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花の王子が行く編 7 夏休み

「わ……」  思わず声が出るくらい川の水は冷たくて、日差しも強くて、ジリジリと焼けるみたいに熱かった身体が一瞬で落ち着いていくのがわかる。こんなに冷たかったんだっけ、川って。  釣れそうなポイントと、餌の取り方。餌、きっと普段なら絶対に触らないだろうけれど、川の中を転がっている石にへばりついている虫を使うんだ。だから、石をひっくり返して、その餌となる虫を捕まえるところから。普段だったら、絶対に触らない。  敦之さんにそんなのさせていいのかなって、ちょっと思ったけれど。  当の本人は嬉しそうに石を掴んではひっくり返して、虫を見つけては目を輝かせてた。  それから、今回俺たちが体験してみる釣り方を教わり、後はいくつか注意事項の話、例えば、釣りをしている人のそばを移動する時の通り方というか、通っていい場所を教わって、あとはとにかくじっと釣れるまで頑張る、ってことだった。  なんとなく思い出してきた。  そうそう、じっと待つ時間が長くて、なのにあんまり退屈しないんだ。  川の水の冷たさが心地良いからかな。  午前いっぱいと、それからお昼休憩を挟んで午後も少し。午後になると川遊びをする人達が増えるのと、あまり釣れなくなってしまうから。午前中の、お腹がぺこぺこなうちが一番エサに食いついてくれる。お腹いっぱいならもう食べないでしょ? 人だって。魚も同じで、午後になるとこの暑さもあるから、岩の下とか、川の流れが弱く、日差しが入り込まない涼しいところで休憩して過ごすんだ。だからお昼ご飯後は軽い運動……にはじっとしてるばかりだからならないけれど、残り一時間ほど釣りをしたらお終い。もう充分に満喫したところで体験は終了。  それで子どもの頃でたったの三尾。半日以上を費やしてたったの三尾じゃ割に合わないけど、でも、大満足した。  そんなことを思い出した。  今日の体験もやっぱりそんな感じで、午後はお昼ご飯を食べたら、少しだけ釣りを続けて、二時頃には終了するらしい。  五時間くらい、かな。  その五時間大体水に足をつけて、じっと待つんだけど。  そう、川の水面に日差しが反射して、キラキラしていて綺麗だったっけ。  それから、川の流れを乱すように自分の足の周りに小さな水の抵抗が生まれて、そこだけ慌てたように水がうねって、ひっくり返って、足元を流れていく様子が面白くて、ずっと見つめてた。 「すごいね」  敦之さんは足元を見つめて、それから顔を上げると、空と入道雲、その入道雲と同じくらいにもくもくと膨らむように葉を揺らす木々に目をやった。 「川の水がこんなに気持ち良いなんて」  そう言って、眩しさのせいなのか、目元をクシャリとさせた。わずかに唇の端が上がって、青空に微笑んでいるみたい。 「あんまり川遊びは……しないですよね」  そりゃ、そうだ。華道のすごい家の人だもの。川遊びなんてして、もしものことがあったら大変だし。 「拓馬はよくしたの?」 「川遊びは、しょっちゅう、かな。うち、川が近くにあって。プールもあったけど、川の方が気楽で。夏は大体涼んでました」 「へぇ。それはいいね。心地良い」  言いながら、竿を何度も伸ばして、引いて。  水の中を、釣り糸の先につけた餌を泳がせるように、何度も、何度も。 「他には夏はどんなふうに過ごした?」 「んー……大して劇的なことは全然」 「たとえば?」 「あとは……図書館で涼んだり」 「本は読まずに?」 「あはは、読む、フリ、してました。あ、あと、夏だからその図書館にある心霊写真図鑑みたいなの見て、友達と震え上がったり」 「そんな図鑑があるの?」 「本のタイトルは覚えてないけど、友達とはそう呼んでました。心霊写真が何枚も載ってて、それを研究家? みたいな人が解説してくれてるんです」 「研究家……」 「夏といえばって感じで。あとはやっぱり花火かなぁ。近くの公園で手持ち花火して」 「なるほど。花火」 「ね? たいして劇的じゃないんです」 「そんなことないよ。それに」  豪勢でもないし。避暑地で涼しげにってわけでもない。夏休みに大喜びだけれど、振り返れば、別に夏休みだからと特別な日々がずらりと並んでるわけでもない。 「それに、俺の知らない拓馬のこと、もっと知りたい」  でもすごくすごく楽しかったっけ。大したことがあるわけじゃないのに夏休みが来ると毎日ワクワクして、ドキドキして、飛び跳ねるように過ごしたっけ。 「とても魅力的だ。一緒に遊んでみたかった」 「えぇ? きっと、退屈すぎて驚いちゃいますよ」  些細なことにおおはしゃぎするばかりの子ども。 「そんなことは、あっ!」 「え?」 「拓馬っ」 「わっ、ゆっくり引いてくださいっ」 「わっ」 「わぁっ」 「!」 「すごい、敦之さんっ」 「釣った」 「すごいすごい! えっと、待って、掴んで」 「握って取ってかまわない?」 「多分、あそこの、川岸の入れ物まで持っていくので、じゃないと」 「わ!」  二人で大慌てだった。釣られてしまった魚は、急に水の中から引っ張り上げられて、そちらも大慌て。 「わわっ」  人も、魚も、大慌てで。 「!」  やばいやばいってたくさんその魚が暴れた拍子に、俺たちは川の流れに足を掬われて。 「う、わあああああ」  魚にとっては危機一髪、難を逃れることに成功した。  人にとっては一大事。華道の家元がびしょ濡れになってしまった。 「……逃げられてしまった」 「ですね」  すごい。 「っぷ」  大慌て。  それにすごい。 「あはは」 「……やられたなぁ」 「ですね。あははは」  本当にびしょ濡れ。  大慌てで困った顔。驚いた顔。そしてしょんぼりな顔。 「難しいな、釣りは」 「ふふふ」  敦之さんのいろんな表情が見られて、こんなに色んな彼を見られるのなら、今日一日はあの子どもの頃の夏休みよりももっと楽しくて、ワクワクして、素敵な一日になる気がした。

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