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第5話
同性に―否、異性であってもある範疇の外にあればキスに興味がなく、また興味がある素振りも見せた覚えがない。それでいてキスをする友人として関係を再構築してほしいと言われても、櫻岬 にはどうしていいのか分からなかった。つまりキスフレンドという形式があり、関係に名前は付いたけれども櫻岬にキスをしたいという意向が無い以上、実質何もしないということになる。ただのフレンドだ。つまり友人に戻った。
「難しいぞ」
ぐびぐびと極彩色の炭酸飲料で喉を潤す。パイナップルなのか、あらゆるフルーツを混ぜた味なのかさっぱり分からない甘みで口の中が洗われる。疑問はリラックスのあまり受け取る者なく独り言となって放たれた。同時に吉良川 は自分とキスをしたいのかという点についてまるで度外視していたことに気付く。本人に訊いてみるしかない。見栄を張って、いくらか彼を威 すようなつもりで快諾した。「それでいいならいいよ」と。
購買部で買った肉まんを頬張り、吉良川のよくいる第二キャンパスに向かった。まだ朝で、彼は来ていないかも知れない。庭園のような汚らしい大規模なビオトープを回って防音林、廃墟みたいな第二食堂兼学生会館を探し、やっと無機質過ぎるところが却って不気味な新しい棟の脇のベンチにいるのを見つけた。痛めた左足を庇って意外なところが疲れている。そこは芝生が新しいが見えるのはほとんど住宅地で面白みはない。しかし日当たりがいいを割りには閉鎖的な空間で、落ち着きがある。しかしガラス張りの反射で炙られそうだ。
「吉良川」
「おはよう、櫻岬」
淑やかにベンチに腰掛け、彼は読んでいた分厚い本を閉じる。ぱたんという音が少し心地良く、ベージュのブックカバーは何か気持ちの良い高尚なものに思えた。
「おはよぉ……」
用件を忘れかけ、櫻岬は自分の優位性を信じていたにもかかわらず、そんなことは打ち砕かれてしまった。ベンチに促されて並んで座った。湿布を貼った左足首を伸ばしてみる。
「あ、あ~のさ」
声が裏返り、調子を整えようにも戻らない。声の裏返りは経験上、冷やかしの対象だ。それでいて吉良川は嗤いもせずに待っている。
「吉良川……あのね」
吉良川はオレにキスしたいの?という簡単な問いを口に出せない。
「オ、レはさ、キスとか別に要らないと思ってて、でも、吉良川は、その、オ、オレと、キス、したいの?っつか、できんの?」
彼はわずかばかり目を伏せた。
「できなくはない。唇を合わせるだけだから」
それがひどく、性別を凌駕した嫌悪感を醸し出す。まるで稼ぎのために身を売るしかない女のようで、今のところ櫻岬の身近にはない生々しく暗い事情を思わせる。不安を抱かせる。吉良川が吉良川ではないような気がして、そうするとそこに踏み込んだ自身も塗り替えられてしまいそうな恐怖に陥る。
「訊き方変える。オレとキスしたい?いや別にオレとじゃなくてもいいんだけど、吉良川はキス好きなの?」
「分からない。好きとか嫌いとか……柊 としかしたことがないから」
「分からないならキスなんかしないよ。キスしないフレンド。いいよな。キスしないフレンド。つまりただのフレンドだけど……」
「嬉しい。でも誤解しないでくれ。柊は優しくしてくれるから、俺にとってキスはまだ怖いものじゃない」
友達になってくれと求められた時の切ない声音や泣きそうな表情を思い出して、ぐっと息が詰まった。冷然とした見た目に反して健気だ。それを可憐だと思ってしまう。
「ゴメンな、遠避けて」
「謝らないでくれ……きちんと言う。言わずに黙っていた俺が悪かった」
2人で同じような姿勢になって足元のアスファルトを見ていた。
「宮末のこと……」
櫻岬は黙っていた。下手に反応を示すと話すのを止めてしまいそうだったからだ。
「俺は、宮末のことが―」
しかし彼の震えた声は掻き消えた。朝から小気味良い冴えた靴音が近付いてきている。
「おはよう、紅 ちゃん、吉良川」
語学科目で中国語を選択してから"べいべ"から拼音 風に呼び方を改めた宮末である。非常に間の悪い登場だったが櫻岬は噯気 にも出さない。
「おはよ、フューチャー」
眠気の一切ない爽やかな空気を纏う宮末に挨拶を返す。吉良川の出鼻を挫かれたような低い声も後からついてくる。
「大事な話してたのか?ごめんな、空気読まずに来ちまって」
俯く吉良川をいいことに、宮末は意味ありげに目配せをする。仲直りしたのか、とかそういう感じのことを言いたいのだろう。櫻岬は首肯した。
「吉良川……?」
「別に…………」
顔を真っ赤にして、声は唸るように低い。敵意よりも強い嫌悪感、忌避感を丸出しにされた宮末はただ似合わない苦笑を引き攣らせている。苦手がられることを分かっていながらも関わろうとする"フューチャー"が悪いのか。それでも仲の良い友人も一緒に居るために声を掛けた憎めない人を、徹底的に疎外する気に違いない。櫻岬は吉良川に絆 されかけた自分に腹が立った。
「本当にごめんな。2人が楽しくしているところを邪魔しちゃったよな。もう行くから許してな。本当、ごめん」
微苦笑しながら宮末は鼻の前で両手を合わせた。関節の浮き上がった長い指と逆剥けのある爪周りの生活感が却って自然な色気を醸す。吉良川は硬直し、押し黙っている。
「邪魔してないからだいじょぶ。またな」
吉良川は駄目だ。宮末に気の遣えない気難しい偏屈だ。好き嫌いをどうこう言うつもりはないが、歩み寄りを見せ悪くない対応をする相手にも平然と失礼な態度を取る。彼との仲はおそらく長く続かないような気がする。こういう人は嫌いだ。同じグループに居るだけで鬱陶しくなる。空気を悪くする。それなら誰とも関わらずに、せめて自分のいるところからは離れてくれ。寛容で優しい善人とだけ関わっていればいいのだ。
「おう」
暗澹とした吉良川への不満をさっぱりと拭われる。子供扱いするみたいにぽんと頭を撫でられてそれで安堵を得てしまう。柔らかな洗濯洗剤の匂いを残し粗雑に扱われた宮末は去っていく。
「なんでフューチャーのこと除け者にすんの?やっぱりフューチャーのこと嫌い?それなら別に仕方ないけど、でもあれだけ優しくしてくれんのに酷ぇよ。そんななら、オレ、やっぱり吉良川と友達になんてなれない。それ分かってて、キスする仲でいいなんて、言ったのか……?」
吉良川はぶるぶると勢いよく首を振った。
「違う!違う!そんなんじゃない!」
「別に無理矢理仲良くしろなんて言ってない。ただオレ、フューチャーがああいうふうに気を遣って、あんなあからさまに無視されて無理繰り笑ってんの見たくないんだよ」
拗ねたように櫻岬は言った。
「でも、それはオレの都合だもんな。嫌いなもんは嫌いなんだもんな。でもオレと関わるなら別に仲良くする必要はないけどフューチャーもいて、フューチャーがああいふうに無視されたりすんのオレはマジでムリだから、それが嫌なら、オレごと切ってくれよ」
顔面の筋肉が弛緩する。眉を下げた。唇が尖る。何を第三者のことで喧嘩しているのか分からない。
「櫻岬は、宮末のことが好きなんだな…………?」
「優しいもん。かっこよくてさ。男に生まれたからにはああなりたいって思う。こんなくだんないことでいちいち当たり散らして怒ってちゃ、なれるわけないけど」
「さっきの話の続き………」
「なんだっけ」
力強く握っている拳が戦慄いているのを櫻岬はぼんやりと見つめていた。
「宮末のこと」
「うん」
「俺も好きだよ」
吉良川は落ち着いている。感情的になったのが恥ずかしくなる。レンズ越しの目が濡れているように見えた。
「じゃあどうして……」
「これ以上はもう言えない」
それを「好きだという以外表現のしようがない」と言っているのかと櫻岬は解釈した。誤魔化しのように聞こえるが疑っても仕方がない。
「好きなやつに、する態度じゃねぇよ」
ぼそりと溢すと眼鏡の奥の水分の多い目が細まり、彼は口角を吊り上げた。
揚げじゃがいもスティックをばりばり鳴らしていた。破片が舌に刺さり、上顎にも刺さる。油が唇を光らせる。1人になりたかった。日当たりの悪いラウンジのある建物はどの教室も使われていないせいで人気 がない。ここは2階だけれど昼休み明けに下の階で講義があるはずだが、ここのラウンジは食事には使われないようだ。何せ日当たりが悪い。グループの奴等は今頃食堂で賑やかにやっていることだろう。人数にものを言わせ威勢があるだけ幅が利く。ぼりぼりと指と指の間の油菓子が短くなる。
「紅 ちゃん」
階段を上がってくる足音があるかと思うと宮末だった。手にはノートパソコンを抱えている。
「よくここが分かったね」
「いんや、偶然、偶然。ちょっと作業しようと思って。ここ静かだしさ」
宮末は膝の上でノートパソコンを開きキーボードを叩く。
「朝、ゴメンな。吉良川にはよく言っといた」
「ははは、いいよ。気にするな。おれが2人の間に割り込んだのが悪いんだし」
画面から顔を上げて彼の顔に朝の微苦笑はない。油菓子を平らげてから握飯のフィルムを剥ぐ。ワカメとたらこを買ってある。ワカメ握りのほうを食べながらノートパソコンをいじる同期の姿を眺めていた。
「コテージ、楽しみだな」
視線に気付いたらしく明朗な顔がこちらを向く。一瞬責められはしないかとどきりとした。
「うん」
「足は大丈夫そうなのか」
「大丈夫。コテージ行く頃には良いリハビリになってると思うよ。オレめっちゃ楽しみだかんね」
「無理だけはするなよ。足の筋まで傷めると長いぞ~」
彼はまたノートパソコンに直った。パチパチとキーボードが鳴る。長く細い指が黒いチップの上で弾む。ごつごつとした関節が軽やかに撓 む。柊の言葉を思い出した。宮末本人の口から聞いたことはないけれど、彼は"七瀬ちゃん"なる垢抜けた美女と交際していたらしい。何となく"七瀬ちゃん"からアプローチをしたような気がして、櫻岬の中ではそれが決定事項になっていた。宮末から異性の話や色恋の話はほとんど聞かない。猥談などはしたこともないし、彼を相手にそのような話をしようとも思わなかった。
タッチパッドを摩っていた指が止まる。
「紅 ちゃ~ん。そんなじろじろ見てどうした?」
「んあっ、いや、別に……」
咄嗟に目を逸らす。宮末はそこまで気にした様子はなかったが軽く苦笑している。
「そうか?おれでよかったら聞くぞ?」
「フューチャーかっこいいなって思っただけだよ。見惚れちゃった。マジで憧れるなって」
実際半分は本音なのだから嘘ではない。
「本当かぁ?照れるよ。悪い気はしないけどな」
爽やかに笑い、下手に謙虚でないところも印象が良い。褒めた者さえ肯定するような余裕がある。
「紅ちゃんは、あの……ひ……樋口だったかな。檜山だったかな……」
「ひーらぎ?」
「そう。彼とは仲良いのか」
「全然仲良くないよ。険悪かな」
そう答えると"フューチャー"はわずかながら呆れたように口元を綻ばせる。
「なんで?」
「この前一緒に居ただろう?かっこよかったな~と思ってさ、彼」
「顔はね。あと身長。でもオレのこと落とすしさ、性格も悪いし、オレのほうがいいヤツだしかっこいいね」
「間違いない」
作業が再開する。そのあと特に会話らしい会話は起こらなかったが時間いっぱい宮末と過ごした。
「苦しめるね」
オレンジがかった空を見上げると、ぬっと視界に人影が入った。顔面が逆光して薄黒く塗り潰されている。
「苦しめるなよ」
「何が?」
柊だ。片手にミルクティーのボトルをぶら下げている。
「きらりんのこと」
「苦しめるってどゆこと」
「教えな~い」
「怒ったこと?」
うんともすんとも言わない柊は突然興味を失ったように櫻岬の前を通過しようとする。
「下手なアドバイスすんなよ。全部言えって。意味が分からん。吉良川が何?」
「泣かすな」
「泣いてたの?」
「泣いてたよ。心でね」
試すような流し目が落ちてくる。煽られているらしい。彼はほんの少量、ミルクティーを飲んだ。
「泣かせたならちゃんと謝る」
「謝ったら余計、傷付くよ。不甲斐なくて泣いてるんだから。自分に」
「どこにいる?」
またふざけた調子で「教えな~い」と返ってくる。柊との会話に見切りをつけた。講義と講義の合間に吉良川を探す。ガラス張りの反射が"ウザい"無機質な新棟脇のベンチにその姿があった。ぼけりと空を見上げている。色を持てない青に雲の溶けていく様を。
「吉良川」
彼の顔色も確認せずに直行して抱き着いた。柊は泣いていると言っていた。
「なんだ?櫻岬。どうした」
しかし彼に落涙も、その色もない。きょとんとしている。少し首を捻る様がなんだか可愛らしい。
「な、なんでもねぇ。柊見なかった?」
「さっきまで一緒だったが。まだ近くにいるんじゃないか」
吉良川の声が少しいつもと違って聞こえた。鼻声のような、上擦ったような。
「柊が、泣いてるって、言うから……」
レンズの奥の目を見られない。手が汗ばんだ。普段から気は強そうだが陰気で物静かな吉良川が悄 らしく見える。
「別に俺は泣いていないが、泣いていると聞いて来てくれたのか」
経緯を口にされると櫻岬は顔を熱くする。吉良川が泣いていると聞いて吉良川のもとに来たのだ。間違いない。
「ち、違ぇよ」
「いいや、ありがとう。櫻岬が来てくれて嬉しい。きちんと謝れなかった。すまなかったな。宮末にも後で謝るつもりだ」
「謝ったら、フューチャー、余計訳分からんくなるし、謝らなくていいと思うよ。今度から、ちゃんとしててくれれば……」
"フューチャー"にフューチャーを巡って吉良川と"ゴタゴタした"ことを知られたくない。宮末の前では同い年でありながら可愛い年少者同然でいたい。
「そうか。そうだな」
「そろそろ講義始まるぜ。行くぞ」
次の講義が同じかどうかは覚えていない。それでも櫻岬は吉良川の腕を引っ張った。
「櫻岬」
指から柔らかな服の素材が滑る。一緒に歩いてはくれない友人を振り向く。櫻岬は息を呑んだ。眼鏡を掛けていることも気にせず、吉良川の頬がてらてらと照っている。光りは曲線を描き、小さな顎で燦然として落ちていく。長く細く白い指が張り、鱈の切身みたいな掌を見せて輪郭をなぞる濡れた筋が乱れる。
「ごめんな」
櫻岬は声が出なかった。口蓋垂の辺りに障壁でもできたみたいだ。唸るような声も堰き止められている。ごめんって何が。その長くはない一言が言えない。
「宮末が好きなんだ」
それはさっき聞いた。別に疑ってない。それが言えない。言語化できないものが、言わせまいとしている。たとえ喉が無事でも何か返す意思を削いでいる。
「宮末が、好きだから…………ちゃんと、話せない」
吃逆を小さく起こし、感情を全面に出す吉良川に圧倒される。
「でも、櫻岬に………嫌われたくない、」
潰れそうな声音で名を言われると、櫻岬も胸元の奥に手を突っ込まれて鷲掴まれるような苦しみに襲われる。好きだから話せないってどういうこと?―浮かんだ疑問を彼に放てば、何か恐ろしいことが起きそうだった。
講義の始まる音の外れたチャイムが聞こえる。
「ごめん。講義遅れるな」
乱暴に眼鏡を外し、雑な手付きで目元を拭う。
「今日は、休もう。1コマくらい……」
少し退屈な座学だ。この状態の吉良川を放っておくことはできない。何よりもこの姿を人目に晒したくない。そして、もし宮末にばったり会うことがあったら……
宮末は優しい男だ。困っている人がいると放っておかない。時に自分が損するくらいのことも厭わない。
「大丈夫だ」
涙を拭う指先が綺麗だった。関節の撓 りが。繊細だ。些細なところまで神経質で哀れっぽい。
「だめ」
連れ出した分戻った。ベンチに座らせる。掛ける言葉が見つからない。あるにはあるけれど、適していないような気がすると安易に言えなかった。
「櫻岬」
言葉を急かされている気になる。
「なんて言ったらいいか分かんない。いつものガサツな奴等ならぽんぽん当たり障りない言葉浮かんでくるけど、吉良川には無難 なこと言いたくない」
足元の小石を蹴る。よく刈り込まれた芝生の中に入っていく。
「いい。何も言わなくて。気を遣わせるつもりじゃなかった」
喉の痞 えはもうない。何か言おうと思えば言える。それでいて櫻岬は口を閉ざす。漠然とした不安から肌触りの良い吉良川の布は摘んだまま。男の匂いがしない。見た目からして彼はあまり臭そうではない。汗もかかなそうだ。腋臭もない。柔軟剤の匂いがする。
「柊の、言うとおりになった……」
困惑気味に泣き腫らして赤らんだ目が櫻岬を見る。意味が分からない様子だった。雰囲気がウサギに似ている。
「なんでもない」
首を振って顔を背けた。宮末ならどうするだろう?考えてみた。"優しい行動"をする。それだけ分かる。まだ吉良川の真意も汲み取れない。好きってなんだよ。どういう好きだよ。簡単な問いを投げかけられない。
「櫻岬……」
吉良川は少し喉が渇れているようだ。
「飲み物買ってくる。何か飲む?」
気を利かせたつもりで、彼の言葉を奪ってしまった。そのことに、吉良川が首を振って、ベンチから離れてから気付く。第一キャンパスの自動販売機では見慣れないレモネードを1つと茶を買った。戻る足取りが重い。宮末はこの場にいないけれど、宮末のことで蟠 る。好きってなんだよ。どういう好きだよ。オレだって好きだよ。なんで改まったんだよ。戻りたくなかった。それでいて一人にもさせたくない。ベンチに座り、吉良川に選ばせる。彼は迷いもなく水を取った。
「ありがとう」
萎縮した姿をレモネードで口腔を潤しながら見ていた。レモンの酸味を爽やかにして、アイデンティティを上回る甘みが後を引く。あまり有名なメーカーではない先入観が、少し美味しさに隙を作る。
「あとでお礼、させてくれ」
「気にすんな」
ペットボトルのキャップを開けたまま彼は硬直している。横顔が思い詰めているように見えた。
「オレに言ったこと、後悔してる?」
無味無臭のくせ何か粘こい厭なものをレモネードと飲み下す。冷たさが広がって呆気なく忘れる。
「し………てない」
「そういう意味……だよな」
躊躇いがちに吉良川は頷く。
「応援は……するよ。でも、オレはオレなりの、フューチャーとの付き合い方が、あるから………さ。当て付けとか、そういうつもりは、ホントに無い……から」
「もちろんだ。櫻岬と宮末の関係が変わったりするのは俺だって嫌だ」
宮末がどこか遠くに行ってしまいそうだった。宮末が宮末でなくなるような。吉良川の好意によって、変貌していきそうだ。知らない人を宮末と認識しているみたいだ。
「引かないでくれて感謝している」
「引くも何も、多分まだきっと、よく分かってないだけなんだ。ちょっと、びっくりしちゃってて。柊とのことはあっさりしてたのに。フューチャーのことだから……」
「肯定的に受け取ってくれなくてもいい」
櫻岬は唸った。嗄れた声は少し落ち着いている。
「できれば、そりゃ、肯定的に受け取りたいだろ。勘違いすんなよ、吉良川のためにじゃなくて、オレが……訳分からんくなるし」
「宮末は櫻岬の親友なんだ。混乱するのも無理はない」
激しくボールペンをぐるぐる書き殴ったような頭の中が、ふと一気に掃除された。柊の恋人は元は宮末の恋人で、柊とキスする仲の吉良川は宮末が好き。関係が整理されていく。
「そのこと、柊は知ってんの」
「……知っているかもしれない。確かなことは言わなかったが、それらしいことは言っていて…………だから、ああいう関係になった」
櫻岬は唇を尖らせた。
「やめろよ。好きなやついるなら、ああいうことするの」
「やめたい、やめると言って、結局やめなかった。多分引き摺る……」
「なんで続けるんだよ。嫌だって言って、拒めばいいだろうが。そんな、初心 なカノジョでもねぇんだし」
空気が引き裂かれていくような異様な感じを肌に感じる。踵はアスファルトに接地していながら、宙に浮いているような。
「寂しいんだ」
聞きたくなかった。か細い声と、偽悪的な笑みとか。針金をぐさりと貫かれている心地がする。鋭く細く、耐えられるけれど無視できない痛み。
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