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黙々と資料に目を通しているうち、真鍋の資料を読んでいた蓮見がゲッと声に出して唸った。ぎゅっと眉根を寄せ、強面の顔をさらに人を寄せ付けない形相にする。
「なんだ、知り合いなのか?」
「いや……。俺もちらほらとしか聞いてはいないんですがね、二十年以上前だったか、うちのジジイ、当時のコレが強盗目的のクソガキにレイプされたらしいんですよ。その犯人がこいつです。ま、そんなメンツ丸潰れの話、誰だってしたくはないとはいえ…………はーっ、まさかジジイの逆鱗に触れたのがこんな底辺の若衆だったとはねえ」
黒瀧が巨大な組織である以上、蓮見や柳のようにのうのうと生きている者は一握りだ。
取り締まりの強化もあり、ヤクザもまた貧困に喘ぎ、そうした目先の利益に目が眩んでヘマをして逮捕される人間は五万といる。
だが、当時は今よりも景気の良かった時代である。そこで事件を起こしてしまった彼は、黒瀧の中でも底辺中の底辺。上層部の顔も知らぬ非行少年に毛の生えた程度の人間だったという訳だ。
しかしながら、少なくとも今までその一件以外の性犯罪を起こしたことはないという。
とても改心しているようには見えないが、微々たるものでも己の手で稼ぐことができている今は、風俗に行けるだけの金があるからか。
資料には他にも、どうにも家庭環境に恵まれず、吉村という親分に拾われてかろうじて義務教育を受けた少年期を送る──と、今でこそ好き勝手に生きている中年親父の悲しい裏事情も書かれていた。
とっくに足を洗っていたとはいえ、あの妙に胡散臭い態度は元ヤクザであったからだろうか。
謎に包まれていた真鍋の経歴に目を通し、鷲尾は最後に、刑事という立場上、思わぬ障害とならぬよう念の為調べを進めていた美波の資料にも手を伸ばした。
だが、これもまたずいぶんと意外な結果であった。人間、とても隠し事のなさそうに見える者ほど叩けば埃が出るものだと、鷲尾は無表情を保ちつつも片眉を上げた。
記者の真鍋を鷲尾にぶつけたのは美波薫雄その人だった。それも、鷲尾が夜な夜などこかへ出掛けて行くことに疑いを持って二人して尾行までしていたのだ。
抜かりのない鷲尾であるから、幸いクラブの存在までは知られてはいない。
しかしただの会社員にしては怪しい行動をとっている、とは思われてしまっているようだ。
霧島想悟の件がひとまず片付き、余裕が出てきたことが今回の慢心を生んだのか。それとも篠宮に目を向けていたからなのか。
我ながらなんて些細なミスを犯したのかと鷲尾は小さく舌打ちをした。
警視庁本部にはクラブを介して圧力をかけているため、鷲尾にとって不利益な真似をしてくる刑事はいない。
当時の事件を知る元担当刑事の山内だって、病に倒れた? よりにもよってこのタイミングで? そんな偶然があってたまるものか。
それは鷲尾が手回しをしたのだった。彼はもう目を覚ますことはない、命を落とすのも時間の問題だろう。
全ては未だに鷲尾の“心配”をしてずっと周りをうろちょろしていた山内が悪いのだ。
しかし、所轄の……それも部下の若手刑事となると盲点だった。その若さ故の正義感を持ち、功績を残そうと躍起にもなっている。鷲尾にとって明確な邪魔者であった。
美波は今のところこちらを完全な黒とは睨んではいない。けれど、刑事の勘としてはそうは思わない。
相反する感情の中で、あるいは鷲尾の身の潔白を証明する為に、美波は必死こいて鷲尾を探っている。そんなところだろう。
それ以外にも、こうなれば美波には堕ちるところまで堕ちてもらわねばならない大切な理由がある。
障害は一つずつ、着実に取り除いていくべきだ。それが鷲尾のセオリーだった。
篠宮という大きな敵に到達する為に、ひとまずこの目の前に立ちはだかる男達をどうするか。答えは簡単だった。
「……やれやれ、面倒なことになってきたな。ま、困難が多い方が燃えるってものか」
あらゆる状況を頭の中でシミュレーションしながら、鷲尾は天を仰ぎ、ニンマリとほくそ笑んだ。
まるで舞台の主人公になったかのような快感に眩暈がしそうだった。
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