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 何も知らぬ晃夫婦は、互いに敵対の意を示す二人の様子に気付くことはない。  晃は父親のジャケットを脱がせてリビングへと押しやり、美鈴は料理をテーブルに用意し始めた。  テーブルに置かれたのは、サラダにカプレーゼ、ローストポーク、パスタ、製造日にこだわった赤ワイン等々といったイタリアンが中心のメニューだった。  晃のこの楽観的で気ままな部分に合っていると思いつつ、鷲尾もテーブルに集った。  鷲尾と篠宮家、奇妙な関係の四人が同じ食卓で顔を合わせる。 「それじゃあ、今日は無礼講! じゃんじゃん飲んで食べて楽しんじゃってよ!」 「晃……。私も忙しい間を縫って来ている訳だから、少しは仕事の話もしてもらわねば困るのだが」 「えー、もう、パパってば相変わらずお堅いなぁ。僕は家庭内に仕事は持ち込まない主義なんです! ねっ、美鈴」 「は、はぁ……」  そんなパスをされても、美鈴の立場の狭さが露見するだけだ。 「ここはもう、僕の家。僕が主なの。わかる? ほら言うでしょ、ごうにはいってはなんとやら」 「郷に入っては郷に従え」 「そう! それで、意味が」 「風習や習慣はその土地によって違うから、新しい土地に来たら、そこに従うべきだということ。また、ある組織に属したときは、その組織の規律に従うべきだということ。つまりこれを篠宮さんの言いたいことに当て嵌めると、『この家は篠宮晃名義で買った、ならこの家でのルールも全て篠宮さんが決めていい。俺達のようなよそ者は大人しくその規律に従わなければならない』……と、そういうことですね」 「そ、そ、そうだぞー! この家では僕が一番エラいんだからっ、いくらパパでも言うこと聞かなくっちゃあいけないんだからね!」  「新居代は誰が出してやったと思っているんだ……」なんとも呆れた表情の篠宮。それには同意しかなかったので鷲尾も彼だけが気付くよう頷いた。 「わ、わかったわ。仕事の話は私を介してでも、また次の機会に聞くことにしますから。日頃の疲れは、ひとまず忘れましょう……。それで良いでしょうか、お義父様?」 「…………うむ」 「おっけー! それじゃあみんな、かんぱーい!」  晃の場を和ますような明るい一声で、四人はひとまずグラスを掲げた。  それから二時間。美鈴の手料理を食べながら、主に晃の自慢話や、他愛のない世間話をしていた四人だが、パーティーは晃の「もう眠たい……」というおねむの声で終わった。  張り切っていた晃は、好物の赤ワインを開けるうちに、一足早くすっかり酔い潰れてしまった。 「ご、ごめんなさいね、お義父様、鷲尾さん。寝かせて来ます……」  美鈴はそう断って、ベロベロになった晃をどうにか寝室へと歩かせていった。少年のよう、を超えて幼児のような男だと鷲尾は思った。  残された鷲尾は篠宮と二人きりになる。社内ではそう話す機会もない彼らは、互いに絶好のチャンスだった。  先に切り出したのは篠宮の方であった。ナプキンで口を拭い、鷲尾を睨みつつ篠宮が言った。企業のトップに君臨するに相応しい、厳しい目つきである。 「それで、私を監視してどうだ? 何もやましいことはしていないとわかってもらえたかね」 「そうですね。今のところは……ですが」 「ふんっ、あれは若気の至りだと言っているだろう。今はもう……いつ命をとられるともわからないのに下手な真似ができる訳がない」 「どうだかわかりませんよ。少しでもあのクラブに関わったことのある人間は狡猾でいらっしゃいますから」 「……君のようにか」 「ふふふ、そうかもしれませんね」  嫌味をさらりと流されて、篠宮は苦い顔になる。五十二歳になり、半世紀で刻まれた皺が今にもさらに増えてしまいそうな表情だ。  父と同い年の彼を見ていると、父ももし生きていればこんな風に歳を取ることになったのだろうか、と鷲尾はふっと考える。  彼に父を重ねているところはなきにしも非ずであったが、それでも自分の父の方が素晴らしい人間になったに違いない、と鷲尾は自己愛たっぷりに思った。  復讐を誓っているとて、まだ行動を起こす時ではない。  計画の目的は、この冷徹な仕事人間である篠宮を完膚なきまで苦しめることにある。  そして、篠宮の最大の弱みとは、その身を傷付けられることではない──あの死んだ妻の忘れ形見にして、最愛の一人息子、晃だ。  まず晃を徹底的に凌辱し、己に陶酔させ、男に辱められることを生き甲斐とする淫らな肉人形にさせる。  自分はクラブで散々に遊んだとはいえ、最愛の息子のそんな姿を見れば篠宮とて平常心では居られるまい。  その大きな野望の中では、今日この場など一つの通過点に過ぎなかった。 「鷲尾くん」 「はい」 「……野暮なことは考えるなよ。今の君は仮にも我が社の社員だ。これからも会社の為に真面目に貢献してくれたまえ」 「もちろんです、社長」  鷲尾はできる部下を装ったにこやかな笑みを篠宮へと向けた。  それを篠宮はどう受け取ったか、深々とため息をついていた。

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