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花の王子が行く編 1 王子様と庶民
普段はあんまり思わなくなったかな。
最初は驚くことも多かった。王子様と同居する庶民、なんてドラマみたいなと場面がたくさん。コタツにも敦之さんは驚いてたし、ガスコンロも使ったことがなかったし。
最近はなくなってきてた、王子様との格差。
でもいまだに一番それが現れるのが、食事のとき。
「こちらがわかさぎのフリットにフュメ・ド・ポワソンベースのトマトソース添えでございます」
わかさぎって、あの、わかさぎ? フリットって唐揚げみたいなこと、かな。
大きな黒い器には紫色の花と黄色の花が鮮やかに散りばめられていて、その真ん中にわかさぎの唐揚げがある。ソースがトマトで、フュメ……ポワゾンって言ってなかった? 毒? 毒みたいに美味しいの?
「毒、じゃないよ。ポワソン、魚料理のことを言うんだ」
まるで俺の心の内を読んだみたいに敦之さんがゆっくりと微笑みながら、さっき、お店の人が教えてくれたメニューのことを詳しく解説してくれる。
「フュメ、が出汁の意味で、わかさぎの唐揚げにトマトベースの出汁ソースをかけた料理ってことだね。唐揚げ、とても美味しいよ?」
「は、はい」
こういう時に王子様の晩餐に呼んでもらえた庶民の気持ちになる。いや、別に、自分のことを卑下するとかじゃなくて、すごいなって。敦之さんはなんでも知っていて、って、尊敬するっていうか。
敦之さんのお花を定期的に扱っている、超が十個、もしかしたら百個くらい付きそうな最高級フランス料理店。
入り口にあった花は敦之さんが生けたもので、とても素敵だった。鮮やかで、見惚れてしまうんだ。生花がまるでそこに根を張る大きな大きな花のように、存在感がすごくて。店長がとにかく敦之さんの大ファンらしく、昔からずっとこうしてお花をお店に飾ってあげてるんだって。
敦之さんに生花、しかもあんなに大きな作品を定期的に入れ替えて飾るのは多分、すごく、高い。なんて、お金に換算しちゃうところがまた庶民っぽいけど。
今日は、そんな超がたくさん付く高級レストランで食事のデートに誘ってもらった。
俺が、職場の社内試験に合格したお祝いにって。
別にすごいものじゃなくて、製造部門のちょっとした技能試験。営業の俺がやる必要なんてないんだけど、なんというか、技術があればこその説得力が営業の時に役に立つんじゃないかなぁなんて思って。
敦之さんは超一流の華道の人だ。
テレビにも出てるし、華道のお仕事だけじゃない。この間はファッション雑誌にモデルとして出てた。かっこよくて、素敵で。そんな人だけれど、今でも定期的に華道の体験教室は開いていて。先生もしてる。そして、その教室で生けるお花は普段こういう大きな場所で飾られる、アートの作品じゃなくて、おうちの玄関とか、キッチンのテーブルとかに飾るとちょうど良さそうな、小さな作品。
けれど、その小さな作品にも、迫力とか生命力とか、すごく感じて。
だからこそ敦之さんが講師の体験教室は大人気で。
その体験教室で魅了された人が定期的な教室に入ってくれて、また敦之さんのお花が広がっていく。
だから、やっぱり、その技術というか、実際に「できる」っていうの大事なんじゃないかなって。
俺も、ただ営業で話するよりも、実際に技術力を身につけたら、もう少し説得力のある営業活動ができるんじゃないかなぁなんて。
「わ! すごい、美味しい」
「それはよかった」
「トマトの、フュメ……」
「出汁とトマトのソースをかけたわかさぎの唐揚げ」
「えぇ、もっと」
「和訳したらそういうことだよ。美味しい」
にっこりと微笑んで、敦之さんが飾ることなく、パクリと一口でお魚を食べちゃった。
こういうところも素敵だなって。
偉そうになんてちっともしない。お金持ちってところがちっともない。もちろん、上品で、洗練されてて、かっこいいんだけど。
「このお花も食べていいんですか?」
「もちろん。ちょっと苦いよ」
「お花なのに?」
「少しね」
「不思議だぁ」
紫色のお花を指でそっと摘んだ。フォークとナイフ、使って食べるのがマナーなんだろうけれど、なんというか、その野菜には申し訳ないんだけど、お花はフォークとか刺したり、ナイフで切るの申し訳ないような気がして。
だからそっと指で摘んだ。
「い、ただきます」
お花、初めて食べた。
「!」
あんなに綺麗で、可愛くて。敦之さんが生けた花はどこか甘い香りがするから、なんていうか、甘いものだって思ってた。
「すごい」
「苦手な人も多いんだけど」
「苦い、です」
「そうなんだ」
「意外で楽しいです」
「そうだね」
にこっと笑ったら、敦之さんがふにゃりと笑った。
「拓馬は」
「?」
「素敵だな」
「? えぇ? どこがです? 俺全然」
「とても素敵だと思うよ」
とても素敵なのは敦之さん、でしょう? 俺、今でもたまに、やっぱり思うもん。なんで俺を選んでくれたんだろうって。ただのサラリーマン。ただの営業マン。フランス料理の一皿ずつに全部に驚くようなただの庶民。
「今でもよく思うんだ」
「?」
「あの時、拓馬に声をかけた俺を褒めてるよ」
「えぇ?」
柔らかく笑って、ワイン、難しい名前のついた、すごく年代ものの素敵な琥珀色のワインを注いでくれた。
「たくさん飲んで。今日は拓馬のお祝いだから」
「は、はい。あは。でも、ただの社内試験ですよ」
「すごいことだ。それにたくさん飲んでもらって」
「?」
とても素敵なのは貴方だ。
「酔っ払った拓馬を介抱するのが今日の俺の楽しみなんだ」
「!」
俺も、褒めて、ます。あの時、人違いをしてしまったって立ち去ろうとした貴方を引き止めた俺を。
「だからたくさん飲んで」
俺も、俺を褒めてるんだ。
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