4 / 39
誘惑の土曜日(1)
朝飯のトーストにマーガリンを塗りながら、オレはまたも反省していた。
なんで行くなんて言ったんだろう。大体、着て行くものもないし、金だって。
それに、何より、オレの気持ち。この浮きたつような気持ちは。男が男に対して抱くものじゃない気がする。
断ろう。
醒めてしまったトーストを口に押し込み、ぬるくなった黄色いラベルの紅茶をすすると、オレはiPhoneを握りしめた。
『電波の入らない所にあるか、お客様の都合によりー・・・』
電源、切れてる。
…………約束、忘れちゃったのかな?
傷ついている自分になんかムカつく。断るつもりだったんだろ?
どこまで勝手なんだよ、オレ。
きっと、からかわれただけなんだ。
でも、電話が繋がらないなら、待ち合わせの場所までは行かないといけないよな。
ちょっとだけ待って、それから帰ろう。オレはのろのろと支度をすると家を出た。
駅に近づくと、携帯が鳴り出した。
「え?」
画面を見ると、土御門からだ。オレはおそるおそる電話に出た。
「もしもし」
「駅に着いたんだけど、どこにいる?」
「え? あ、もうちょいで着くとこ」
オレは小走りになって、 駅に向かった。キョロキョロすると、駅前に土御門が立っていた。
片手にヘルメットを持って、携帯を耳に当てている。
身体にフィットしたV字の黒のTシャツに、ゴツめのシルバーのチェーンネックレス。洗いざらしの細めのストレートジーンズが、高校生とは思えない、きれいな身体を包んでいる。
オレの姿を見ると、土御門は電話を切って、手をあげた。
「おはよう。神無月さん」
土御門がにっこり笑う。
「遅くなって、ごめん」
「いや、時間ぴったり」
いかにも高そうな時計を見て、土御門は微笑む。
「そ、そっか。出掛けに電話したんだ。そしたら、出なかったから」
「バイク転がしてたから。神無月さんが朝になって、ビビってさ。断る為に電話して来るかもだから、電源切っといたとか、そんなんじゃないから」
「え?あ!」
バレてた?顔に血が登る。しどろもどろになっているオレを見て、土御門は鮮やかに微笑んだ。
「バイク、乗ったことある?」
「ない、かな」
「どっか行きたいとこは?」
「何も考えてなかったかも」
オレはうろたえて、土御門の高そうな靴をじっと見た。
「海もいいけど、バイク初めてだと辛そうだから、映画でも見に行く?」
「あ……うん」
映画は無難そうだ。料金は気になるけど。
「これ」
背中にナナメにかけてた、レザーのポーチから土御門は細長い紙を二枚取り出した。
「え?」
「親父から、映画のタダ券もらったんだ。株主優待とかって」
「へえ。すごいね!」
「劇場決まってるけど、好きなの見れるから、あっちで決めよう」
「うん」
「はい、これ。あ、メガネ外して?」
土御門はバイクの後ろのネットから、ヘルメットを取り出して差し出すと、オレの頭にかぶせた。紐がゆるんでいないか確かめると、オレが持っていたメガネを取り上げて、シールドを上げてメガネをかける。
なんだか、子供みたいだ。じんわりと頬が赤くなる。
土御門はめちゃくちゃ嬉しそうに笑った。
「ヘルメット、めっちゃ似合うなあ」
「う、嘘だ」
「マジマジ、さらわれた宇宙人みたいな感じ」
…………それ、ほめ言葉じゃなくね?
「宇宙人とかあり得ないんですけど」
ムッとして言うと、土御門がもう耐えきれないというように腹を抱えて笑いはじめた。
「笑うな!」
「神無月さん、マジでかわいい」
「かわいいとかは、女子に言えよ!」
笑いの発作に身体をよじりながら、息も絶え絶えに土御門が言う。
「神無月さん以外には言わない」
それ、どういう意味?
笑いの治まった土御門は、もう一度言った。
「言わないよ」
ひょいと手が伸びて、シールドを下げた。
「そんなにスピードは出さないけど、カーブの時は絶対に身体を起こさないで。
しがみついて一緒に体重移動して。自転車でスピード出して、カーブ曲がる時みたいな感じ」
「わかった」
土御門がバイクにまたがると、オレはぎこちなく後ろにまたがった。
土御門が足を乗せる場所を教えてくれたので、慎重に足を乗せる。
「じゃ、行くぞ」
バイクのエンジンがかかって、ゆっくりと動きはじめる。
うわっ。結構速い。
周りの車を見ると、そんなに速くはないけど、車よりは全然速く感じる。
全然違う風景。
オレは学校と家を移動しかしないから。
赤信号で止まると、土御門がオレの両手をつかむと、ぐいっと前に引き寄せた。
腰から胸までがもれなく土御門に密着する。
引き寄せた腕を、土御門は腰にしっかりと絡ませた。
ちょっ。
バイクが発進する。
周りの風景どころじゃないことに気づく。腰から胸まで密着している。腰から、胸まで。つまり、今、反応したら、土御門にバレちゃうということ。いや、ホモじゃないんだし。
ないない。
ない、よね?
もぞっと土御門の腰が揺れる。
思いがけない衝撃に声が漏れそうになる。
これは、まずい。
絶対まずい。
かあっと顔に血が登る。
気づかれたら・・・・。
混乱する頭でオレは必死で考えた。
なんだっけ、なんかこういう時なんか数えるんじゃないっけ?
羊? 違う。素数だ!
オレは電柱柱にひっつく、セミを思い浮かべながら、必死に素数を思い出し続けた。
何やら立派なビルの地下駐車場にバイクが止まった。
素数は787まで進んでいた。息子さんは平常運転中。セーフだよね、セーフ。
「メガネ外してから、メット脱いでね」
土御門は受け取ったヘルメットをバイクのネットに突っ込んだ。
スタッフらしき人が飛んで来て、バイクを受け取る。
「ここ、親父が駐車場借りてるから。いこ」
オレは土御門と並んで歩き始めた。
「神無月さんはどんな映画好き?」
「うーん。うーん。恋愛はダメかな。アクションとかファンタジーとかかなあ。あんまりテレビ見ないし。よくわかんない」
「テレビ見ないの?」
「見ないなあ。土御門くんは?」
ピタリと土御門の足が止まる。
「?」
「…………」
土御門は拳を握りしめて立っていた。なんだかすごく辛そうな顔をしている。
「どうかした?」
オレが不安そうに尋ねると、土御門は無理やり笑った。
「神無月さん────ハルでしょ?」
オレははっとした。あの辛そうな顔は、オレが土御門って呼んだから? 土御門にはオレがそう呼ぶのが、大事なことなのか?
そんな辛そうな顔をするぐらいに?
「あ、ああ。でも、なんか馴れ馴れしくない?」
「全然。オレがそう呼んで欲しいんだから」
「ハルくん?」
オレが口ごもりながら言うと、土御門の口に本当の微笑みが浮かぶ。
オレは胸が苦しくなった。
「ハルがいいな。神無月さん」
「ハル?」
おそるおそる、オレはその名を口にした。
「なあに?」
え?ここで質問?なあにって?
しかもすっごい嬉しそう。
オレはうーんと考え込んで、そういや、今まで気になってたことを質問した。
「えと……オレがハルって呼んでるのに、オレは神無月さんでさ、君だったらまだわかるけど。なんだかさ、オレ偉そうじゃない?」
「先生だから」
土御門が微笑む。
「役に立つかわかんないし、同級生だもん。神無月か七重でいいよ」
土御門は歌うように、オレの名前を呼ぶ。
「七重、ナナエ、ナナ、なな?」
「ナナは女みたい。まあ、ナナエもか」
「どうして七重って名前になったの?」
「ばあちゃんが、この子には、神様の加護がないかもしれないから、人が七重に守ってくれますようにってさ。
オレさ誕生日が十月で。十月って神無月だろ?んで、神無月に生まれた神無月家の人間で。神無月って、出雲に神様全部行っちゃって、神様がいなくなるんだって。
父さんはオレの生まれる前に、母さんは出産の時死んでるからさ。神様までいないんじゃって、ばあちゃん心配だったみたい」
「そっか。なんか深いな」
「神様の護りなんかいらないって風にも聞こえるけどね。
ばあちゃんは、多分、その時怒ってたんだろうと思うんだ。神様がいるなら、赤ん坊から両親を取ったりしないだろうってさ」
「…………」
「ごめ、なんか重いよね。今まであんまり話したことないんだけどな」
「話してくれて、嬉しいよ」
「・・・うん」
「あのさ、ななって呼んでいい?」
「え」
「ダメ?」
「ど、どうかなあ。女の子みたいじゃん?」
「…………じゃあ、2人きりの時だけでもいいからさ」
どうしよう。なんか、すっごく恥ずかしいんだけど。あだ名みたいなの、今までつけられたことないし。しかも、ななって。2人だけの呼び名って。
どうなんだ、それ?
その時、土御門がオレの頭を撫でた。
「また、なんか一生懸命考えてる? 嫌ならいいんだ」
「嫌じゃないんだ。なんか、恥ずかしいだけで。すっごい仲良しみたいじゃん?」
「俺は、ななと仲良しになりたい」
土御門はオレを見て、蕩けるような笑みを浮べた。
オレは顔が真っ赤になったけど、なんだかすごく嬉しくなった。
ともだちにシェアしよう!