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12-1 ※鷲尾×真鍋、暴力

 自宅マンションに帰ってくると、路地の暗闇からゆらりと大柄の男が姿を現した。 「……ここで待ってりゃ帰ってくると思ったぜ」 「こんばんは、真鍋さん。それはそれはご丁寧にありがとうございます」 「話があんだ。部屋まで案内してくれよ」  言いながら、真鍋は鷲尾の背中に何かを押し付けた。感触からして刃物の鞘の部分であることは間違いない。  ──彼は本気で殺す気だ。最悪刺し違えることも覚悟しているかのような真鍋。  たった一度犯されたくらいでここまでするなんて、年をとっただけでやはり本質の部分はまるで成長していないのではないか、この人は。  そんなことを考えながらも、鷲尾はひとまず両手を上げて降参のポーズをとった。 「はいはい、わかりましたよ。ですからその物騒なものはしまっていただけませんか」 「お喋りはいい、とっとと歩きやがれ」  それには鷲尾はわざとらしくため息をついてみせた。  マンション前、ロビー、エレベーター、一応真鍋なりに防犯カメラを気にしているのか、まさか刃物を突きつけられているとは全く見えないように装えと命令された。鷲尾も下手に逃亡するよりは部屋に帰りたかったので、大人しく従った。  部屋に入り、鍵とチェーンを閉める。  いつものハンガーにスーツのジャケットをかけている様子を見て、真鍋は鷲尾のあまりの余裕っぷりにさらに怒りの火が点いたようだった。 「それで? 俺があなたの弱味を握っていることはご存知のはずですが」 「あれぐらいで……調子こいてんじゃねえぞクソガキがァッ……」  弱味など知ったことかと言わんばかりに、語気に殺気を纏っている。  真鍋が鞘を抜いて取り出したのは、長く鋭利な牛刀だった。どこから手に入れてきたのやら……しかし、こんなものを用意するとはかなり計画的ではある。  失う物のない人間故の、明確で、必ず遂行せんとする強い意志に満ちた殺意。  ああ、確かにこれなら殺した後、骨ごと解体できるかもしれないな。できるものなら、だが。  それに真鍋は監視カメラにもしっかり映っているし、監視カメラの改ざんも容易な鷲尾としては、社会的地位の低い男のなんと哀れなことかと思う。  それでも鷲尾をこの世から抹殺したくてたまらない真鍋は、後先のことなど考えもしていないようだ。いや、完全に自暴自棄になっていると言った方がいいだろう。 「俺はな……クソみてぇな人生でも殺しだけはやったことがねぇんだよ……。だがな……あれだけ辱められて大人しくテメェの言いなりになるほど人間終わっちゃいない」 「おお怖い。殺人と言うと懲役刑は免れませんよ? あなたのことだからずいぶん残虐な方法で殺すんでしょうし、白髪のジジイになるまで刑務所暮らしかな。まったくあなたという人は昔から蛇の道を歩むことがお好きなんですね」 「今から死ぬのに俺の心配たぁずいぶん肝が据わってんじゃねぇか。それともブルッちまって喋らずにはいられないのか……。まあいいぜ、すぐにその綺麗な顔を歪めてやるよ……。殺す……お前だけは絶対に殺してやるからな……」  真鍋は地を這うようなドスの利いた声で呪詛の言葉を呟いた。  そうして言葉にすることによって、若かりし頃ぶりの、いやそれ以上の凶行に及ぼうとしている自身を鼓舞しているかのようだ。 「そんなに強い精神力があるなら、心神喪失も装えないか。じゃ、とっとと殺してみてくださいよ。……やれるものなら、ね」  なおも挑発を続ける鷲尾に、真鍋はいよいよ堪忍袋の緒が切れたようだった。  めちゃくちゃに雄叫びを上げながら包丁を振り上げて鷲尾に突進していく。さながら狂戦士のようだ。  しかし、相当なブランクのある元ヤクザと裏社会で護身術をも学んだ鷲尾とでは、ガタイは違えど天と地ほどの差がある。鷲尾はまるで猛獣を扱うかのように、真鍋とは真逆に至って冷静でいた。  最初は闘牛相手のように、からかいを含めて数回刃が当たる寸前でひょいとかわしてやった。何度もやっていると、真鍋も学習はするもので、刃物だけではなく鷲尾の身体自体をどうにかしようとする。  体重をかけて鷲尾を押し倒し、刺し殺そうとする真鍋だったが、鷲尾が真鍋の手首を渾身の力で殴ったことから、包丁は真鍋の手からずり落ちていった。  しかし真鍋は諦めなかった。それを追おうとはせず、その手で優男顔をめちゃくちゃにぶちのめそうと勝負に出た。怒りに任せブルブル震える拳を振り上げる。  が、鷲尾も即座に反応して真鍋の下腹を蹴り上げ、身を翻して全力の鉄拳をかわした。 「……ンの野郎ォオオオッ!!」  的が外れて激昂する真鍋。許容範囲外の激情に顔面が真っ赤に染まって、目も血走っている。  一対一の戦闘。それは鷲尾も長らく感じたことのなかった高揚を抱いた。  死体を切り刻むのも良いけれど、立場の弱い人間を手篭めにするのも良いけれど。やはり一見、勝てそうもない人間を相手にし、手玉に取るのはなんとも言えぬ愉悦。  股間に血が集まり、立派な性的興奮を感じ、熱く長いため息を吐いた。  再び襲い来る真鍋に、今度は大人しく思い切り殴られてやった。後ろに数歩よろめいて、壁に片手をつく。  しかし、素直に鉄拳を受けた鷲尾に対し、真鍋はというと、意外そうな顔をしていた。  なんて爽快な気分だ。ようやく楽しくなってきた。くつくつと喉を鳴らして笑う。 「……な、なにがおかしい」  顔を上げた鷲尾は、とても暴力を振るわれた直後とは思えぬ晴れやかな笑みを浮かべていた。 「ああ痛い。やりましたね、真鍋さん。俺、悪意をぶつけられるほど燃えるんです。ふふふ、これで思う存分やり返せる」  呆気にとられている真鍋の胸倉を引っ掴むと、そのまま反動をつけて頭突きを食らわせた。  真正面から打撃を食らった真鍋は、不意を突かれた攻撃に踏み止まることができず、その場に崩れ落ちた。  鷲尾はすかさず腹の上に馬乗りになり、間髪入れずに真鍋の頬を拳で思い切り殴った。 「おい、クソジジイ」  もう一発、今度は反対を殴る。その衝撃で唇が切れていた。 「あれだけ吠えておいてこの程度ですか。もうお年ですからね、身体が鈍ったのではないですか?」  じりじりと手を伸ばす先の包丁を取り上げ、真鍋の喉笛ギリギリに刃先を向ける。 「俺ももう次はないって、ちゃんと忠告してあげたのに。おいたが過ぎますよ。ねえ……お仕置き、しましょうか」  子供に言って聞かせるように言うと、鷲尾は包丁を握った手を振り上げた。

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