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花の王子の休息編 1 花の王子

 花の王子、なんて呼ばれてた。  笑っちゃうようなネーミングセンスって思うけど、でも、実際に彼を見たら、それが一番ピッタリ来ちゃうんだ。  花道の家元で、セレブで、尚且つ容姿端麗なんて。  誰だって見惚れちゃうでしょ。  雪隆さんが敏腕マネージャーで、敦之さんも最近すごく仕事頑張ってるから、もう相乗効果ありまくり。  もしかしたらメディアで敦之さんのことを見ない日の方が少ないかもしれない。  そのくらい、本当に引っ張りだこだ。 「……」  その時だった、ぼんやりと眺めていた電車内の横長の液晶画面に、敦之さんが登場した。  びっくりした。  すごい、こんなところにも敦之さんが登場するんだ。  あ、もしかして、けっこう前だけど、雪隆さんが言ってたお仕事ってこれ、かな。  鉄道関係の広告の仕事があるからって、嬉しそうにしてた。これでまた上条家の知名度がグンと上がるって。今度、ファッション雑誌の撮影もあるって、ニコニコだったっけ。いつその雑誌出るんだろ。今度聞いておこう。  だってファッション雑誌でモデルの仕事なんてさ。かっこいいに決まってる。  保存用と鑑賞用。それから鑑賞の予備用も。  三部くらいあれば――。 「……」  考えを巡らせてると、画面が切り替わり、敦之さんが花を手に取って微笑んでる。  お花のある生活三分講座、か。  小さな生花を簡単に作れるワンポイントレッスンだって。  でも、確かに、キッチンとか食卓とかに小さくでもお花が活けられてたら、パッと気持ちが華やぐよね。  営業の外回りを終え、電車で帰る中で、にこやかに微笑む「花の王子」を見つめてた。 「あ、やばー、かっこよ」 「花の王子じゃん」  同じ画面を見上げた女子高校生の声に、一瞬、どきんとしてしまった。 「この前、テレビ出てた」 「あ、見た。うちのママが超ファンで」  あ、そうなんだ。すごい。ありがとうございます。 「インスタであげてる花めっちゃ綺麗でぇ、癒しすぎる」 「あれ、全部、家に飾ってあんのかな」  あ、えと。全部じゃないです。でも、お花はキッチンとダイニングテーブルにあります。 「けど、恋人いるんでしょ?」 「らしい」  らしい、じゃなくて、そうです。  恋人がいることは公表してるから。 「一般人でしょー。どうやって見つけたんだよ」  えと、見つけてもらいました、って言ったら、なんだか自慢みたいかな。いや、ちょっと、内心自慢気なんだけど。 「うらやま」  へへ。 「私もこんな彼氏ほしー」 「無理がありすぎる」  俺も、無理がありすぎるというか、奇跡すぎるとは思ってます。  才能あるすごい人で、有名人で。俺は全然普通のサラリーマンで。  たまに信じられないなぁって思ったりもして。  彼女たちの話にちょっとだけ混ざりながら、彼女たちと一緒に画面の中の敦之さんを見上げていると、ちょうど三分講座が終わったところで電車が駅に到着した。  敦之さんが駅で待ち合わせようって、メッセージをくれたけど、まだだよね。その方がいい。忙しい敦之さんを待たせるなんてなったら大変だ。今日も暑かったから、冷たいコーヒーとか買って待ってようかな。でも、時間かかるようならコーヒーぬるくなっちゃうよね。今朝は仕事で出発がすごく早かった。昨日は夜がとても遅くて。その前は泊まりでお仕事だった。ちょっと、忙しすぎる気がする。  ――拓馬は九月の連休、仕事はどう?  そう訊かれたのが一ヶ月前。  きっとそこからこの連休に向けて仕事のスケジュールを調節してくれたんだと思う。  三日間の休みなんて、多忙を極める敦之さんにはすごく難しいことだから。ぎゅって詰めて、三日のフリーを作ってくれた。  ――仕事が休みなら、俺もそこは休みを確保しようと思うんだ。旅行でもする? それか、行きたいところがあれば連れて行くよ。  旅行はまた今度がいいですって言った。  行きたいって言ったら、どこへでも連れて行ってくれるだろうけれど。  日本中、だけじゃなく、たまに海外にも仕事で行く人だから、せっかくの休みは家でゆっくりして欲しくて。  俺も、仕事が忙しくて、帰りの遅い日が多かったんだ。  あ、前みたいに、なんというかブラック的な残業じゃなくて、今、すごく仕事を任されてて。まだ不慣れな部分も多いからそのせいで遅くなってるだけ。  ちゃんと仕事頑張ってる。  もちろん、敦之さんみたいに、彼だからできる素晴らしいすごい仕事、とかではないんだけど。  でも、充実はしてる。 「拓馬」 「!」 「仕事お疲れ様」 「敦之さん」  振り返ると、さっき、電車の中の液晶に映ってた敦之さんよりもずっとかっこよくて。ずっと優しく微笑んでいる本人がいた。 「おかえりなさい」 「ただいま」 「って、あのっ、俺の方が早く着くと思ったのにっ、ごめんなさいっ、俺、待たせちゃって」 「いや、一緒に帰れると思ったら仕事が捗ってね。少し早く戻って来れたんだ。待つの楽しかったよ」 「そんなことっ、すみませんっ、暑いのにっ、疲れてるのにっ」 「外回りの拓馬の方がずっと暑くて疲れただろう?」 「コホン」  一つ、咳払いが聞こえて振り返ると。 「すみません。まだここ駅なので」  背筋がピシッとしてしまうくらいの険しい表情の雪隆さんだった。 「兄さんも有名人の自覚を持って、マスクをするなりサングラスをするなりしてください」  あ、そうです、よねっ。さっきも女子高校生がかっこいいって話してましたし。 「マスクは感染症予防のためにも常にして欲しいと言いましたよね。どうせ、拓馬さんバカなので風邪など引かないと思いますが」  バッ、バカは流石に、あの、一応当主なので。って、あっ! 一応じゃないですよね。失言。 「そして、イチャついてないで車に戻ってください。まだ、ここ、駅なので。それから、まだ確認と返答を教えていただかないといけないメールが何十通ってあるんです。車の中でそれの確認を、自宅に着く前に」 「そうだった。メールね。暑いし、疲れてるのに、拓馬も早く車に乗せないとだ」  けれど、棘、百個くらい飛び出してそうなお小言にも満面の笑みの敦之さんもすごいなぁ。 「おいで、拓馬」 「は、はひいぃ!」  そんなことを考えていたら、手を差し伸べられて、一瞬で「花の王子」になっちゃう俺の恋人に、心臓が飛び跳ねて、変な返事の声が、駅の改札口に響き渡ってた。

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