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3-1 記者:真鍋貴久

「お疲れ様でした。お先に失礼します」  てきぱきと仕事を終え、定時に上がることになった鷲尾は、相変わらず仕事効率が悪く残業を余儀なくされそうな晃にそう嫌味ったらしく声をかけてから退社した。  会社を出て夜の繁華街を歩いていると、この日も都心の夜は大勢の人間でごった返していた。  酔っぱらってぎゃあぎゃあと騒ぐ若者に、人生にくたびれたサラリーマン達。この不景気だからこそ、どうにか一人でも多くの集客を望もうとしつこい風俗店のキャッチも見られる。  皆、それなりに平和で、それなりに不幸な、それなりの人間共なのだな、と鷲尾は思った。  この世の裏側も知らずに、当たり前の日常を生きる彼らが、鷲尾にはおかしくてたまらなく、フンッと高慢に鼻を鳴らした。  しかしながら、そうして大衆を卑下したい気分になっていたせいか、後方からひっそりとやって来た男に気付くのに遅れが生じた。 「ちょいと失礼」  ふいに声を掛けられ、鷲尾が立ち止まって顔を向けると、目の前にはかなり恰幅の良い中年親父がいた。  クリーニングにも出していないのだろうよれよれのシャツに、かろうじてジャケットを羽織っているようなだらしのない格好で、なんとも生活感が漂ってくる。  髪をオールバックにし、顎に短く生やした無精髭と、歳のせいで垂れてきた切れ長の目もまた、どうにも人を馬鹿にするような胡散臭さを醸し出す。  ちょうど、先ほどに見た風俗店のキャッチの関係者か何かといったようないかがわしい雰囲気の男だった。 「あなた、鷲尾怜仁さん……で間違いはありませんか」  そう聞いてくる目の前の彼は、鷲尾の記憶の中には存在しない男だった。しかしこちらのフルネームを知られているとなると、その怪しさは倍増だ。  鷲尾はほんのわずかに目を細めるが、警戒心を悟られないようすぐに困り顔をつくって首を傾げる。 「はて……どこかでお会いしましたでしょうか」 「ああいえ、今日が初対面ですよ。不躾ですいませんね、私、こういう者なんですが」  言いながら、男は名刺を取り出して渡してきた。鷲尾が視線を落とすと、そこには『記者:真鍋貴久(まなべたかひさ)』と書いてあった。出版社は中堅だが、手がけている週刊誌については、かなりゴシップ色の強いものだ。  記者の類いについて回られたのはこれだけではない鷲尾である。  おおかた、両親の事件についての取材申し込みだろうと合点はいったが、このいかにも怪しいチンピラのような風情の男が、そのような職についていることすらも疑わしい。 「記者の方……でいらっしゃいましたか。どのようなご用件でしょう」 「まあ、立ち話もなんですから、落ち着いた場所でお話ししましょうよ。どうしても外せないご予定……があるんでしたら、別に無理にとは言いませんがね」  軽くあしらって早々にこの場を離れようとしたが、真鍋の“ご予定”という言葉に何か含みがあるような気がして、鷲尾は踏み止まった。  確かに今夜、これから決まった予定はない。だからこそクラブに顔を出しておこうかと思っていたところだった。  まさか、自分がクラブと関わっていることを知っているのだろうか──訝しげに真鍋を見る。 「なぁに、お時間は取らせませんよ。ちょっとだけ、あなたに聞きたいことがあるだけですから」  鷲尾が渋っていると思ったのか、真鍋はそう言って急かしてきた。 「……そうですか。わかりました。俺の行きつけの店で良ければそこでお聞きしますが、いかがでしょう」  それには、真鍋もいささか唸った。どうにか自分のテリトリーに持ち込みたかったようだが、それを拒否されては目的を達成することはできない。  譲歩したのは真鍋の方であった。賢明な判断である。

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