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誘惑の土曜日(1)

朝飯のトーストにマーガリンを塗りながら、オレはまたも反省していた。 なんで行くなんて言ったんだろう。大体、着て行くものもないし、金だって。 それに、何より、オレの気持ち。この浮きたつような気持ちは。男が男に対して抱くものじゃない気がする。 断ろう。 醒めてしまったトーストを口に押し込み、ぬるくなった黄色いラベルの紅茶をすすると、オレはiPhoneを握りしめた。 『電波の入らない所にあるか、お客様の都合によりー・・・』 電源、切れてる。 …………約束、忘れちゃったのかな? 傷ついている自分になんかムカつく。断るつもりだったんだろ? どこまで勝手なんだよ、オレ。 きっと、からかわれただけなんだ。 でも、電話が繋がらないなら、待ち合わせの場所までは行かないといけないよな。 ちょっとだけ待って、それから帰ろう。オレはのろのろと支度をすると家を出た。 駅に近づくと、携帯が鳴り出した。 「え?」 画面を見ると、土御門からだ。オレはおそるおそる電話に出た。 「もしもし」 「駅に着いたんだけど、どこにいる?」 「え? あ、もうちょいで着くとこ」 オレは小走りになって、 駅に向かった。キョロキョロすると、駅前に土御門が立っていた。 片手にヘルメットを持って、携帯を耳に当てている。 身体にフィットしたV字の黒のTシャツに、ゴツめのシルバーのチェーンネックレス。洗いざらしの細めのストレートジーンズが、高校生とは思えない、きれいな身体を包んでいる。 オレの姿を見ると、土御門は電話を切って、手をあげた。 「おはよう。神無月さん」 土御門がにっこり笑う。 「遅くなって、ごめん」 「いや、時間ぴったり」 いかにも高そうな時計を見て、土御門は微笑む。 「そ、そっか。出掛けに電話したんだ。そしたら、出なかったから」 「バイク転がしてたから。神無月さんが朝になって、ビビってさ。断る為に電話して来るかもだから、電源切っといたとか、そんなんじゃないから」 「え?あ!」 バレてた?顔に血が登る。しどろもどろになっているオレを見て、土御門は鮮やかに微笑んだ。 「バイク、乗ったことある?」 「ない、かな」 「どっか行きたいとこは?」 「何も考えてなかったかも」 オレはうろたえて、土御門の高そうな靴をじっと見た。 「海もいいけど、バイク初めてだと辛そうだから、映画でも見に行く?」 「あ……うん」 映画は無難そうだ。料金は気になるけど。 「これ」 背中にナナメにかけてた、レザーのポーチから土御門は細長い紙を二枚取り出した。 「え?」 「親父から、映画のタダ券もらったんだ。株主優待とかって」 「へえ。すごいね!」 「劇場決まってるけど、好きなの見れるから、あっちで決めよう」 「うん」 「はい、これ。あ、メガネ外して?」 土御門はバイクの後ろのネットから、ヘルメットを取り出して差し出すと、オレの頭にかぶせた。紐がゆるんでいないか確かめると、オレが持っていたメガネを取り上げて、シールドを上げてメガネをかける。 なんだか、子供みたいだ。じんわりと頬が赤くなる。 土御門はめちゃくちゃ嬉しそうに笑った。 「ヘルメット、めっちゃ似合うなあ」 「う、嘘だ」 「マジマジ、さらわれた宇宙人みたいな感じ」 …………それ、ほめ言葉じゃなくね? 「宇宙人とかあり得ないんですけど」 ムッとして言うと、土御門がもう耐えきれないというように腹を抱えて笑いはじめた。 「笑うな!」 「神無月さん、マジでかわいい」 「かわいいとかは、女子に言えよ!」 笑いの発作に身体をよじりながら、息も絶え絶えに土御門が言う。 「神無月さん以外には言わない」 それ、どういう意味? 笑いの治まった土御門は、もう一度言った。 「言わないよ」 ひょいと手が伸びて、シールドを下げた。 「そんなにスピードは出さないけど、カーブの時は絶対に身体を起こさないで。 しがみついて一緒に体重移動して。自転車でスピード出して、カーブ曲がる時みたいな感じ」 「わかった」 土御門がバイクにまたがると、オレはぎこちなく後ろにまたがった。 土御門が足を乗せる場所を教えてくれたので、慎重に足を乗せる。 「じゃ、行くぞ」 バイクのエンジンがかかって、ゆっくりと動きはじめる。 うわっ。結構速い。 周りの車を見ると、そんなに速くはないけど、車よりは全然速く感じる。 全然違う風景。 オレは学校と家を移動しかしないから。 赤信号で止まると、土御門がオレの両手をつかむと、ぐいっと前に引き寄せた。 腰から胸までがもれなく土御門に密着する。 引き寄せた腕を、土御門は腰にしっかりと絡ませた。 ちょっ。 バイクが発進する。 周りの風景どころじゃないことに気づく。腰から胸まで密着している。腰から、胸まで。つまり、今、反応したら、土御門にバレちゃうということ。いや、ホモじゃないんだし。 ないない。 ない、よね? もぞっと土御門の腰が揺れる。 思いがけない衝撃に声が漏れそうになる。 これは、まずい。 絶対まずい。 かあっと顔に血が登る。 気づかれたら・・・・。 混乱する頭でオレは必死で考えた。 なんだっけ、なんかこういう時なんか数えるんじゃないっけ? 羊? 違う。素数だ! オレは電柱柱にひっつく、セミを思い浮かべながら、必死に素数を思い出し続けた。 何やら立派なビルの地下駐車場にバイクが止まった。 素数は787まで進んでいた。息子さんは平常運転中。セーフだよね、セーフ。 「メガネ外してから、メット脱いでね」 土御門は受け取ったヘルメットをバイクのネットに突っ込んだ。 スタッフらしき人が飛んで来て、バイクを受け取る。 「ここ、親父が駐車場借りてるから。いこ」 オレは土御門と並んで歩き始めた。 「神無月さんはどんな映画好き?」 「うーん。うーん。恋愛はダメかな。アクションとかファンタジーとかかなあ。あんまりテレビ見ないし。よくわかんない」 「テレビ見ないの?」 「見ないなあ。土御門くんは?」 ピタリと土御門の足が止まる。 「?」 「…………」 土御門は拳を握りしめて立っていた。なんだかすごく辛そうな顔をしている。 「どうかした?」 オレが不安そうに尋ねると、土御門は無理やり笑った。 「神無月さん────ハルでしょ?」 オレははっとした。あの辛そうな顔は、オレが土御門って呼んだから? 土御門にはオレがそう呼ぶのが、大事なことなのか? そんな辛そうな顔をするぐらいに? 「あ、ああ。でも、なんか馴れ馴れしくない?」 「全然。オレがそう呼んで欲しいんだから」 「ハルくん?」 オレが口ごもりながら言うと、土御門の口に本当の微笑みが浮かぶ。 オレは胸が苦しくなった。 「ハルがいいな。神無月さん」 「ハル?」 おそるおそる、オレはその名を口にした。 「なあに?」 え?ここで質問?なあにって? しかもすっごい嬉しそう。 オレはうーんと考え込んで、そういや、今まで気になってたことを質問した。 「えと……オレがハルって呼んでるのに、オレは神無月さんでさ、君だったらまだわかるけど。なんだかさ、オレ偉そうじゃない?」 「先生だから」 土御門が微笑む。 「役に立つかわかんないし、同級生だもん。神無月か七重でいいよ」 土御門は歌うように、オレの名前を呼ぶ。 「七重、ナナエ、ナナ、なな?」 「ナナは女みたい。まあ、ナナエもか」 「どうして七重って名前になったの?」 「ばあちゃんが、この子には、神様の加護がないかもしれないから、人が七重に守ってくれますようにってさ。 オレさ誕生日が十月で。十月って神無月だろ?んで、神無月に生まれた神無月家の人間で。神無月って、出雲に神様全部行っちゃって、神様がいなくなるんだって。 父さんはオレの生まれる前に、母さんは出産の時死んでるからさ。神様までいないんじゃって、ばあちゃん心配だったみたい」 「そっか。なんか深いな」 「神様の護りなんかいらないって風にも聞こえるけどね。 ばあちゃんは、多分、その時怒ってたんだろうと思うんだ。神様がいるなら、赤ん坊から両親を取ったりしないだろうってさ」 「…………」 「ごめ、なんか重いよね。今まであんまり話したことないんだけどな」 「話してくれて、嬉しいよ」 「・・・うん」 「あのさ、ななって呼んでいい?」 「え」 「ダメ?」 「ど、どうかなあ。女の子みたいじゃん?」 「…………じゃあ、2人きりの時だけでもいいからさ」 どうしよう。なんか、すっごく恥ずかしいんだけど。あだ名みたいなの、今までつけられたことないし。しかも、ななって。2人だけの呼び名って。 どうなんだ、それ? その時、土御門がオレの頭を撫でた。 「また、なんか一生懸命考えてる? 嫌ならいいんだ」 「嫌じゃないんだ。なんか、恥ずかしいだけで。すっごい仲良しみたいじゃん?」 「俺は、ななと仲良しになりたい」 土御門はオレを見て、蕩けるような笑みを浮べた。 オレは顔が真っ赤になったけど、なんだかすごく嬉しくなった。

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