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18-1 鷲尾×美波

 美波が自宅に帰って来たのは、かなり遅い時間だった。それでも、今の美波には急ぎ足で帰る理由がある。  独り身の部屋に、明かりが点いている。アパートの階段を駆け上がり、鍵を開けて開口一番。 「ただいま戻りました!」 「おかえりなさい」  その一言が返ってくるだけで、感無量である。美波は目尻に涙を浮かべそうになるが、温かい食事の匂いに無意識に腹が鳴り、引っ込んでしまった。 「おっ、おおー!」  帰る時間は連絡しておいたので、食べ頃になるちょうど良いタイミングで作ってくれたのだろう。  肉じゃが、白飯、豆腐の味噌汁にほうれん草の胡麻和え、それからかぶの浅漬けといった健康的な和食。美波の大好きな、実家の母がよく作ってくれた家庭料理だった。  それに、朝バタバタと散らかして出て行った部屋もきちんと片付いている。脱いだ服──特に汚れた下着や靴下──も見られたかもしれないことは、もう慣れなければいけない。それ以上のことをしていても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。 「鷲尾さんて家事も完璧ですよね……それに比べ俺と来たら……あ、じゃあ皿洗いはさせてくださいね」 「風呂掃除くらいで良いですよ。頻繁にお皿割ってそうだし」 「なぜばれた!?」 「おっちょこちょいだから」 「……返す言葉もございません……」  申し訳なさそうに肩を竦める美波。実際、自分にも何かできることはないかと家事の様子を物珍しそうに覗き見られるのは鷲尾にとって迷惑だったので、その時は素直に邪魔だと軽く足蹴にしてやった。 「ああ……でも、風呂もいいかな。この前、盛大に滑って転んでたでしょう」 「う……。今日は気を付けるから大丈夫ですって!」  美波から同棲を迫られてからと言うもの、鷲尾はそんな状況に嫌気が差したこともあるが、自宅付近にはあまり来てほしくないと考えた。なら話は簡単だ、自分が美波の家に転がり込めばいい。  美波の方はというと実に単純で、二人で住める物件が決まるまでの間、という理由ですぐに合鍵を作ってくれた。  毎日という訳にはいかないが、こうして少しの家事をやって、とりとめもない雑談をして、夜はセックスして、恋人っぽい気分にさせてやればいい。 「……あの、そういえば。鷲尾さんって、前から香水か何かしてました?」  内心、柄でもなくどきりとしてしまったことが悔しい。  普段は香水なんて付けないし、香りに敏感な者が顔をしかめるような体臭にもならないよう、最低限に気を付けている。  けれど、今の状況は。数々の凌辱の痕跡を紛らわす為に、こうして人工香料を使うこともある。 「どうしてそんなことを?」 「す、すいません。俺の気のせいなら良いんですけど……」 「それなら、職業病かもしれませんね……ほら。今日サンプル頂いて。やっぱりこれ、ちょっと香料強めですよね。開発部に言った方がいいかな」  いつでも数種類は持つ癖が役に立って良かった。美波はサンプルの香水をくんくん嗅いで、同じものだと納得するや否やホッと胸を撫で下ろした。 「はあぁー……良かった、ちゃんと鷲尾さんの匂いだ。いや、鷲尾さんのお仕事って、やっぱり女性が多いから……うん。ねっ?」  もしかして妬いてるのか? そもそも恋人でもないくせに。  それにしても美波の嗅覚は驚くべきものがある。職業というより、個人として。花粉症なんて何のその、と高らかに笑っていたこともあった。  今でこそこんな奇妙な関係であるが、最初は……最初こそ、犯罪者の、殺人者の死臭を本能的に感知して興味を持ったのでは?  ……考えすぎか。 「俺には美波さんしか居ないから大丈夫」  と、こちらも対抗するように重すぎる言葉を吐いて美波の頭を撫でるが、うっとり表情をとろけさせる彼からすれば、キラーフレーズになってしまった。  美波が飯を食っている間に風呂の準備をして、先に入り、交代で美波が風呂の間に洗い物をした。  夜も更けているので、テレビ番組もあまり放送していない。深夜枠のバラエティーや、通販番組くらいだ。  美波が早く帰って来れた日は観ることもあるけれど、今夜はいいだろう。  寝支度をして、二人してベッドに入った。最初は鷲尾は床で寝るつもりだったが、良しとしなかったのは美波だ。  「そんな真似をさせるくらいなら俺が床で寝る」とでも漢気のあることを言うかと思いきや、「なら一緒に寝よう」などと斜め上の台詞を吐いた結果がこれである。  無論、鷲尾とそういう関係になるつもりで買った訳ではないので、シングルベッドに男二人はすごく狭い。長身の鷲尾がややくの字になって添い寝をする形だ。  しかし、美波は密着されるのが好きなようで、彼の髪で遊んでいると、すりすりと頬を寄せてくる。  ただ、それをここ数日はやらなかった。  なんとなく深刻そうに美波を見つめて……ため息をついて……不貞寝してしまう。それだけ。何もしない。 「んっ……。鷲尾さん、最近元気ないですねー?」  と、美波の前では以前のように陰のある男を演じていた。

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