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浴衣旅行編 7 はしゃぐ君
「え? 来たいとこってここ、ですか?」
どこかと……思った。
「そう、ここ」
びっくりするほどに豪華な朝ご飯を食べて、さぁ行こうって車に乗り込むからドライブかと思った。それで、アウトレットでショッピングかなぁと。そしたら、敦之さんのファンの人たちに見つかっちゃわないかなぁとか考えてた。見つかっちゃったら、サインとかしないといけないから。そしたら、今日はさすがに敦之さんを独り占めできないなぁ、なんて。
「あ、あの……」
思ったのに。
「俺は初めてこういうところに来たからあまりシステムをわかってないんだけど」
ですよね。そう思う。
だって、敦之さんがこういうところに来るイメージないもん。
山道とか、森の中を通って森林浴をしながらのドライブ……ってなるかと思ってたのに、車は森どころか木は街路樹くらいしかない繁華街へと向かって突き進んで、駅の辺りから少し入り組んだ道を通っていく。こんなところで何をするのかと思ったら。
「拓馬は来たことある?」
「え、えぇ、まぁ、会社の付き合い、とか、大学とかで」
「じゃあ、拓馬にエスコートしてもらおう」
大体の一般人は来たことあるんじゃないかな。
「カラオケ」
びっくりした。
浴衣もスーツも、高級ホテルも、ものすごい豪華な夜景も、花も、なんでも似合うこの人でも。
「昨日、言ってただろう? 俺の歌ってるところが見たいって」
「!」
「下手だけれど」
この人でも似合わない場所ってあるんだなぁって、びっくりした。
「ぜ、全然! 嬉しいです!」
「いや、そんなに期待はしないでくれ」
「期待します!」
「ダメだよ。幻滅されたら大変だ」
「しませんってば」
とても嬉しかった。
俺が昨日言ったこと、叶えてくれるなんて、思ってもいなかった。だって。だってだって、多忙な敦之さんの大事な休日なのに、あんな素敵な宿でゆっくりしていたらきっとリフレッシュできるのに。俺のためにって。
「絶対にしません」
それが嬉しくてたまらない。
「あぁ、そう願うよ」
少し照れ臭そうに笑う、そんな敦之さんに、胸のとこ、心臓がおおはしゃぎで踊りまくってる。
前からずっと見てみたかったんだ。たまに、仕事で生ける花のことを考えてる時、花を眺めながら敦之さんが小さく歌うことがある。楽しそうに、囁くその歌声が俺は大好きで。
いつか、いつか……見てみたい、聞いてみたいって思ってた。
何かの拍子にさりげなく聞こえるその鼻歌にいつも耳を澄ましてた。
歌ってくれたのは、ラブソング。俺がちょっと気に入って聞いてたアーティスの歌だ。この前、一緒に音楽番組をぼんやり眺めてた時にちょうどそのアーティスが出てて、この人の歌、好きですって話した。
声が、似てたんだ。
敦之さんに少し似てる気がして。
だから好んで聞いてたんだけど。
心臓、撃ち抜かれて息止まるかと思った。
かっこいい、って百万回くらい言えると思う。
すごいですって、語彙貧相な褒め方だけど、それしか出てこないくらいに感動して。
交代交代で歌っていくことにしたら、俺も歌わなくちゃいけなくて。敦之さんみたいに上手じゃないですって思いながら「下手ですから」って百回くらい繰り返し伝えて。
緊張で音外したし。
下手って何度も言ったけれど、本当に下手だと恥ずかしくて、いつもはもう少しマシなんですって言いたくなってきたり。
二人して代わりばんこに恥ずかしがって、照れて、褒め合って。
「あ、はい。えと……時間延長なし、です」
あっという間だった。もう終わっちゃった。
「楽しかった」
「俺もですっ」
二人で大はしゃぎだったんだ。だから、部屋を出た瞬間、自分達の声がなんだか大きくて、耳が音量調節間違えてそうな感じ。
敦之さんもそう思ったんだと思う。会計を終えて、車に戻ってくるまでの間ずっとおかしそうに笑ってた。
「また行きたいです」
「じゃあ、もっと拓馬が好きな歌を覚えないとだ」
「敦之さんの好きな歌とかがいいです。ちっとも下手じゃなかった」
「そんなことない。人前でなんて歌ったことないよ」
「ないんですか?」
「学生の時に授業で合唱とかしたくらいかな。身内に声楽卒の者がいるから、余計に人前では歌いにくくて。いや、歌いたいわけじゃないんだが」
声楽を学んでた人が親戚にいるなんてすごい。
でも、もったいない。こんなに歌ってるところかっこいいのに。そう思うくらいなのに。
人前で歌ったこと、ない、の?
「ない、んですか?」
「人前で? ないよ。ない。全然」
「……」
「雪隆には内緒にしておいてくれ。成田にも。からかわれそうだ」
「……」
本当に?
ちっとも、ないの?
他の誰にも?
「次はどこに行こうか。拓馬はどこがいい?」
誰にも見せたことないの?
「拓馬?」
「…………あ」
「どうし、」
この敦之さんを知ってるのは、俺だけ?
「嬉し、」
「……拓、」
「あは、ちょっと、感動するくらい嬉しくて、すみません、俺」
きっと真っ赤だ。もう首の辺りまで真っ赤になってると思う。嬉しくて身体が、気持ちが、舞い上がってる。
「……拓馬」
「あの、烏滸がましいんですけど、人気があって、誰からも好かれてる敦之さんをこうして少しの時間でも独り占めできてるだけで、すごく光栄なのに。これ以上とか、バチあたっちゃうんですけど」
「……」
「でも、誰も知らない敦之さんを見られたの、嬉しくて」
思わず口元を手の甲で隠した。震えてしまいそうだったから。
「ほ、本当、俺欲張りなんです。この宿だって、前に来たのって、誰となんだろうとか考えちゃって。こんなところに来させてもらえただけでもすごいことなのに、前来た時はって、そんなの考えてばっかで」
「……」
「ご、ごめんなさいっ、でも、好きすぎて、そんなことばっか、……っ、ンっ」
車が急に脇道に逸れたと思ったら、手首を掴まれて、そのままキスで言葉を遮られた。
「……ン、ん」
舌を絡ませて、激しくて濃い、息すら食べられてしまいそうな大胆なキス。
「……ぁ」
キスを終えると、敦之さんの唇が唾液で濡れてるくらいの、激しいキス。
「あ、あの」
「どうして拓馬はそう」
「あ、あのっ、俺っ」
「可愛いことばかり言うんだ」
激しくて、セックスがしたくてたまらなくなるような、そんなキス。
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