134 / 134
花の王子が行く編 10 マイプリンス
「はい? あくびをしたところ?」
雪隆さんって、美人ですごく繊細で、触れたら手折ってしまいそうに見えるのに。
「あの人は……まさか上条の当主なのに、人前であくびなんてしたんですか?」
「あっ、いやっ、誰も見てなかったっ、ですっ! 帽子被ってたしっ、日差し強かったしっ、みんな釣竿見てたっ、からっ」
敦之さんにだけはお花というより、立派な棘を持ったバラみたい。しかも、花を咲かせていない時の、バラ。
「でもあくびなんてするだろ? 人だし」
「上条の当主は人じゃなくて、当主です」
「ひゃえっ」
おかしな悲鳴がお洒落でモダンはお寿司屋さんに響いてしまった。
創作寿司のお店で、中央に大きな花と植物で作った丸い球体のブーケがぶら下がっている。敦之さんが生けたとかじゃなくて、よく見ると、土の代わりに苔をベースにした丸いのがあって、そこに花とかが絡まり合うように生けられてる。その球体だけで完結しているグリーンガーデンみたいになっているらしくて、偶然、今日の会食に選んでくれたのがこのお店なんだけれど、敦之さんは「生ける」のではなく「生きている」花に目を輝かせてた。それで詳しく話を聞きたいらしくて、しかも、ここのオーナーさんが敦之さんを知っていて。上条さんってあの上条さんだとはっ! って驚いて。
その球体の……なんて説明すればいいのかわからないけれど、苔のことに関して二人でお話ししていて、離席中、だった。
で、敦之さんと、僕と、雪隆さんと――。
「けど、あいつ、学校ではしょっちゅうあくびしてたけど?」
「はいぃ?」
「あははは」
あと、環さん。
「だって学生だぜ? あくびくらいするだろ」
「僕はしません」
「確かにな。お前、小さい頃から、背筋は真っ直ぐ、座るなら背筋は直角。背中にでかい定規でも背負ってんのかと思ったくらい。けど、一回だけ、お前も居眠りしたじゃん」
「はっ? なんっ」
「ガキの頃、覚えてねぇ? 俺がお前んとこ遊びに行って、三人でゲームしてた時。敦之と俺で対戦したら、お前眠くなったらしくて、そのまま俺の肩に寄りかかって」
「はぃぃぃ?」
わ、ピンクになった。
「寝こけてた」
「そんっ」
雪隆さんがピンク色になって、口、パクパクさせた。いつもの綺麗な感じでもなくて、敦之さんの秘書をしている時の花を咲かせてない棘いっぱいのバラじゃなくて、可憐なピンクの小さなお花みたい。
「だから、まぁ、仕方ないだろ。好きな相手と一緒にいたら、油断もするんじゃないか?」
「す、好きじゃないですっ」
「そうなの?」
「すっ……っ……」
好き、でしたけど、って頬に書いてあるみたいに、その頬が真っ赤になった。
「にしても、釣りねぇ。あいつそういうのすげぇ苦手そう」
「上手でしたよ?」
「へぇ」
「俺は一尾でしたけど」
「あいつは?」
「………………四……尾」
「っぶ、あははは」
「上条当主なのに、たったの四尾」
環さんは大笑い、雪隆さんはバラの棘をニョキニョキ伸ばしてた。
「あ、いやっ、あの、全然、すごいんですっ、本当に気長な釣りなので」
「あははははは」
「上条当主なのに四尾」
「いや、あのっ、なのでっ」
できたら、もう少し。
「なんだか楽しそうだね」
もう少し後で戻ってきた方が良かったかもです。敦之さん。
「四尾男が来た」
「上条当主なのに何をしてるんですかっ」
「? ヨンビ?」
今戻ってくると、きっと、環さんにからかわれるし、雪隆さんに叱られますって言いたかったけれど、すでに揶揄われて、すでに怒られていた。
「今日のお店は美味しかったね」
「はいっ、とっても」
「でも、魚の唐揚げわさびソース添えは、俺たちが釣った魚の唐揚げの方が美味しかった」
うまかった、じゃなくて、美味しかったと、言葉を丁寧に扱う敦之さんがとても好き。
「はい。確かに」
そう答えると、無邪気に嬉しそうにする、少し子どもっぽいところのある敦之さんがとても好き。
初めての時は知らなかった表情だ。すごく大人で、なんでも知っていて、なんでもできて、完璧な人って感じだったから。今でも完璧な人だけれど、少し前とは違ってる。
「釣竿は体験プレゼントでもらったから、また行こう」
「はい」
高い釣竿の方がたくさん釣れるかもしれないよ? 周りの、体験ではない、組合提供じゃないライフジャケットを着ていた人はもっとずっと高性能な高い釣り竿を使ってたし、その人達の方が釣れていた気がするもの。
「次はあの十センチ級のが来ても狼狽えない」
「はい」
けれど、いただいた釣竿を大事にしてくれる敦之さんがとても好き。
高級なものを好むのではなく、本質で、見てくれる敦之さんがとても好き。
「俺も次は二尾、釣ります」
気持ちを大事にしてくれるこの人のことがたまらなく好き。
「拓馬」
「?」
「とても楽しかったよ」
「……」
「君の幼い頃なこんなだったのかなと想像できて、とても楽しかった」
「……そんなの」
「俺は欲張りだから、君のどんなことでも知りたいんだ」
王子様、なのに。
「俺も、です」
王子様ってみんなのものでしょう? なのに、敦之さんは俺の手を一番に取ってくれる。
「俺も、敦之さんのどんなところも知りたいです」
「……」
「どんな貴方も大好きです」
だからその手を繋いでいられる男になりたい。貴方の隣を独り占めできる男になりたい。
「あのっ、今度、社内じゃなくて、資格取ってみようかなって」
「それはすごいな」
「取れたら、ご褒美ください」
「いいよ、なんでも」
「本当ですか?」
「もちろん」
世界中の秘宝だって集めてしまえそうな貴方のね。
「やった。じゃあ、頑張ります」
油断しきった寝顔の写真、撮らせてもらおう。貴方の隣を独り占めして、貴方の百面相も独り占めしようと、まだ夏の残りが秋の夜に滲む空に向かって、外回りで少しくたびれた革靴でぴょんって跳ねて、飛んでみた。
ともだちにシェアしよう!