128 / 134

花の王子が行く編 4 王子は溺愛がすぎて

「ふぁ……」  思わず、あくびが出ちゃって、慌てて手で隠した。  俺単体でいたところで敦之さんのパートナーだってわかる人はいないだろうけど、それでも上條家の当主のパートナーが大あくびをしてたらダメだから急いで隠した。  ここ最近は社内試験のために隙間時間があれば大急ぎで勉強してたから。  その勉強がなくなったと腑抜けてしまった。  こんな大あくびを、休憩時間だからと会社のデスクでしているところを敦之さんに見られたら、とっても呆れられてしまう。  そういえば、敦之さんのあくびって見たことないかも。 「…………」  うん。  ないよ。  あくび、たぶん。  イメージが映像化されないから見たことはないのだろうし、そもそも想像できそうにない。  眠そうにしてるところはあるけれど。  敦之さんの毎日はとても大変な忙しさだから。  こうしてそばに置かせてもらえる、その、いわゆるパートナーとか恋人とか、こんなふうになる前は、出会ったばかりの頃はあっちこっちに飛び回っていた。最近は――。  ――ブブブブ。 「!」  今、会社のお昼休憩中だった。デスクに突っ伏して居眠りしてる人もいれば、スマホにかじり付いている人もいる。  デスクフロアはとにかく静かで、デスクトップのキーボードを叩く音すら居眠りの妨害になってしまいそうなほど。  だから突然、デスクに放っておいたスマホが着信を知らせようと振動しただけでも、飛び上がって驚いてしまう。 (は、はいっ)  電話に出て、返事をしながら、慌ててデスクフロアを抜け出した。  雪隆さんだ。  なんだろ。  今日の敦之さんの予定は講演会とお花を生けないといけないのがあって。でも帰りは遅くならないって、言ってから、とくに雪隆さんから連絡もらうようなことは、なにも。 『お疲れ様です』 「お、疲れ様、です」  お仕事の声だ。  プライベート、というかオフの時の雪隆さんはもう少しだけ声が柔らかい。でも仕事の時は声が少しだけ低くなって、張るんだ。  とても綺麗な人。  凛としていて、けれど華奢だからか真っ直ぐすらりとしていて、百合の花姿みたい。 『兄に伝言をお願いできますか?』 「え? あの」  おうち、かな。音が響いてない。ホテルとかどこか廊下とか、そういう場所で仕事の合間にくれた電話とは声の響き方が違うように感じた。だから今日は敦之さんは別行動というか、一人で仕事してるのかな。運転手さんとかはいるから、そんなにピッタリ同行しなくたって仕事はちゃんとやるよって、前に雪隆さんに言っていた。だからもう少し自分の時間も作ったほうがいいって。 『今日、僕はオフをいただいているんです』 「あ、そうなんですね」  ほら、やっぱりそうだった。  そしたら、今日は一人で仕事、頑張ってくださいってメッセージ送っておこうかな。びっくりするかもしれない。どうして知ってるんだって。  そんなびっくりしたところを想像して、少し、口元が緩んだ。  いつも朗らかに、微笑みながら俺のことを見つめてくれるから。驚いた顔とか、眠そうにしてる顔とか、そういう砕けた表情って、なんというかとても新鮮でさ。 『夏休み期間の、地区釣りの体験イベント、参加可能になりましたから。予定もその日とその翌日は空けてあります。ゆっくり過ごして良いですよ、って』 「はい…………えっ?」  今、地区って、釣りの体験イベントって。 『知り合いの田中さんがひと枠取ってくださったので、田中さんにはお礼をこちらからしていますが、ご自身でもしっかりお礼、してくださいと』  田中さんって、どなた?  ひと枠って。  あの。  えっと 『それじゃ』 「あ、あのっお休みのところすみませんっ、あの」 『あ、そうだ』  地区釣りイベントって、どうして急に。 『釣り竿等、道具などは不要とのことです。張り切って高価なものなど買わないように。浮きます』 「浮っ」 『詳細は田中さんからデータいただくので、それを転送しておきます。あ、でも、お昼までのイベントだそうです。お弁当は自由、だったかと。とりあえず、参加可能とだけ』  スラスラと地区の釣りイベントのことを伝言だけして、雪隆さんは俺の戸惑いを気にすることなく電話を切ってしまった。 「…………え?」  地区、釣りって。  なんで、急に。  ―― あっ、いや、全然っ、釣りって言っても町内会のっ、ですっ。 「えぇ……」  ―― 町内会って言って、地域ごとに親とか大人が役員とかして、地域の子ども達にイベント開いてあげるんです。クリスマス会とか。 「えぇぇ」  きっと、そうだ。  俺が魚釣りのこと楽しいですって話したから。 「えぇぇぇ」  嘘みたいだけれど、王子様はたまにそんなこと、してしまうんだ。灰被りで、ただの、普通のサラリーマンの恋人を何よりも甘やかしてしまうんだ。 「釣りって……」  そして、いつだって俺のことを優しく、包み込むように穏やかに微笑みながら見つめてくれる敦之さんのことを想像しながら、とても驚いて、とても溺愛してもらえてることが嬉しくて、くすぐったくて。 「もぉ……忙しい人なのに……」  照れと戸惑いと、嬉しいと、驚きと、色々混ざったおかしな顔をしながら、愛しい愛しい王子様に、今日は一人でお仕事頑張ってくださいって、応援のメッセージだけ送っておいた。

ともだちにシェアしよう!