつまりここに誰かと来て、誰かとこの食事処にやって来たってことだから。
花を生ける生業の敦之さんおススメなだけあって、中庭も本当に綺麗だったんだ。
俺に見せたいと言ってくれたことがとても嬉しくて、でも、ちょっとだけ……。
こんなの思ったら罰当たりなんだけど、でも、ちょっとだけ、前にここに来た時は誰と、いや、どんな人と見たんだろうって思ったり、して。
「拓馬」
人は本当に欲張りだ。
「おいで」
こんな素敵な人を今、独り占めできてるだけで充分だろ?
なのに、過去も独り占めできたらいいのに、なんてできないことを思ってしまう。
ここに来てから、特に、なんかそんな我儘が強くなってる。いつもはもっと敦之さんが忙しくて、周りにたくさんの人がいるからかな。こんなに我儘はしないタイプだと自分で思っていたのに。二人っきりっていう、この特別な空間が俺のことをおかしくしてしまうんだ。
「お腹、空いただろう?」
そう問いかけてくれるこの人の、この優しい声を前に聞いたことある人全部が羨ましいって思ってしまう。
「拓馬」
そっと手を繋いでくれるこの人のこの指先まで全部、誰かが触ったことがあるのが、妬ましく……。
「わ」
案内してもらったのは、さっき冒険した中庭がガラス張りの向こう側一面に広がるとても綺麗な個室だった。
建物の中をグネグネと歩いていたから自分がどの辺りにいるのか全然わかっていなかった。こんな個室、あの中庭にあったっけ。気がつかなかった。
そして、昼間は綺麗な緑色が風に揺れる眩しい空間が、夕焼けの全く違う空の色に染まって、まるで違う表情を見せる。葉が空と同じ夕陽の色に染まって、緑は深みが増して。それを下から淡いライトが照らす。
爽やかだった木々が、ドキドキするほどロマンチックな夜景に変わって、それをガラス越しに眺めながら、半月の形をしたテーブルに二人で隣合わせで食事ができる空間になっている。
「お客様、こちらが本日、アニバーサリーディナーのワインになります。もうお召し上がりになりますか?」
「あぁ、ありがとう」
用意してもらったのは白ワインだった。
「後で赤も出してもらうから」
「あ、あの」
「それからケーキもあるんだ」
「え? ケーキも?」
そんな会話をしているうちに、テキパキと配膳されて並ぶ宝箱みたいに彩りの綺麗な料理たち。これだけでも充分に豪華で豪勢でごちそうなのに。ケーキもって。
「さっきね、電話して追加してもらってしまった。旅館の人には我儘な客だと思われそうだが」
「えぇ?」
「案内が置いてあって。見たらケーキも注文できるようだったから。急遽」
さっき、電話って。あの時?
上で仕事の電話を一件入れたいから先に降りていなさいって言ってた、あの時?
「拓馬のびっくりした顔が見たくて」
「!」
「びっくりしてくれてありがとう」
俺のそんなおかしな顔で嬉しそうに笑ってくれる。
「あ、あの、アニバーサリーって」
「あぁ」
ケーキも? でも、誕生日とかじゃないのに。
「君をここに連れてこられた記念」
「……」
今日の敦之さんは、ずっと笑ってる。
「ワイン、飲むだろ? 乾杯しよう」
「は、はいっ」
ずっと、俺と二人っきりの旅行に、ご機嫌な笑顔で。
「あぁ、でも、あんまり飲みすぎないように」
「あ、ハイっ」
ほら、また笑ってくれる。
「まだ浴衣の君を襲うっていう楽しみを残してるんだ」
「!」
俺を眩しそうに見つめて微笑んで、俺をここに連れてこられたことなんかで、楽しそうにしてくれる。この旅行で、ずっと独り占めできる敦之さんは、ずっと。
「拓馬」
ずっと笑顔。
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