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新人さんいらっしゃい編 5 彼はいたずら好き
一日中びっくりしてた。
びっくり、が一日続くっていうことにもびっくりしてた。
「あ、何? 柏木さんって、電車?」
「あ、いえ、車なので」
「そうなんだっ」
だって、うちの会社に敦之さんがいるんだよ? 仕事してるんだよ? あの、敦之さんが。
「あ、そうだ。小野池さんと同じ方面なんです。小野池さん、送りますよ」
サラリと自然に俺も一緒に帰れるようにしてくれるスマートな敦之さんが。
「お疲れ様ぁ。小野池さん、お疲れ様でーす」
そんな敦之さんが営業のアシスタントみたいなこと、しちゃった。というか、させてしまった。華道のものすごい家元の人に。なんでもできてしまうすごい人に。テレビでもちょくちょく見かけるし、ものすごいセレブな人に、普通の椅子に座ってもらっちゃって。
「さ、僕らも帰りましょうか。小野池さん」
会社のタイムカードなんて押させてしまって。
「打刻、ちょうどの時間になりましたね」
砂利の駐車場なんて、石ころが跳ねたら高級車に傷が着いちゃうかもしれないところに停めてもらってしまって。
「助手席にどうぞ」
車に乗せてもらってしまって。
「…………」
あの敦之さんが。
「っぷ、あはは、拓馬、一日中驚いたままだったね」
「っぷっはああああああ! どどどどどどういうことなんですか! 本当にお仕事してたじゃないですか! 敦之さんですよね? 何してるんですか? ここどこですか? 一体全体どうなってるんですかっ!」
息、止めてたわけじゃないけど、なんだか車に乗った瞬間、やっと息ができたみたいに大きく息を吐くことができた。溢れるように困惑をそのまま口にすると、敦之さんが笑ってる。たまに、彼は子どもみたいにはしゃぐ時があって。そんな時は大体、雪隆さんが溜め息混じりに、って、あ! そうだよ! 雪隆さんに電話をっ。昼間も、敦之さんが言ってたじゃん。雪隆さんに少し迷惑をかけちゃったって。何してるんですかって、訊いておかないと。敦之さんが何か血迷ってスキマバイトしてるんですけど? って言わないと。上条家当主がこんなところで棚卸しに入力なんてしてて良いんですか? 怒られますよね? 上条家のお父さんとか、それから、ファンとか、門下生とかに。
そう思い、とりあえず、雪隆さんに電話をしてみた。
そう! そうそう! そうだ! この間、雪隆さんから電話をもらった時にもさ、その時はよくわからない不思議なことを言ってたじゃん。
年度末の棚卸し、頑張ってください、って。
わざわざ電話をしてきてくれて。
ご迷惑をおかけしますって。
なんのことだろうって思ったけど。
「…………」
電話、出ない? もしかして、敦之さんがこうして変なことしてる間、お花のお仕事ストップしてるだろうから、雪隆さんもマネージャーのお仕事終わり?
「雪隆、電話に出ない?」
運転をしている敦之さんがちらりとこっちに視線を投げた。
「……」
いつもなら、どんな時もワンコールかツーコールくらいで電話出るのに。忙しい人で本当に仕事中はひっきりなしに動き回っている感じだから、ワンコールで毎回電話に出ることに、電話をかけたこっちが驚くんだ。もう一人、雪隆さんっているんです? と。
「……!」
何度か電話を鳴らしたところだった。
「雪っ、」
やっと電話が繋がったって、飛びつくように名前を呼んだら。
『只今、おかけになった電話番号は……』
「? 雪隆さん?」
声、電子音声じゃなくて、雪隆さんの声なんだけど? これ、今、喋ってるの、雪隆さんでしょう?
「あの」
『ご用件、ご質問、等は、当主、上条敦之へよろしくお願いいたします』
「ちょっ!」
そこで、電話、切られちゃった。雪隆さんなのに、っていうか、こんなオリジナリティ溢れる留守番電話メッセージないでしょう?
「雪隆さん、電話に出ないですよ?」
「あはは。自分の尻拭いはご自分でって言ってたからね」
「んなっ」
「大丈夫。当主の仕事に穴を開けるようなことにはならないから」
「それはそうですよっ」
「あはは、頑張ってよかったな」
「何がですか?」
「こんなに慌ててる拓馬が見られた」
「そんなの見なくていいですよっ」
「いやいや、どんな拓馬もやっぱり魅力的だなと感心してる」
「ただ白目になりかけただけのサラリーマンが魅力的なわけないじゃないですかっ」
「慌てて、ちょっと怒ってる拓馬も素晴らしい」
「すばっ」
「あまりに突然すぎて、言葉がちゃんと出てこないところもとても可愛い」
「んなっ」
「うん」
「なんに言ってるんですかっ」
敦之さんの愛車。普段、仕事の時は雪隆さんも乗った上条家お抱えの運転手さんの車で移動してる。だから、この車に乗ることはあまりなくて。この間、ドライブデートをした時が久しぶりだった。シートは深くゆったりを腰を下ろせるタイプになってて、すごく心地が良いんだ。そのドライブデートで海まで行ったのだけれど、楽しかった。一日を振り返りながら、敦之さんの運転に全部丸ごと任せて。ゆっくり穏やかに。
そんな車の中に、今日は、あははって、楽しそうな敦之さんの笑い声が響いてる。超高級車も驚くくらい、今日一日の困惑をこの中で溢れ返らせてる。
おやおや、今日の車内は賑やかですね。
そう車も驚いてるかもしれない。
けれど、俺の困惑も、雪隆さんの溜め息も、敦之さんには楽しいことらしく、運転をする横顔は、この間、やっと取れた一日オフで過ごしたドライブデートの時と同じくらいに笑顔だった。
すごく、楽しそうだった。
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