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〆END(30-5) ※グロ、カニバリズム、流血
まるで恋人を愛おしむかのような手つきで頬を撫でる男の考えなど計り知れない。しかし鷲尾は彼の悪魔的な魅力に見惚れてしまった。
こんなにも近くでこの男を見たことがあっただろうか。今まで彼の手に堕ちた哀れな奴隷達の気持ちがわずかながらもわかった気がした。
そうして鷲尾が意識を呑まれている間に、神嶽の手は白い首へ、肩へと下りていき、両腕でふわりと優しく抱き締める。
「神嶽様」
半ば困惑する鷲尾に、神嶽は低く呟いた。
「死を選ぶのだな」
その言葉の真の意味を理解する隙も与えられないまま、神嶽は鷲尾の首筋に思い切り食らい付いていた。
「ぐがぁあアアアアアアッ……!!」
ブチブチと皮膚を食い千切られる不気味な音が鷲尾の耳元で聞こえたかと思うと、次の瞬間には灼けるような猛烈な痛みが襲う。
「ぁがッ……く、はぁ、はぁ……アアァッ……ぐ、ゥ……」
ここまでの肉体的苦痛を味わうのは初めての出来事だった。情けなくも声が出てしまうのを抑えきれない。
幸福感でいっぱいの精神とは裏腹に、身体が小刻みに震えだす。しかし、神嶽の力は強く、逃げ出せそうもない。
だが、ここまでやって来た鷲尾にもはや逃げるという選択肢はなかった。
「がみ、おがざまぁっ……最後に、一つだけ、俺と約束を……」
神嶽の動きがぴたりと止まった。
こんな自分の遺言に耳を傾けてやるつもりなのだ。それだけで鷲尾は嬉しくなった。
「そ、想悟様のお命だけはっ……どうかまだ、お許しを……。っはぁっ……あの方は……今は未熟ですが、いずれは、もっと……もっと強大な力を、お持ちに……なることができる方……。だからっ、だから……」
神嶽が眼を細めた。
「…………その時が来たら……絶対に、想悟様も、取り込んであげて……くださいませ……うひっ、ひひひひっうひゃひゃひゃひゃひゃぁぁあああああああっ!!」
──もうすぐ俺は死ぬ。神嶽様のお身体と同化して、顔、肉体、人格、頭脳、あらゆる部分を使っていただきながら、俺という存在は永遠に生き続ける。将来、皆と神嶽様の中で再会するのも楽しみじゃないか。
鷲尾はそう考えただけで得も言われぬ喜びに狂ったような笑い声を上げた。
神嶽はまた“食事”を始めた。
先ほど食い破った見るも無残な傷口を広げるように、肌を破り、肉をガツガツと貪っていく。
今度こそ本当に鷲尾を殺す気でいる容赦のないやり方だ。
神嶽の歯は頸動脈まで達したのだろう。ブチィッと何か太いものが切断された感覚があり、
「グギャァアアアアアアアアアッ!!」
そこから鮮血が噴き出して、真っ赤な飛沫が天に散った。次の瞬間には神嶽の髪から身体からべったりと返り血が染みた。
血反吐まで込み上げてきて、もうろくに喋ることすらできない。
気道が自分の血で完全に塞がれるのが先か、このまま出血し続けて失血死するのが先か時間の問題だ。
痛いという言葉では済まされないほどの激痛。そして苦しみ。
でもそれだけじゃない、何故だか不思議と、脳みそが溶けていくような心地良さがある……。
「オエェッ……が、あぁ……ぁ……はっ……はははっ……」
目の前がチカチカ点滅し、クラブの内装のように赤く染まっていく。
自分が自分でなくなっていく。全身に鳥肌が立つ。怖くてたまらない。
なのにまるで愛しい両親に頭を撫でられているように安心する。
意識を失いかけている頭で、鷲尾ははたと考える。
生きとし生けるもの者全てが、何らかの犠牲を払わずには生きられない。シンプルな答えがそこにはある。
俺は、俺が満足する生活の為に他人の人生を犠牲にしてきた。
では、神嶽は?
…………自分の為? いや違う。数多の犠牲を強いる男がそんな安易なものの為に動くことなどあるはずもない……なら、どうして。
神嶽は、いったい何の為に生きているのだろう。生き続けて……どれだけの魂を食らっているのだろう。
ああ、わかったぞ。人口……発展……平和……この世界、いや地球の全てが均等に保たれる為……なのかもしれない。
あまり人に干渉せず、常にどこか遠くで見守り、しかし時には自ら行動することもある。その思考は極めて気まぐれだ。
そうだとすれば、なんて残酷で、美しい神なのだろうか。
しかしもう、どうだっていい……。俺はあなたという神の供物になれる……。それだけで……生まれた意味があったというものだ。
誰がなんと言おうと、こんな風に死ねるならば俺は世界一の幸せ者だ。
「鷲尾怜仁……お前は想悟と違ってこうするだろう愚かな男だと思っていた。俺は“死の欲動”を抱えた人間は食わない」
そんな重要なことも、もう鷲尾の耳には入らない。
嬉々として死のうとし、自らの命さえも軽んじる彼は、やはり強欲に、都合の良い世界に浸ってしまった。
失望した訳ではない。一時行動を共にして、魅せられすぎた結果、いずれ死さえ求めるようになる人間は神嶽にとって多々いるもの。
鷲尾は愚か者の縮図。道化と言えど、真に賢くなりきれなかった人間の末路だ。
どれだけ優秀でも、寿命が長くても、容姿や技術等のメリットがあっても、食うには値しない。言うなれば穢れた者。
美味であっても毒とわかっていて食う者などいない。それが真実だ。
無情にとどめを刺しにかかりながら、男は思う。
────生きている人間の数だけ、それぞれの日常がある。
平凡で、平和で、現在の生活がいつまでも続くことを信じて疑わない。いつかは死が訪れると頭ではわかっていても、どうしても現実的には感じられない。
だが、時にはそれが良い。ありふれた人間が無数にいるからこそ、日常と非日常を共存させることができる。
「グゲッ」
鷲尾が最期に聞いたのは、自分の間の抜けた声だった。
◆
──次のニュースです。
昨日午後、東京都内の霊園にて成人男性と見られる遺体が発見されました。
遺体の損傷が激しいことから、警察は殺人事件と断定し身元の特定を進めており──
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