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4-1 篠宮家

 週末の土曜日、鷲尾は晃夫婦の住む都内のマンションの一室に招待されていた。  ずっと実家暮らしだった晃は、どうにか婚姻によって独り立ちをしたが、それでも駅から近い新築の高級マンションを父親に買ってもらったという甘やかしぶりだった。  二人暮らしには少々広い3LDKだが、子煩悩な晃は将来、子供はサッカーチームをつくれるくらいに欲しいと言っては、四つ歳上の妻の美鈴を苦笑いさせている。  しかしながら、そんな一家の大黒柱は、不機嫌な様子だった。 「ちょっと晃ってば、せっかく鷲尾さんが来てくれたのに、その態度はないんじゃないの?」 「だって、みんなも来るって言ったのに当日になってドタキャンっておかしいでしょ。僕、すっごく楽しみにしてたのにさ」 「またそんな子供っぽいこと言っちゃって……」  大きくため息をついて、鷲尾に困ったような笑みを向けてくる美鈴。  鷲尾にもそんな美鈴の気持ちはわかるので、「困った旦那さんですね」とアイコンタクトをとった。  鷲尾以外には特に友人と呼べる人間がいない晃は、身内を集めたホームパーティーによって充実した時間を噛み締めることが幸福のステータスであった。  けれども、今回に限ってはどうにも急用や病欠が重なり、結局、晃夫婦と父親である篠宮社長、鷲尾の四人しか集まらなかった。  クラッカーを持った滑稽な晃は、リビングのソファーの上で体育座りをしている。  呆れかえった末に徐々に苛立ちを感じつつも、鷲尾はテレビ横にある家族写真が視界に入った。  まだ小学生であった晃と、彼の若かりし頃の両親が写っている。  その中で、晃によく似て同じ個所、左目の下に泣きボクロのある母親に視線が注がれる。彼女は今はもうこの世にいない人間であった。  晃が甘えん坊であるのは、母親を幼い頃に事故で亡くしているせいもあるかもしれない。  特に、美鈴は晃にとって普段寄ってくるような金目当ての浮ついた女とは違い、母性に溢れ、家庭的な女性であったことも、晃のハートを射止めた所以だった。  “母親に似ているから”という理由で出会ったその日にプロポーズした晃も晃だが、そんな彼に母性をくすぐられてしまった美鈴も十分に愚かな女だ。  美鈴は何も手伝わない夫と、代わりに手伝いを申し出たその友人、鷲尾に申し訳なさそうにしながら、パーティー用の料理を作っていた。  ショートボブの彼女は、ピンクのエプロンをして、普段ニュース原稿を読む際とはまた違った、妻としての魅力があった。  てきぱきと食材を切り、炒めるフライパン捌きは確かに晃が惚れて当然、といったような手際の良さである。  鷲尾も何度か彼女の手料理を口にしているが、理想の高い鷲尾が内心合格点を出したほどの腕前であった。  あとは皿によそうのみ、となった時、部屋のインターホンが鳴った。  さっと手を拭いた美鈴が出ると、そこには社長──篠宮輝明の姿があった。 「晃、お義父様よ」 「パパ!」  先ほどまで暗い顔をしていたのが嘘のように、晃は玄関へと駆け出した。父の帰りを待つ幼子と大差ないような反応だ。  だが、現れた篠宮は、抱き付こうとする息子を鬱陶しそうに引き剥がした。  ここまで息子を甘やかしている父親などどれほどの親馬鹿と思われるだろうが、決してそのような父親ではない。むしろ、人より何倍も厳しかった。  そんな篠宮が荒れる原因となったのも、やはり妻の死だった。クラブ内で酒池肉林に耽っていたのもそれが大きく関係しているとのことだった。  精神的に不安定になっていたのを発散するように、関係のない他人に八つ当たりし、金を積んでは幾人もの奴隷を壊した。  息子の晃にも、子供には破格な金額の小遣いを与えて愛をくれてやったような気になって、自己満足を得ていたようなのだ。  鷲尾は篠宮へ深々と頭を下げた。憎い相手に媚びへつらうことも、先にある利益を考えればどうってことはなかった。 「お世話になっております、社長」 「ほう……本当に鷲尾くんも来たのか」  鷲尾を見た篠宮は訝しげな目をしたものの、すぐに表情を消した。  篠宮は、鷲尾がクラブの回し者であることを知っている。そして、過去に殺害を依頼した鷲尾忠志の息子であることも。  だが、鷲尾がその事実を把握しているかどうかは──五分五分の様子だ。  何にしてもそのように残虐な思考の持ち主であるから油断はできないのだが、こちらも晃を人質にとっているようなものであり、篠宮としても息子に「あの男とは付き合うな」などとは強く言えないような状況であった。  結果として、既に社内でも親馬鹿の社長が鷲尾に嫉妬しているなどと妙な噂が流れている。

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