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第3話
喫煙所から宮末 が出てくるのを見て櫻岬 は思わず彼を捕まえてしまった。
「フューチャーってタバコ吸うの?」
「うわ、びっくりした。紅 ちゃんか」
拼音 は合っていないものの中国語に倣ってそう呼ぶのは、間違いなく宮末だった。煙草臭さを感じたことも、また身勝手に構築されたイメージからいっても宮末に煙草吸いの印象はない。
「いんや、喫煙所にいた教授に用があっただけだけど。なんで?」
「タバコ吸ってるイメージ無かったから。吸ってたら吸ってたでエモいけど」
「吸わないな。吸ってみるか。あまり興味が無かった。いいものか?」
「知らない。オレも吸わないもん。周りの奴等も吸わないわ、そういえば」
宮末とは同い年だが、彼といると櫻岬は自分が年少者になったような心地がした。彼がふと頭や肩に触れてくるのもそうさせる要因に違いない。途端に自分が近所の子供や歳の離れた弟にでもなったかのような錯覚に陥る。そういう不思議な雰囲気が彼にはある。
「タバコは幼少期の口唇欲求の現れだと聞いたことがあるけれども」
「え?」
「口が寂しくなるってこと」
「なる?」
松籟 転じて"フューチャー"はけらけら笑った。
「たまにはな」
「なるんだ?」
「男なんぞはいくつになっても赤ちゃんだからな」
宮末の行くほうに櫻岬も足を運ぶ。ほぼほぼ無意識だ。それでいて行く方面は合っている。
「でもフューチャーは、めちゃくちゃ大人の男って感じするじゃん」
「お、そうか?ところがどっこい、結構バブちゃんかもよ?」
「それはないね。それはない!絶対ない」
櫻岬がきっぱりと言うのを彼は面白がる。談笑していると前を通り過ぎようとした本館から吉良川 が降りてくるのが見えた。朝早くから課題でもやっていたのだろう。webデザインの講義を確か取っていたと聞いた。
「おはよう、吉良川」
吉良川が宮末を苦手がっていることを知っている櫻岬は、朝から声を掛けられてその表情がどきり、身体がびくりとするのを見逃さなかった。
「お……はよう」
声が厳つく強張っている。しかし宮末はそれを気にした様子はない。
「おれたちが一服している間に偉いな」
真面目で爽やかな男なりの冗談だったのだろう。しかし吉良川は眉を顰めたまま、睥睨 するような面構えになっていた。そしてやはり颯爽としたこの嫌味のない優秀な学生は、自分に向けらた負の感情を認めることもないようだ。
「煙草か」
吐き捨てるように吉良川は言った。
「おはよ、きらりん。ウェブの課題 ?」
「おはよう。授業で使うのを入れてきた」
明らかに態度が違う。櫻岬は兄貴分みたいなのをちらと見た。彼は気分を害したふうでもない。避けられている本人にその自覚がないのであれば板挟みではないのだけれど、櫻岬は自ら挟まれた。会話は消え失せる。それでも今向かっている1コマは大規模で、この曜日のこの時間となれば、ほぼほぼ間違いなく取っている講義は同じだ。ところが目的の講義室のある7号館を前にして吉良川は2人から離れた。
「用を済ませてから行く」
おそらく用などない。知っていながら知らないふりをした。
「またな!」
宮末は何も知らずに無邪気な態度で手を振る。
「おれさぁ」
「うん」
「吉良川に何かしたかな」
心臓が跳ねて脈を飛ばす。喜悦とはまた別の引き笑いに似た、発作的なものが出そうだった。
「な、な、なんで……」
「いやぁ。なんかおれに対しての態度、変じゃない?おれ結構吉良川のこと好きなんだけどな。真面目だしさ。だからおれから故意に悪気あって何かしたとか、そういう覚えはないんだよな。ってことは、おれ、結構無自覚に失礼なこと言ったりしてんのかもな。紅 ちゃん、おれのことはっきり言ってどう思う?おるってヤバいヤツかな?」
「えっ……えぇ……」
返事に窮した。櫻岬も何故吉良川が、この嫌う理由も分からない好青年を苦手がるのか見当がつかないのだ。
「紅 ちゃんが言うならマジだと思うから、直せるよう頑張るわ」
「フツーに相性じゃない?フューチャーがどうこうっていうより、どうやっても合わないってあるじゃん。だから別に、フューチャーの何かが悪いっていうんじゃないと思う」
じっ……と精悍で端正な顔に見つめられる。怯んでしまう。
「紅ちゃんってやっぱいいやつだな」
「フューチャーに言われると悪い気しないけどさ」
「でも、そっか、相性か。相性じゃ、仲良くしたかったけど仕方ないよな。離れてたほうが安定してる関係とかあるもんな。サンキュー、紅ちゃん。よく分かった」
背中を叩かれ、また弟や近所の子供になってしまう。吉良川が何故この気の好い兄貴分を嫌うのか分からない。
7号館での講義が終わると宮末と別れ、そこのラウンジで遅めの朝飯を食った。建物はナンバリング通りに並んでいるわけではなく随分と入り乱れて建っている。学部学科で限定されている棟はほんのわずかだ。次の講義はすぐ隣の建物で学生生協や食堂が入っているが、それもまた6号館でも8号館でもなかった。もっと数に開きがあった。握飯のバリバリと乾いた海苔の音を立てる。ツナマヨと鮭を買った。講義の終わった7号館の1階ラウンジに人気 はほとんどない。そういう静かな場所で飯を食うのが好きだった。しかし足音が近付いてくる。バリバリと海苔のカスが落ちていく。憂いた顔の吉良川が立っている。誰が彼に"きらりん"などと嫌味臭い愛称を付けたのだろう。
「どした?きらりんも食う?」
割引シールの貼られたチョコチップスティックの袋を掲げた。レンズ越しの目は伏せられ、首を振った。
「どったの」
「いつもの友人たちはいいのか。食堂に居たぞ」
「マジか。学生会館か食堂って言ってたけど、場所取れなかったんだな」
握飯の最後の一口を収める。添加物まみれと言われてもぱさぱさしたつやつやの少しプラスティックじみた白米に魅力を感じるのだ。動く気配のない櫻岬の傍に吉良川は近寄った。
「隣、いいか」
「うん」
彼は俯いている。握飯のフィルムを剥いている間も黙っている。まだ少し食っている時間はある。
「次の講義どこ?オレ隣」
「俺も」
「じゃ、一緒だな」
先程のがツナマヨだったため、鮭の握飯をかぷりと食 んだ。無言だ。咀嚼の音を聞かれそうでむず痒い。
「俺に気を遣って、いつものグループから離れているんじゃないよな」
「フツーにオレの意思だけど。なんとなく気が合うから一緒にいて、なんとなく時間が合うから一緒に居るだけ。そんな、アイドルグループとかじゃないんだし、ぎちぎちに固く考えてないよ。下手に仲間意識持って柵 感じたら崩壊 だね。気が合いそうなら来るものは拒まないし、去るものはまた来たら?って感じ。出入り自由だよ、多分」
「そうか。自惚れみたいなことを言った。忘れてくれ」
「うん。まぁ、自惚れでもいいんじゃない?新しい友達って感じで、オレ、結構きらりんに興味あるよ」
吉良川はカァッと赤くなって顔を背けた。
「持つな。俺なんかに。興味なんて」
「そう?」
握飯を平らげ、吉良川と次の講義に向かう。宮末は違う棟に行ったけれども、もし仮にここで彼と合流したらまた用があると言って逃げてしまうのだろうか。
「宮末と」
「おっ、えっ!うん?」
内心を透かされたのかと櫻岬はまた飛び上がる思いだった。この大袈裟なリアクションは周囲の人々の注目を集めてしまう。レンズの横、フレームの奥で呆れられる。
「なんだ」
「びっくりしただけ。で?」
「櫻岬は煙草を吸うのか」
「吸わないよ。フューチャーも吸わない。でも吸おっかなって目下検討中」
すぐに反応はない。思案中といったようで、レンズに触れそうな長い睫毛の下のフレームの奥の瞳は伏せられている。
「今朝喫煙所から出てきたところ見てさ、それで―」
朝、吉良川に会うところまでの経緯を話す。苦手ならば、何故宮末の話題を振ったのだろう。
「吸わないで済むなら吸わないほうがいい」
「そだな。ま、フューチャーなら絵になると思うんだよな。ああいうの……ああ、あれだ、ハードボイルド」
共感しかねるとばかりに眉間に皺が寄った。
「そうか?宮末はもっとこう、爽やかな雰囲気だろう。ハードボイルドという柄ではないな。あれはニヒルな感じだろう」
真正面からレンズを隔てた双眸を捉えてしまう。時間が止まったような気がした。鼓動がどくりと大きくなる。
「な………んだ」
す……っと側められ、見つめ合っていたのを強く認識させられる。
「えっ、あっ………いや、きらりん、フューチャーのこと、結構よく見てんね………」
「違う!別によく見ていなくても、分かるだろう!」
櫻岬は苦笑した。弱みを見せたくないのだろう。そのように映った。そのように……
柊と"七瀬ちゃん"なるカップルとばったり出会 すと半ば強制的に3人で飯を食うことになった。食堂に連行され、カップルを目の前に名物の大学カレーを食らう。じゃがいも大きめ、にんじん小さめ、玉ねぎは微塵切りで挽肉多めに福神漬けもルーに混ざっている。柊はにこにことして魚の塩焼き定食を食い、"七瀬ちゃん"は少し伸びたようなミートソーススパゲティを食っていた。"七瀬ちゃん"はちらちらと櫻岬を見たが、彼は柊を見ていた。喋る様子もない。何故誘ったのか、まるで分からない。カップルは並んで黙々と食事をする。"七瀬ちゃん"は乱れた毛一本もない真っ直ぐな茶髪を片手で後ろに押さえ、首を伸ばしてスパゲティを巻いたフォークを口に運ぶ。
「いつもここで飯食うんすか」
気を利かせて自ら口を開く。
「時々。彼女と時間が合えば。だよね?」
柊はカノジョに目配せした。彼女は頷いた。
「じゃあオレ今度から購買にしよ」
カレーを掬い、口に放る。疎らに入っている福神漬けの甘さと歯応えが面白い。
「七瀬ちゃん、紅 くんと喋らなくていいの?話したがってたじゃない」
「やめてよ、恥ずかしい」
カップルの惚気に使われている。この学食のカレーが挽肉なのは、豚肉の費用が高いからだ。それでもごろごろと入っているから満足度は高い。にんじんが薄切りでじゃがいもが大きいのも美味しい。大体カレーは美味い。キャンプなんかして、そこでカレーを作るのもいい。その時ふと脳裏を掠めたのはいつものグループではなく吉良川だった。普段から共にいるグループでのキャンプもそれは楽しいだろう。しかし、彼とならどのようなキャンプになるのか興味が湧いた。自然の下で暮らすのは好きだろうか。料理はできるのだろうか。作りのいいカレーを食いながら、キャンプで食べる無骨なカレーの味が恋しくなった。甘みが違うのだろう。米も炊飯器で旨く炊けている。飯盒で炊いた丁度良さの中の丁度良さをわずかに外した米とは違う。ほんの微か、言語化できないくらいに外れた美味さが結局のところ最も美味い。そこにはきっと体験なども付与されて、味覚だけの問題ではなくなる。
「柊クンは、きらりんと遊んだりするの?あ、カノジョさんはきらりんのこと知ってる?」
"七瀬ちゃん"のブラウンともゴールドともいえない色で引かれた眉が浅いながらも訝しむ。
「女?」
柊はけらけら笑った。長い指が綺麗に箸を使い魚を捌いている。性格に難があるが育ちの良さが窺える。
「そうだよ」
カノジョは不機嫌そうな顔をした。この返答には櫻岬も驚いてしまう。吉良川は女ではない。
「可愛い子でさ。他に好きな人いるのにボクから離れられないみたいで。でも大丈夫だよ、ボクのカノジョは七瀬ちゃんだけだし。でもなんで?」
「はぁ?サイテー。浮気してんの?」
柊は始終へらへらし、反して"七瀬ちゃん"の表情は険しくなった。
「浮気じゃないよ。だって向こうはボクのこと好きじゃないし、ボクも別に好きじゃないし。これは浮気じゃないよ」
綺麗にミートソーススパゲティを食べていた艶消しのあるリップカラーがへの字に引き結ばれる。噴火しそうな惧 れがあった。
「嘘言うのやめろよ。きらりんは男だし」
"七瀬ちゃん"に凝視される。柊は相変わらずへらへらと緩んだ顔だ。
「男なの?」
「男だよ。吉良川っていうの。下の名前は―」
「ちひろ。平仮名で。可愛いよね。中国語の授業で、漢字当ててもらうように言われてたから間違いないよ」
柊のカノジョの気の強そうな化粧が施された目は櫻岬のほうを信じようとしている感じがあった。
「本当に、男?浮気じゃないのね?」
「美人だけど男だよ」
言ってしまってから、何故この不安がっている美女の前で余計な一言を付け足してしまったのか後悔した。
「今度会わせてあげるよ。でもどうしてべいべは急にきらりんの話なんてしだしたのさ」
柊に慌てた様子もない。マイペースに飯を食っている。
「遊んだりしてんのかなって。誘ったら遊んでくれるのかな、とか」
「遊ばないよ。ただ大学で顔突き合わせるだけの友達だもん。誘ってみたら?べいべなら一緒に遊んでくれるかもね」
色素の薄い目が妖しく光ったような気がした。柊 真八 通称―真八 はこの大学の王子として名高い、らしい。ミスターコンテストでも有望株だとか言っていた。出場を勧められておきながら櫻岬は知らなかった。それを聞いた時、何故宮末ではないのかと不正を疑ったくらいだ。柊は櫻岬にとって、いい男と定義するには女が多人数になった時現れる嫌なところを煮詰めた陰湿さと、男の理想像の強いところを悪用したような卑怯さを感じずにはいられなかった。風貌は小綺麗で少しあどけなさが保護欲をくすぐるのだろうが、口を開けば性格が悪いだけの美男だ。
「じゃ、誘ってみよ。ありがと、柊クン。やっと建設的な話がで~きたっ」
「おっと、べいべって結構嫌味言うじゃん」
皿に付いた米粒を掻き集めて綺麗に食べ切ると櫻岬はカップルを置いて食堂を出た。購買で口直しのアイスキャンディを齧りながら吉良川のよくいる第二キャンパスをほっつき歩く。用はない。櫻岬の中でも会う会わないという考えはなかった。ただ漠然と吉良川を探している。そして結局、会えなかった。
◇
吉良川とキャンプに行って、カレーを食い、夜空の星々を眺め、語り明かして朝を迎える。そういう呑気な夢を見た。神経質げな吉良川にキャンプは耐えられないだろうか。吉良川と遊びたい。否、彼のことを知りたいと思いながら、なかなか切り出せずにいる。やはり柊同様、吉良川にとって自分とはその場限りの友人として納まっていれば、それでいいのかも知れない。何となく雰囲気に浸るため、ルーから作るカレーのレシピを探っていた。最早吉良川とキャンプに行きたいのか、カレーを作りたいのか分からない。何度目かの溜息を吐いてレシピを閉じた。
「おはよ、紅 ちゃん。溜息吐いてどうした?」
同い年ながら兄貴分といっても過言ではない宮末だ。颯爽と現れ、隣に座る。
「考え事。カレーを作りたくてさ。ルーからね。友達と」
「なんで?実験?ゼミか何かの?」
「いや、趣味で。カレーを一緒に作ってみて分かる関係ってあるじゃん」
「あるのか?家庭の味ってことか?カノジョと一緒にってこと?」
宮末も訳が分かっていないようだった。ふと彼から顔を逸らすと、離れた席に吉良川が着くのが見えた。彼はこちらに気付いていて、離れたらしい。櫻岬は手を振った。彼は遠慮がちに小さく手を振り返す。
「悪いことしちまったかな。ごめんな、紅 ちゃん」
「何が?」
「おれが紅ちゃん奪 っちゃったから、吉良川あっち行っちゃった」
爽やかは爽やかながらも宮末は苦々しく笑っている。余裕のあるこの人が自分の存在を否定的に捉えるようなことがあってはならない。櫻岬の中の宮末像を崩してはならないのだ。"フューチャー"は傷付いている。小さく「ごめんな」とまた苦く笑う口から漏れる。
「そんなわけあるかい。きらりんとはゼミで一緒だし。フューチャーとのほうが長いんだし」
何に腹が立ったのか分からないけれど、櫻岬の中に仄かな熱量が起こった。自虐的な宮末に対してか、あからさまに宮末を避ける吉良川に対してか、上手く立ち回れない自己に対してか、分からない。宮末とも吉良川とも仲良くしたい。それは我儘で贅沢なことなのか。
「だからあんま気にしなくていいよ」
「そうか?」
「うん。あんだけ避けるきらりんが酷いんだから」
「酷いってことはないけどよ。じゃあ気にしないことにする。サンキュー」
軽やかに背を叩かれると近所の子供、彼の歳の離れた弟になれた。それが落ち着く。彼と昼飯の約束を取り付けて、講義が終わると櫻岬はいつものグループに帰っていった。"フューチャー"の傷付いた苦笑が貼り付いて吉良川を探す気にもなれない。その姿を見ても、追う気にならなかった。
宮末は自分で作った弁当で、櫻岬はコンビニエンスストアで買ったサラダスパゲティと握飯が昼食だった。晴れているために屋外で食った。キャンパスは芝生や木陰に並んだ木製ピクニックテーブルセット、ベンチなど、外で食べるための設備も揃っている。
「カレーの話、したじゃん」
「してたな。カレー食いたくなってきた」
ミニトマトを齧りながら宮末は言った。弁当の主催は生姜焼きのようだ。主食は雑穀米で、健康への意識の高さも垣間見える。持参のボトルからはコーヒーの匂いがした。勧められたが、櫻岬はコーヒーが飲めない。甘さの強いメーカーのコーヒー牛乳をスイーツドリンクとして飲むくらいだ。
「キャンプしたいなって思ったんだよね。キャンプでルーからカレー作ろうとは思わないけど、まぁ、叶いそうにないならカレーくらい一緒に作りたいなって思ったわけ」
「ん?カノジョと一緒にってこと?」
「友達と。カノジョいねぇし、オレ」
「ああ、そうか」と宮末は軽く返す。
「でもちょっと迷ってる」
「いいな、キャンプ。誘えばいいだろうが。予定合わなかったらおれと行くか!」
悪くない誘いだ。背中を押され、俄然吉良川を誘う気になった。キャンプの夜に起こる結束感によって宮末のことを聞けるかも知れない。
「うん。じゃ、断 られたら一緒に行こ」
「おう。やること早めにやって、予定空けとくわ」
元からべちょべちょな仕上がりのたらこマヨネーズのパスタサラダを櫻岬は啜った。
そして意気揚々と吉良川を誘ってみた。帰り際の空が暗くなった時間帯に彼を捕まえたのだ。第二キャンパスの中でもコンピューターやプロジェクター、その他精密機械を多く揃えた真新しい建物から出てくるところだった。黒い壁に1階はガラス張りという外装と赤い内装のとにかく無機質な感じが落ち着かず、夜間になると元々不気味な第二キャンパスがさらに不気味になる。そこで吉良川を見つけたのだ。早速声を掛けて、振り向いた彼に駆け寄った。キャンプに行かないかと誘った。カレーが嫌ならBBQでもいいと代案も出した。唐突だったが構いはしない。
「俺は、いい。行かない」
怯えるように首を振られ、櫻岬の提案は呆気なく散った。眼鏡のレンズの隅がグリーンやブルーに照っている。
「そ、そっか……」
みるみる櫻岬の肩は落ちていく。やがて項垂れてしまった。
「誘ってくれてありがとう。嬉しかった」
「いや、急に誘ってゴメン。いきなりキャンプとかハードル高かったかも」
「……櫻岬」
「うん?」
顔を上げる。吉良川は少し思い詰めたような表情をしているように見えたが、いつもと変わらないといわれたら、いつもと変わらないようにも思う。
「俺は一人でもまったく問題ないから、そう気を遣わないでくれ……宮末とのこと」
「別に気なんか遣ってないけどさ」
甘えるみたいに声が上擦った。
「すまない。櫻岬のことを独り占めしたかったわけじゃないし、板挟みにするつもりもなかった。宮末と仲良くできなかった俺が悪い。こんなんじゃ宮末も気を遣うことになるだろうから、俺のことは放っておいてくれ」
「それは分かってるけど、放っておいてくれって言われてもさ……」
何故宮末と仲良くできないのか、その理由を打ち明けはしない。不満が募る。
「櫻岬がいい奴で良かった。たまにこうして2人きりの時だけ、また話したい」
「なんか納得行かねぇけど分かった。ゼミ一緒だしな」
じゃあな、と吉良川が言って話は終わった。キャンプの予定は無くなった。それを宮末に報告することもないだろう。生温い風は吹き抜けることなくもやもやと胸元に留まる感じだ。
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