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END(30-2)
「よ。鷲尾」
クラブに帰るなり、珍しいことになんと霧島想悟から話しかけられた。
しかしこの二十五歳になった想悟は、クラブを潰してやるなどと言っていた青年とはずいぶん見違えた。
二年前、春から夏の三ヶ月間を学園関係者への凌辱に費やし、しかし悪夢が終わったのもつかの間、養父が寿命で他界し、そして神嶽に会ったはいいが何故か生かされてしまった。
その理由はきっと、「自分は八代だけでなく霧島麗華の血を引いている。自分がまだ神嶽に認められていないから、殺しても仕方ないと思ったのだろう」──要約するとこうだ。
つまり想悟があの神嶽でも認めざるを得ないような能力を持ち、感情すらもだんだんと捨て去っていけば、素晴らしい支配者になり得る。
明皇学園での三ヶ月はテストも兼ねていたので、あまりにも良心の方が勝るような情けない人間ならば、身体だけ実験に回せば良いと思っていた。
それに関しては、想悟の成長、神嶽が接触を図ってきたこと、鷲尾にも想像もつかなかった。
……けれど、ここはその想像もつかないことが起こる世界。地下クラブ。いちいち驚いてなんていられない。
想悟は、クラブの正式な後継者となってから、しばらくの間はここで過ごす為の掟や知識の勉強、時には身体をも使った技術向上。それにトップシークレット級の情報も目を通しておかなければならない。
そんな毎日で本業こそ辞めていないものの、教師とオーナー見習いの二足の草鞋で、かなり多忙な日々を送っていた。
というよりも、想悟は今、将来的にクラブに安定した供給ができるよう、明皇学園の奴隷施設化を計画している。
どんな形であれ学園には関わっていた方が、本人もクラブの為にもなる。
しっかりした男になった、いや、元よりそんな力強さが隠れていたのか。
本当は彼の行く末も見守りたかったが、人生は一度。自ら取捨選択せねばならない。
「想悟様。どうかなされましたか?」
「……いや、ちょっと。今日は蓮見と柳を見ないな……と思ってさ。あいつら、毎日のように居たのによ。ましてや休日だぞ? 鷲尾、お前何か知らないか?」
「さあ、俺も見ていないので何とも」
「……わかった。仮にお前が何か隠していようが、あいつらが居なくなろうが、俺には関係ないか。クラブがいつも通り円滑に回ればそれでいいんだろ」
「想悟様、そのことでお話が」
鷲尾は懐から取り出した白い封筒を手渡した。
「は? なんだこれ?」
「見ての通り辞表です。ま、こんなものは形式だけのものではありますが……こうした方があなたには信じていただけるかと思いまして」
想悟が中身を取り出して見る。理由は一身上の都合だ。
「足を洗うってことか……お前」
「既にクラブの支配者としての大きな歩みを踏み出したあなた様には、もう俺は必要ないでしょう?」
「そう……かもしれないけど。でも、」
「ああ、引き止めないでください。別れが惜しくなってしまいます。短いお付き合いではありましたが、とても楽しませていただきました。本当に感謝しております、想悟様」
「最後まで嘘ばかりだな、お前って奴は。……まあ、いつかこんな日が来るとは予想してたけど、確かに早すぎたかも。影でコソコソやってたみたいだが、何か目的を達成したんだろ? 会員共もそれはそれは上機嫌だし、良かったな」
「ばれてる」
「この俺に嘘をつこうだなんて百年早い」
この場所に初めて来た時の無垢な青年と同一人物とは思えないほど自信ありげに言う想悟に、鷲尾は彼が支配者としてずいぶん強くなったのだと実感した。
だが、まだまだ伸び代がある男だ。このまま力を増幅させていけばクラブの為にも“あの方”の為にもなる。
クラブを背にしながらひらひらと手を振る。
あの日あの時、“あの方”が去ったように、自分も。
想悟やクラブの人間とは金輪際二度と会うことはない。
それは想悟も察しているだろうが、その心をあえて彼が読んだかどうかは、もうわかる術はない。
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