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第8話

 2人の下半身がぶつかるたびにビンタを喰らった気分だ。ほぼ空気になっている吉良川(きらがわ)の声がここにいない人物を呼んでいる。  櫻岬(さくらざき)は腰を抜かした。柊の腰が止まる。彼は櫻岬へ首を曲げ、意地が悪そうに目を眇める。ピストン運動が途切れても吉良川は自ら貫かれに腹周りをうねらせる。 「あ………っ、」  甘い響きが仰け反る喉から漏れ出ている。柊は櫻岬と視線を()ち合わせた途端に逸らし、抱接に集中する。喘ぎ腰を揺する相手の髪に鼻先を埋める。その様が櫻岬の思う2人の感じとは違っていた。ぞんざいさがなかった。柊は吉良川を性衝動の処理のために使っているようなところがあった。しかし、今、櫻岬の目の前で行われているのは多少嗜虐的なところはあるけれど、眉を顰めたくなる惚気た甘さがある。 「あっあ………ぁ、み、やま…………つ、ぁ…」  声に乗せないでほしかった。櫻岬は視界を叩かれて(ひび)を入れられるような心地がした。柊は唇を噛み締め、乱暴に腰を打ち付ける。吉良川の肉体が小刻みに震えながら強く前に反った。白く爆ぜる。柊の律動に呼応して粘液が繁吹く。 「ああぁ……っ」  泣き叫ぶような顔をしてその双眸は虚ろだ。 「べいべの、舐めてあげて?」  耳打ちが聞こえた。櫻岬は後退る。腰が抜け立てそうになかった。柊に促された吉良川の接近は容赦がない。知った相手だというのに、何か恐ろしい、迫りくるものがある。 「あ、あ、……」  言葉が出ない。蕩けた眼の同期生に怯む。 「勃ってるよ」  柊の調子に揶揄するところはなかった。事実をただ指摘しただけのような。それがさらに不安にさせる。 「びっくりしちゃったのかな。きらりん、お手柔らかにしてあげて」  繋がったまま、そして乾いた音を幾度か派手に鳴らし、吉良川の濡れた目がさらに翳っていく。彼の手は櫻岬の股ぐらに伸びた。物理的には蹴り払うこともできたのかも知れない。しかし友人を蹴りことはできなかった。怪我はさせられない。その選択をしたのと同時に櫻岬は妙な悪寒に耐えねばならなくなった。 「まだキスもしてないのにね?」  火照った身体を冷たい手で撫で回されるみたいな、薄気味悪いほどの優しい声音で柊が言った。同じ喉の持ち主から発せられたのかと疑うほどだった。  柊を信じられないものでも見た時のように捉えたのと吉良川に股間を(まさぐ)られたのはほぼ同時だった。あれよあれよと衣類を剥かれていく。勃ち上がりかけていることも否めない状態だった。 「ごめんな、櫻岬」  ぎょっとして下腹部に伏せる吉良川の双眸を見る。今まで蕩けきっていたそこには理性の光りが戻っていた。しかし逆らえないのだ、とばかりの一言だった。 「き、らがわ……」  恐怖した。櫻岬はただ自分の身体の一部が複雑ながらも友人であるはず者の口に消えていくのをただ見ている。異様な空気に()てられていたのだ。恐れながらも泥濘(ぬかる)んだ生温かさに包まれて膨らんでいく。 「きらがわ……」  本物の吉良川だろうか。肉体の中心に反して冷たくなった手を伸ばす。体温がそこに一点集中してしまったのかも知れない。 「やだよ、きらがわ……」  伸ばした手は汗ばんだ指に絡め取られ、腿の辺りで留まった。 「ごめんな」  覚悟の決まっている吉良川の声は先程の甘い叫びとは打って変わってしっかりとしていた。櫻岬といえば、変声期を終え数年といわず十年近くは経っているというのに、その声は震えてどこか哀れな娘を思わせる。 「や、だ……」  言動に反して潤んだ口腔に吸われ扱かれると吉良川の喉を衝くほどまでになってしまった。そうしてやっと櫻岬の拒否が届いたように吉良川は涎膜を垂らして口を離す。 「きらがわぁ……」  吉良川はすまなそうに眉根を寄せ、目を伏せるばかりだった。長い睫毛が艶っぽい。櫻岬は異性愛者を自認しているけれど、そこには男がどうだの、女がどうだの、異性愛が同性愛が、という理屈が入り込んでくる様子もない。ただひたすらに肉が不満に疼いてしまっている。そこには戸惑いの置換されたものも大いに貢献していたかも定かでない。  口淫をやめた吉良川は柊の手で櫻岬から剥がされる。すると櫻岬は勃起を露出しているのみに見えるのが異様な印象を与えた。しかしすぐに吉良川の身柄は戻されてしまった。彼は頭の上で柊に両手を纏められてしまった。そしてその体勢のまま櫻岬の勃ちあがったものの上に腰を落とす。 「きらがわ、やだ………」  櫻岬も見ていることしかできなかった。自分に動くだけの自由があることも忘れてしまっている。硬くなった敏感なところを吉良川の尻で踏み潰されて痛い思いをするまで彼は思い込みめいた金縛りから解き放たれないようだ。 「べいべのはあんまり大きくないのかな。じゃあ浅い前立腺(トコロ)で気持ち良くなろうか」 「ふ、ぁああっ、!」   「き、らが……わ、」  吉良川が串刺しにされていく。強い締め付けに襲われ、櫻岬も目を白黒させた。柊の柔らかな調子で出る辛辣な言葉も耳に入ってこなかった。 「ぐりぐりして、きもちぃ?」  腰を落としながら、吉良川はまだすべてを呑み込んでいない状況で抽送をはじめる。 「きもちぃ、い……あっ、あっあ……」  それは他者の肉体を使った自慰にも似ていた。それでいて櫻岬も女と交わるときは選択肢にもなかった結合に惑乱し、すべてをあるがまま受け止め切れずに感覚を堪えてしまう。 「きらが、わ………」 「あっんんっ………さく、らざ…………き」  互いに互いの今にも泣き出しそうなほど潤んだ目を見合わせた。櫻岬の下腹部が疼いたのと千切られそうなほど引き絞られたのはほぼ同時だった。 「硬い……」  膝立ちの状態でスクワットするみたいに吉良川の腰が浮沈する。 「あっあ、んっぁあ………!」 「や、ら、やら……きらがわ、こわい……」  互いに互いから目を逸らしてしまった。櫻岬は吉良川の射精を促す動きに歯を食い縛った。それを嘲笑うかのように柊は吉良川の手を放すと、彼を後ろから抱き竦め、つんと尖る両胸の粒を転がし捏ね回す。 「それ、や、だ!」  拒否の声を上げたのは櫻岬のほうだった。彼等は触覚を共有してしまったのだろうか。腰がかくかくと幼い子犬みたいに上に乗った者を突く。 「う、ふ………あっぁ………」  吉良川の声が甘く曇った。柊の指遣いが粗くなる。 「やら、それ、や……!」  交合している相手と感覚をリンクしているらしき櫻岬は顔を覆って暴れた。柊が吉良川の乳頭を甚振るたびに、櫻岬は強烈な柔肉の締め付けと潤壁の蜿りを味わうのだ。搾精に等しかった。手淫と異質だ。 「べいべ、かわいいね」  すでに彼に柊の揶揄に構っていられる余裕はなかった。戸惑いと強制的な快感に混乱している。 「きらりん、ほら、動かなきゃ」  柊は同期生の肉根を少し残して咥えた吉良川の尻を叩いた。数度上下する。 「あっあ……んっ」 「気持ちいいトコロ当たってる?」  ぎこちなく腰を振りながら吉良川は頷いた。その目は恍惚を取り戻している。 「オトモダチでオナニーするの、気持ちいいね?」  胸を捏ね、尻を叩いていた手は吉良川の顔に移り、目元や頬を撫でている。 「あとは自分でできるでしょ?」  それから柊は身を引いて、"スペシャルゲスト"と吉良川のまぐわいを側から眺めることにしたらしい。 「きらがわ………」  呼べども呼べども友人は上下運動をやめなかった。やがて天井を仰ぎ、喉元を反らした。振動する様が病質的で櫻岬にはグロテスクな情感を添える。 「ああ………イく、っんぅう!」  さらにまた一段と大きく戦慄く姿に櫻岬は呆然としながら射精した。自身の中で起こったことだというのにどこか遠い快感だった。言葉が出てこない。そのあとのこともほとんど記憶に残らなかった。それは意図的だったのかも知れない。気付けば乱痴気密会から解放されていた。  下半身の筋肉を根刮(ねこそ)ぎ削ぎ落とされたみたいな覚束ない足取りでキャンパスをとぼとぼと歩く。厭な白昼夢だった。早いところ忘れてしまいたい。人通りの多い場所に出たくなる。人気(ひとけ)によってあの(おぞ)ましい秘事の重苦しさが掻き消されはしないだろうか。 「(ホン)ちゃん!」  その呼び方は一人しかいない。櫻岬の乾ききった眼にぶわ、と輝きが戻る。 「フューチャー!」  仲の良い女同士みたいに駆け寄って抱きついた。ふわりと宮末の落ち着いた匂いがする。頬擦りしてしまう。 「うっう、フューチャー……」 「どした?泣いてるのか、紅ちゃん」  首を振る。硬さのある繊維が肌に痛いがやめられない。 「泣いてない」 「そっか」 「ちょっと疲れちゃって」  顔を離す。上にある顔に覗き込まれていた。 「寝る?おれ次の時間空いてるし」 「……うん。オレも」  開講数の少ない建物の2階ラウンジは壁三面にソファーが生え、囲まれるようにチョコレートみたいなソファーも設置されている。しかし新しい割りにはあまり人気(ひとけ)がなく、大きな講義は1階で済まされてしまうため2階が使用されることはほとんどない。  櫻岬はノートパソコンを開く宮末の隣りで目を閉じた。 「寄り掛かっていいぞ。寝にくいもんな」  肩を抱き寄せられる。同い年ではあるけれど、彼は櫻岬にとっては兄貴分だった。憧憬の念がある。畏れ多くなってしまった。心臓が高鳴った。 「あわわ……」 「夜寝られる?」 「うん。へーき……」  しかしタイピングの音や宮末から聞こえる微かな音にやがて眠りに入っていく。 ――寝てるからさ。そこで待つ? ――いいや。出直す……邪魔して悪かった。 ――あのさ、吉良川…………あ~、また今度な。じゃ。  焦る会話を聞いた気がする。夢だったのかも知れない。飛び起きる。横になっていた。硬さのある枕まで敷いていた。宮末の腿から起き上がっていることに気付く。 「どした、紅ちゃん。怖い夢でもみた?」 「吉良川来なかった?」  辺りを見回してから宮末の顔を見る。彼は目を瞠って櫻岬を見返した。 「……来なかった、よ?」  少しあどけなさを残して宮末は首を傾げる。 「そっか。ならいいんだ。ビビった」 「吉良川と何かあったのか?」 「なんもない。それよりフューチャー、パソコンは?」  まさか腿を貸したばかりに作業ができなかったとあっては問題だ。 「終わったし、おれもちょっと休もうかなって」 「じゃあ今度はオレが膝枕する!」 「いや、いいって!」  宮末も宮末で同い年ながら慕ってくる櫻岬を可愛く思っているようだった。戯れ合う。くすぐられているうちに兄貴分から押し倒される体勢になった。 「ひゅ~ちゃ、!くすぐった、ぃ!」 「ははは」  身を捩っても脇腹を狙う手は止まらない。きゃはきゃはと静かな空間に彼等の笑い声が反響する。 「ひゅ~ちゃぁ!」 「紅ちゃんかわいい」  座面に(うずくま)って震えた。 「さぁて、おれも寝んねこ」  宮末はすっと身を引いた。そして腿を叩く。 「またここで寝たら」 「よく寝たからへーき。フューチャーは膝枕屋さんになったほうがいいね」 「じゃあ紅ちゃんは常連客ね」  座り直し、促されてもう一度優しい兄貴分の膝に寝転ぶ。爽やかな宮末の顔を見上げる。急に、嫌になってしまった。清爽な男の前で、櫻岬は同期生と大学構内で人の目に晒されながら交わったことが嫌になってしまった。この兄みたいな人には知られたくない。起き上がる。 「やること思い出した」 「そか。じゃあ出口まで一緒に行こう」  彼は何の疑いも持たなかった。しかし2人で建物を出た途端に腕を引かれた。 「なん?」 「何かあったら相談してくれ。吐き出すだけでも」  真剣な眼差しで見下ろされ狼狽える。気遣っているようで叱られているようにも思えた。 「え……?」 「飲み会しような、また」 「うん」  手を振る仕草まで颯爽として去っていく。互いの知り合いと一線越えてしまったことを、彼には知られたくない。それもキャンパス内である。動物みたいだ。さすがの宮末も軽蔑するだろう。軽蔑の念を抱く宮末を、たとえ対象が誰であろうと櫻岬自身が見たくない。  櫻岬は購買部でアイスを買ってキャンパス内を徘徊する。誰にも会いたくない。誰にも会わなずにいられるのは西の第二キャンパスである。そしてそこはつい先程、柊にいいようにされた建物もある。気が重い。アイスを齧りながら周りを見渡せる位置にどかりと屈んだ。派手なカップルが離れたところで前を横切る。柊と"七瀬ちゃん"だ。吉良川との淫交のあとは恋人とともにいる。溜息が出た。アイスを齧り終え、棒を噛んでいる頃に声をかけられた。いつも一緒にいる連中のひとりから、吉良川が探していたという情報を得た。こちらから探しに出向くと言ってまた一人になる口実を得る。  しかし吉良川が何の用なのだろう。彼は夢にまで現れた。声のみで。どういう顔をして会えばいいのだろう。アイスの棒を上下に揺さぶって遊びながら考える。彼の裸体よりも服を着て眼鏡を掛けて髪も綺麗に整えてある姿が脳裏に張り付いている。どういう態度で接すればいいのだ。口の中で棒が割れる。最寄りの外ゴミ箱へ持っていった。やってくる人影を咄嗟に捉える。眼鏡の奥にたじろぎが見える。 「吉良川……」 「ごめん、櫻岬……すまなかった……………」  何を言わせる暇もなく、吉良川は頭を下げた。櫻岬は思わず辺りを見回した。 「い、いいよ…………その、いや、謝んなくていい。謝んな…………」  櫻岬としては詫びもせず、触れることもなく、無かったことにしてほしかった。その点を踏まえると吉良川に自ら会いに行けなかった。それが彼からやって来た。これでは自分の中だけで無視し、消したことにもできない。 「でも、」 「いいから……とりあえず頭上げろよ」  おそるおそる近付き、頭を伏せたままの同期生の腕を掴む。 「櫻岬……俺は、できることなら、まだ櫻岬と仲良くしたい……………」  相手もおそるおそる櫻岬の顔を覗く。機嫌を窺っているみたいだった。それから項垂れる。両手で支えた。そうしなければ前のめりに倒れそうだ。 「分かったから、いいって。その話、したくないんだ。っつーか、他の奴等にああいうコトがあったって知られたく、ない」  一瞬、吉良川の眉根が深く歪んだ。宮末には一番知られたくない。いつも連んでいる輩には笑い話になるかも知れなかった。けれども宮末の前では笑って話せそうにない。宮末にだけは知られたくない。 「そう…………か」 「吉良川は、知られてもいいのかよ」 「…………よくない。困る」  しかしここで秘密だと互いに言い合っても、柊はどうだ。あの男は信用ならない。 「オレたちの間では、なかったことにしよ」 「分かった」 「誰にも言わないから。言えないっつーのも、あるけど」  吉良川は頷く。身体が薄く硬い。触れた腕も細く感じられる。 「飯食った?」 「食べた」 「ああ、そう。オレのことは気にしなくていいから、ちゃんと飯食えよな」  彼はまた頷く。 「本当に、すまなかった」 「いいって。へーき。オレはそんなに……いんや、謝るべきは柊の野郎で、吉良川じゃないし。別に謝ってほしいワケじゃないけど。だからへーき」  このまま手を離したら泣き出しそうだ。無愛想だけれども彼は素直なところがある。不器用なだけなのかも知れない。櫻岬の手はまだ吉良川の腕を掴んだままで、そのうち項垂れた頭を肩口に寄せる。ほんのりと赤みの差してきた空を見上げた。男子同士、戯れて抱擁することは仲の良い女子同士ほどでなくとも間々ある。櫻岬もまた宮末にはよく抱きついている。愛犬になりたかった。彼の弟に、息子になってみたかった。 「櫻岬……」  気遣わしげな手付きで吉良川の肘を張られてしまう。身体も離された。 「大丈夫だ、俺は……」 「そう?一気に窶れた気がした。学食行かね?」 「今日は、あまり食べられそうにない……」 「ふぅん。じゃあ肉まん食お。1コだけなら奢る」  彼は髪を靡かせる。何となく惰性で植えられたような芝生から緑の香りが仄かに混ざっている。 「いい。それなら俺も食べたい。自分で買う」 「じゃあ行こうぜ。購買の肉まん、タニザキパンのだから美味いんだよ。プチストップのと同じやつ。ふわふわなん」  そうと決まると櫻岬は同期生の手首を服越しに掴んだ。購買部へと引っ張っていく。 「櫻岬」 「うん?」  振り返る。フレームに囲まれた目が動揺している。 「いや……手」 「ああ、ゴメン」   彼を放し、それから各々購買部で買い物を済ました。アイスを食べ終えた辺りから塩気のあるものが食べたくなっていた。肉まんと縦裂きチーズ、それからジャスミン茶を買う。ロビーで合流した吉良川の買い物袋は小さかった。 「外で食いたいけど、寒いかな?吉良川、寒い?」 「寒くない」  気付けばまたもや吉良川の腕を引いていた。 「……櫻岬」 「うん?」  吉良川は呼んだけれども、振り向かれると、目を逸らした。 「いいや……」  何か言いたい様子だが、結局緩やかに首を振る。 「あ、手か。ゴメン。癖でさ」  1日の最後の講義まであと少しある。開講する教室のある建物の近くに並んで座った。まるでたまたま知らない2人が隣になってしまったように顔を見ることもなければ話し掛けることもない。 「吉良川ともいつかさ、飲みとかやりたいんだけど、吉良川って酒飲めんの」  肉まんを食い終え、やっと口を開いた。ジャスミン茶を呷る。縦裂きチーズを渡すと首を振られた。 「……飲めない」 「そっか。じゃあジュース飲み会だな」 「俺と飲んでも、楽しくないだろう。櫻岬は」  彼はまだ肉まんを両手に包んで食っている。 「そうかな」 「飲まないと話せないのは、変だ」  言ってしまってから吉良川は驚いた顔をした。すまなそうに眉を下げる。愛想はないが、やはり不器用なりの素直さがある。 「確かに。ンでも、2人だけで向き合ってるってとこがいいのかもな。大学で酒飲むワケにはいかないし」  チーズを齧りながらジャスミン茶をまた胃袋に注ぐ。 「ケチをつけてすまなかった」 「え?ケチつけてたんだ。気付かなかった」  言い終わるや否や、チャイムが鳴って講義がひとつ終わった。あと10分ほど時間がある。チーズを口に放り込む。人波が押し寄せてきた。その中に柊と"七瀬ちゃん"カップルがいたけれども、柊は一瞥もくれず、"七瀬ちゃん"もまた櫻岬には気付かなかった。櫻岬はこのカップルの姿を認めたが、隣の同期生は俯いていて人々の群れを見ることもなかった。 「紅ちゃん」  次の大きな講義に参加する中には宮末もいる。 「吉良川と飯?」 「うん。おやつ食べてた。肉まん」  宮末が隣に首を曲げた途端に吉良川はすいと腰を上げてしまった。 「また明日、な」  彼はそれだけ言って続々と大講義室に伸びる列に混ざっていった。  宮末の表情が薄らと強張る。明らかに邪険の念を晒されてもまだ笑みを絶やさない彼はやはり尊敬に値する。 「気難しいんだよな。あんまり気にすんな」  櫻岬も苦笑した。 「多分おれがやっぱ失礼なことしたんだな。気にしてないよ。ありがとな、紅ちゃん。分かってるのに声掛けちゃうおれもおれなんだよな」 「そうか?友達だもん、声掛けちゃっていいんじゃね。フューチャーがいいやつ過ぎんのよ。さすがにあれは吉良川が悪い」  ぎこちなく笑っている宮末をぺちぺちと軽く叩いた。 「あ~、もう紅ちゃん、好き」  宮末の長い腕が大きな輪を作り櫻岬を抱き締める。それは逃げ出した動物を縄で捕まえるようでもあった。 「もしかしてさ」  潔く宮末は獲物を放す。 「うん?」 「おれが紅ちゃんと仲良いから、吉良川、ヤキモチ焼いてんのかな?」 「えっぇえ?」  砂利のついた掌で心臓を逆撫でされたような妙なざわつきが過る。 「吉良川、紅ちゃんと仲良いじゃん。で、おれもほら、紅ちゃんと仲良いじゃん。だから……ああ、ごめんな。これから紅ちゃんが吉良川といるときは声掛けないようにするわ。ごめんな。割って入るつもりはなかったんだ。見かけたからさ……」 「え、ちょ、待って、待って。それは吉良川のこと嫌いになるよ、オレ。声掛けてぇ。フューチャー……寂しいこと言わんといてぇなぁ」  宮末にしがみつく。ふざけたなりに本音を透かした。すると冗談ということにしたのか彼は台風一過みたいにからりと笑う。 「ははは、ジョーク。ちょっとシュミが悪かったな。ごめん、ごめん。だから吉良川のことは嫌いになるなよ」  しかしそこには本気の色も確かに滲んでいたのだ。吉良川は明らかに宮末を避けているが、そこに攻撃的な言動があったわけではない。だがそこがさらに宮末の行動を制限しているのかも知れない。 「ならないよ。ああいう態度取るけど、いいやつなんだ、結構……フューチャーのことも、多分嫌いじゃない、はず。だってフューチャー、いいやつだし。いいやつってトコが原因で苦手だったら、元も子もないけど!さ!」 「ありがとな。言うほど傷付いてないから。だから言われ得っていうか、プラマイがプラス。紅ちゃんが友達でよかった」  兄貴分に褒められ、弟分はきゃはきゃはと笑って上機嫌だった。

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