11 / 39

逃亡の月曜日(1)

人目を引くのは嫌だったから、荷物は最低限にした。厄介なのは教科書一式だ。まだ授業があるから、全部持って行かないといけない。 土御門は帰りに取りに寄ればいいと言ったけど、家を知られるのは絶対嫌だった。 猫に追われる鼠には、秘密の巣穴が必要だ。 オレの家から学校までの間、肩に食い込むリュックにめまいがしそうになる。マジで肩痛い。 「七重?」 声をかけられて振り向くと、高橋がいた。 「お前、朝練は?」 「昨日、練習試合で、今日は休みよ。なんかリュックでかくね?」 「今日、ちょっと帰りに寄り道して、そのまま泊まるから、教科書とか着替え入ってるんだ」 「へー。七重がそういう交流珍しくね?何すんの?」 「さあね」 「はあ?なんだそれ?」 「こっちが聞きたいよ」 オレは吐き捨てるように言った。 「七重、怒ってる?」 「別に」 オレはリュックの肩ひもを引っ張った。これ、絶対痣ができてるよなあ。ひ弱で生っ白い身体は鬱血しやすい。土曜日、片方だっけ、あいつにつかまれた所も、うっすら痣になっていた。 高橋が見かねて声をかけてきた。 「…………まあ、貸せよ。リュック持ってやる」 「ありがとう」 いい加減、クソ重い荷物にうんざりしていたから、オレは素直に荷物を渡した。 「うわっ。おもっ」 「教科書一式入れたからな」 「教科書って、学校に積んでおくものじゃないの?」  オレは心底呆れて高橋を睨んだ。高橋は構ってもらって嬉しいわんこみたいな笑顔を浮かべている。 「お前、少しは真面目に勉強しろよ」 「しなくていい勉強はしない主義だし」 「呑気だな」  オレが言うと、高橋がニヤリと笑う。 * * * ぎゃあぎゃあ高橋が騒ぐ。 「まじっ、おもっ!死ぬ!腕ちぎれる!」 「クラブで鍛えてるんだろう?」 「オレはサッカー部だっつ~の」 「マジックテープの財布の罰だ。頑張れ」 「あ?あれ?やっちゃった?やっちゃったの??」 「うるさい!」 二人で大騒ぎしていると、視線を感じた。 ふっと目をあげると、二階の廊下に茶色い髪が見えた。 ────土御門だ。 お出ましか。オレの笑いは消えた。 下駄箱で高橋からリュックを受け取ると、オレはそれを背負った。 マジで重い。 土御門がやってきた。 「荷物、持つよ」 オレのリュックに手が伸びる。 オレはびびって、後ろに飛びのいた。土御門の顔が曇る。 「七重、こうすりゃよくね?」 高橋がリュックの尻を持ち上げる。あ、ちょっと軽いかも。 高橋は土御門に気づいていなかったようだ。 土御門の表情が凍る。 そういや土御門、高橋のこといやに気にしてたな。 仲良く登校とか、勘違いしたか? 「あ、大丈夫。お構いなく。高橋。行こう」 土御門はとんでもない怒りのオーラを放っていたが、知るかそんなもん。 土御門が見えなくなってから、高橋が震える声で言う。 「なんか今、土御門に睨まれた気がする」 「そうか?」 俺と高橋は列車のように、教室を目指した。 「ご褒美に、今日提出の課題を見せてやろう。ってか、それがお手伝いの目的だろ?」 「七重、マジ天使!」 「まる写しはダメだぞ」 オレはプリントを取り出した。その時、校内放送が鳴る。 『二A、神無月七重、職員室、担任まで来なさい』 「うお、お前呼び出し?珍しいな」 オレは高橋にプリントを渡すと、職員室に向かった。 担任の佐々木春馬がオレを待っていた。科学担当の佐々木先生はホストみたいな容姿をしている。だけど、着ている服は至って地味で、スーツのパンツに、Tシャツ。白衣を羽織って腕まくりをしている。 「おはようございます」 「おはよう。お前、土御門の勉強を見ることになったんだって?」 職員室には通達済みなんだ。どこまでやるつもりなんだよ。 「そうですね」 オレは投げやりに言った。佐々木先生はそんなオレに眉をひそめる。 「お前、大丈夫なのか? 学費免除組が他人に関わってる暇なんかないぞ」 「オレもそう思いますけど、乗りかかった船なんで、しょうがないです」 はあって佐々木先生がため息をついて、じっとオレの顔を見る。 「言いずらいが。 お前の成績が下がるのもまずいが、土御門の成績が上がらないのもまずい。 土御門は元々成績はいいが、あまり評判のよくない連中との付き合いもあるから、お前がそっちに引っ張られて成績がガタ落ちってことになると、相当まずい。…………それと、土御門の成績が、上がらなければ、お前の指導がという事になる。──わかるよな?」 「オレの評価が下がるってことですね」 「そうだ。理想は神無月は維持、土御門の成績が上がることが一番だが、最低でもお前の成績は下げないようにすることだ」 「はい」 思いついて、ついでに聞く。 「ちなみに、土御門の成績、今回どれだけ下がったんですか?」 「個人情報をいうわけにはいかないが、相当って感じだな」 「親がびっくりして、勉強してくれるなら、なんでもいいって思うレベルですか?」 「…………そうだな」 「わかりました。気をつけます」 オレは頭を下げると職員室を出た。 問題は。 土御門がどこまで嘘をつくつもりなのかということだ。 あいつは馬鹿じゃない。 あいつは狡猾で行動力がある。望みを叶えるだけの人脈と財力がある。 もし、先生の言ったことが本当なら、例えばオレの行動で、土御門の成績が上がったり、下がったりするのなら、そして、それによってオレの評価が変わるのなら、土御門はオレに対して力を持っていることになる。 土御門はそれを知っているだろうか? 知っていて、利用するつもりか? 佐々木先生のいう通り、最悪なのは俺たち二人が共倒れすることであって、土御門の成績のことはそれほど気にすることはないだろうけど、片方の様な人間が側にいるなら、何をされるかわからない。 ぎりっとオレは歯を食いしばった。 きっと、土御門はずっと前から計画していた。自分の成績をわざと下げて、周りの不安を誘って。その先を計算していないと、どうして言えるだろう。 勉強をすること、又はしないことで、オレを操ろうとしないと誰が断言出来るんだ。 怖い。オレはめちゃくちゃ怖くてしょうがなかった。 震える手でメガネをとる。視界がぼやけると、ほんの少しだけ安心する。 そう。オレは土御門の家庭教師だ。 それ以外の接点なんかいらない。

ともだちにシェアしよう!