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花の王子が行く編 8 ごちそうさま

 川の水はとても冷たくて、日差しは強く、ジリジリと暑いはずなのに冷たい足元のせいで少しも苦にならなかった。  水面は眩しいくらいに太陽が反射して。  青い空はとても清々しくて。  それに――。 「なんだかまだ足が水に浸かってる感じがする」 「ふふ、一日、お昼休憩の時くらいしか川から上がらなかったから。敦之さん腰の辺りまで浸かるんだもん。びっくりしました」 「でも、あそこは釣れそうな気がしたんだ」  ずんずんと川の中心へと進んでいくから慌ててしまった。川って水の色で大体の深さがわかるけれど、それだけじゃなくて、見た目、穏やかに見えるところでも実際には流れが急だったり、深く見えないけれどいきなり深くなっていたり、大丈夫なんて思っているのが一番危ないから。 「それにそても、川の流れってすごいんだね。まさか膝下のあのくらいで足を取られそうになるとは」 「そうです。すごいんです」  川は舐めたら危険なんですよ、って、ちょっと怖い顔をして見せた。 「気をつけないとね」  俺、怖い顔、して見せたんですけど?  敦之さんは、そんな俺ににっこりと微笑んで、そのまま、むむって曲げたへの字の「怖い口元」に優しくキスをしてくれた。 「二人してびしょ濡れになってしまった」 「本当です。あそこに雪隆さんがいたら……」 「あははは、それは、すごく、呆れられただろうね」 「えぇ、叱られると思いますよ」 「そうかもね。君を守れないなんてだらしのないって」 「そっちじゃなくて」  また笑って、俺の唇にもう一度、優しくキスをする。 「……今日はとても楽しかった」  ふわりと微笑んで。 「でも、君が可愛い顔をしてくれるのに、その度にキスをするのは我慢しないといけないから、それだけ大変だったけど」 「俺、ですか?」 「川の水が気持ち良いって、ちょっと色っぽく呟くし」 「えぇっ?」 「ドキドキしてしまった」 「そんなっ」 「魚が獲れるととても嬉しそうにして、可愛いし」 「いやっ、可愛くは」 「抱き締めたくて大変だった」  それは貴方です。  川の冷たさに感動した顔。魚が釣れると少し慌てて、焦ったりして、俺、何度もそんな貴方を見つめすぎて魚釣りしてること忘れてしまったし。  川の水面に反射した日差しがキラキラって貴方の表情を照らすのが、とても素敵だった。  たまに駆け抜ける風に柔らかい貴方の髪が揺れて、それが心地良さそうで、見惚れた。  魚を待ちながら二人で他愛のないお話をするのもすごく楽しかった。あ、それから。 「君があくびしたとこ、見れた」 「えぇぇぇぇっ」 「とても可愛かった」  敦之さんのあくびしたとこ、見れた。一度だけ。 「敦之さんもあくびしてた」 「! ……見られてたか」 「はい。バッチリ」 「はぁぁ、だらしのない顔だっただろう」 「えぇ、それは俺でしょう?」 「拓馬のあくびは可愛かったよ。とっても」 「っぷ、あはは」  俺は貴方のあくびをしたところが見られて、とっても嬉しかったです。 「敦之さんの方が可愛かった」 「……俺?」 「はい、とっても」  そこで、難しい顔をしてる。自分の「だらしのない」あくびを可愛いと褒められて、どこがだろうと考えてる顔。 「キス、したくなるくらいに可愛かったですよ」 「そんなに?」 「はい」 「じゃあ、たくさんあくびをしよう」  あぁ、くすぐったい。 「そしたら、拓馬にたくさんキスをしてもらえるから」 「ふふ」  ほら、くすぐったくて笑ってしまう。 「そんなのいくらでもします」  笑いながら、キスをして、今日一日がとても楽しかったとまた笑って。  二人でテーブルに座った。 「……さて」 「はい」 「ここで、どうしようか」 「はい」  二人で、本日のディナーを見つめて、また少し笑った。 「……しかし、あの、最初のを釣り上げられていたら、もう少し」 「一番大きかったですからね」 「慌ててしまった」  あの魚は十センチを超えてたもの。 「ちょうど半分にできない」 「ですね」  テーブルの中央、とても高級そうなお皿に、小魚の唐揚げ。  その数、大漁とはどうしたって言い難い……五尾。 「拓馬が三尾、俺が二尾」 「え、敦之さんが三尾でしょう? 釣ったの、敦之さんですから」 「だから、君に捧げたいんだ」  魚にさえ大人気だった。俺が釣り上げたのは、子どもの頃よりも少なくて、今回一尾だけ。四尾、敦之さんの魔の釣竿に引っかかった小魚さんたち。 「俺の、狩猟力に、君が惚れ直すかもしれない」  渋い顔をしてそんなことを言うから笑ってしまった。 「大丈夫です。充分、惚れ直しまくってます」 「本当に?」 「本当です」 「それならよかった」 「だから、はい。敦之さん」 「!」 「あーん」  とてもとってもかっこいい人。けれど、たまにね、俺には見せてくれる隙だらけでふにゃふにゃに笑ったところとか、眠そうな顔とか、可愛くて、愛おしくてたまらなくなるところを見せてくれる。 「! これはっ」 「美味しいですか?」 「とても美味しい」 「ならよかったです」 「ほら、拓馬も」 「わっ、んぐ、ん…………わ、ホントだ。すごい美味しい」  わ。 「こんなご馳走、どこに行っても食べられないな」  ふにゃりと笑ってくれた。 「ですね」  その表情に、今日、ずっと頭上から降り注ぐ夏の日差しが蘇ったみたいに、頭のてっぺんからのぼせそうなくらい、頬が熱くてたまらなくなった。

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