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23-3 追求〜失踪

 鷲尾忠志──実の父は正真正銘の善良な人間だ。  もちろん鷲尾と違い犯罪どころか、やんちゃをしたこともない。仕事熱心で家庭的で、友達も多く、誰にでも気さくで優しい、聖人君子のような男だった。  だから目の前の篠宮輝明には嫉妬の対象となった。  何のしがらみもなく、好きなように勉強をして、好きな友達と遊んで、好きな人と恋をして……篠宮よりも人生を謳歌しているように見えたのだ。  人知れない苦労もあっただろうが、誰より輝いていて、家の為にあれをやれこれはやるなとがんじがらめにされていた篠宮にとっては、大学で出会った彼が羨ましくてたまらなかった。  だからこそ、大学の四年間は親友として接していたんだろう。  篠宮もまた、忠志に感化される部分があったことは紛れもない。友達ごっこをできるほど、彼は器用ではないはずだ。  けれど、就職後お互いに家庭を持ってそれなりの地位に就き、クラブを知る頃に殺害依頼をしたということは、やはり根本には忠志への並々ならない妬みがあったとしか考えられない。  結局成績も勝てず終い、仕事こそ篠宮家という大きな力が働いているが、それは実力ではない。  自由恋愛も許されず、息子は自由奔放と言えば聞こえは良いが、厳格な篠宮家には似つかわしくない性格だった。  そして最後には妻が事故死する始末。  自分はこんなに不幸な人間なのに、忠志だけ幸せな家庭であるのは許せない……そんなくだらない理由。  鷲尾ならヘマはしない。  実力で相手に打ち勝つし、それがどうしても不可能だと言うのなら、何をしてでも相手を蹴落とす。そう、何をしてでも、だ。  幸福の尺度など人それぞれだろう。  実態を知らなくとも裕福な家を羨む者はたくさんいるし、逆に生活に困窮していても、家族仲良く暮らすことこそが幸せだと信じている者もいる。 「……忠志……と、望さんのことは、十四年前から片時も頭を離れない……忠志が家族を語る幸せそうな笑顔を思い出すたび、私はなんて恐ろしい真似をしてしまったのか、未だ夜も眠れない。だから……だからあの時はせめて、晃と同い年の君だけは生かすよう命じたんだ」  それは十四年越しの告白だった。  生かされた? この篠宮に? それが彼なりの父性、良心というものか。  自分の生き死にさえこいつに左右されていたとは、鷲尾は考えもしなかった。  じわじわと身体の芯から高ぶるものがある。怒り? 憎しみ? そんな容易い感情ではない。  やはり篠宮輝明だけはこのままでは駄目だ。死んでも死に切れない地獄を見せてやりたい。 「俺も殺しておくべきでしたね。結果的に俺を生かしたことで生まれた犠牲は多い」 「……そうだろうな。だが……幼い子供まで巻き込む選択は……私にはできなかった」 「甘いなぁ社長。ご子息のように甘々だ。俺ならもっと徹底的にやる」 「ああ……今ならお前も殺しておくべきだったと心底思う。だから晃の居場所を吐け……」 「あなたが二度と足を踏み入れることのできない場所……かな」  それは一つしかない。 「あのっ……クラブ……! 貴様ァッ……! 忠志と同じように私を苦しめるのか! 貴様さえいなければっ、私はっ、私はァアアアッ……!!」  もう鷲尾に忠志の幻影さえ見ているのか、錯乱した様子の篠宮は胸ポケットの高価なボールペンを取り出した。目でも抉るつもりだろうか?  中年男の攻撃など楽にかわせるが……ここは社長室。それを利用することにした。  わざとフロア中に広がるような金切り声を上げて助けを求めた。 「う、うぅっ、仕事の話をしていたらお怒りの社長が襲いかかってきて……助けてください……殺されるぅ……」  そう、騒ぎを聞いてさすがに社長室に入ってきた秘書の脚に縋って泣きついた。  篠宮は警備員に羽交い締めにされて止められていたが、息を荒くして目を血走らせていた。  そんな彼をひと睨みすると、嘲笑うように口端だけを吊り上げてやった。  鷲尾の計らいから警察には届けなかったが、社長の気性の荒さと、相変わらず定時近くになっても姿を現さない晃のことは、すっかり社内に広まってしまった。 「……大変だったのね、鷲尾さん」 「昇進の話かなぁとか変な期待持たせちゃってごめんね……」 「でも社長、息子より鷲尾くんが出来るからって、ありゃあまずいよ。マスコミにでもバレたらどうなるか……」 「別に良いんです。俺は社長から嫌われているようですし。それに……ここのところ、篠宮さんとも、上手くいっていなくて」 「え? どうして? 喧嘩でもしたの?」 「まあ……そんなところです。でも、大の大人のちょっとした喧嘩ですよ? まさか社長にまで伝わってあんなことになるとは……。俺……クビになるかもしれませんね」 「そ、そんなのはいくらなんだって不当だろう! しかもただの喧嘩で親が出てくるなんて……初めは僕も今時の子はこういうものかと思ったが、まったくうちの会社は篠宮家に私物化されすぎだ!」  同僚も、上司も、皆が鷲尾を庇ってくれる。良く思ってくれている。  違った目線で見れば篠宮親子が「何故そんなことになったのか」と疑問に思う者はいない。彼らを心配する者は誰もいない。 「どれだけ社長が言ったところで、僕達は全面的に君を信頼しているからね。絶対クビになんてさせないよ。むしろ晃くんの方が……ねぇ」  課長は苦い顔になった。 「そういえば、篠宮さんはどうしました。結局今日は来なかったそうで」 「それが、連絡しても全く音沙汰なしだったんだよ……」 「そうですか……。なら、俺から奥様へ連絡してみます」  美鈴からも、答えは同じだった。いつも遅くはなっても必ず帰るはずの晃が、今夜は帰って来ていないようだと。  メッセージも送っても送っても一向に既読にすらならない。留守電を残しても、電話にも出やしない。  それもそうだ。家を出たきり、全くの行方不明なのだから。  晃が忽然と姿を消してから、美鈴はありとあらゆる方面に連絡をとったが、居場所を知る者はいなかった。  唯一、失踪に心当たりがあるなら、浮かぶのは実際には存在しない別の女。  戸惑う美鈴が帰宅すると、晃の欄だけが記入済みの離婚届と結婚指輪が、ポツンとリビングのテーブルに置いてあった。  それから、差出人不明の──おそらくは浮気相手からの音声ファイルが一つ届く。  美鈴が藁をも縋る思いで再生すると、「美鈴とは別れる」「幸せになろうね」「彼女には何も知らないままでいてほしい」など、鷲尾にとって都合の良い部分だけを録音して編集したものが流れた。  満身創痍の妊婦をさらなる絶望に叩き落とした。

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