12 / 39

逃亡の月曜日(2)

昼休み。 「昼メシいかね?」 土御門がやって来た。 「カフェは高いからムリだけど、食堂ならいいよ」 オレはさらりと同意した。 うちの学校には、第一食堂と第二食堂があって、第一はいわゆるセレブな皆さんが、第二は俺たち庶民と先生が食事をするような仕組みになっていた。 元々は第二は先生の為に作られたんだけど、お金のない学生が潜り込む様になり、先生も黙認している。 んで、生徒は第一をカフェ。第二を食堂と呼んでいた。 「カフェに連れてくよ」 「じゃあ行かない」 土御門とカフェなんて、誰が行くか。カフェはブルジョワの溜まり場だ。晒し者になんかなりたくない。 「わかった。食堂に行こう」 俺はリュックの中に手を突っ込んで、iPhoneとケースを取り出した。 土御門と並んで歩くのが嫌だったから、土御門の後ろについて歩く。土御門はゆっくり歩いている。多分、並んで歩きたかったんだろうけど、そんなのは御免だったから、オレは慎重に土御門の後ろを歩いた。 途中、何度かあれっ?て感じで二度見されたりして、イライラする。 食堂に着くと、オレはさっさと券売機に札を挟んで、ワカメラーメンのボタンを押した。食堂のおばちゃんに券を渡して、土御門を完全に無視して空いている窓際のテーブルに座る。しばらくすると、土御門が戸惑った様子で向かい側に座る。 窓際に座ったのは失敗だったな。 軍神アレス。いや、盗賊の神ヘルメスか。本当に土御門は豪華だ。 陽に透けて赤く輝く髪、はしばみ色の目。 ガードをこんなにも固めていても、土御門はするりとオレの心に入ることが出来る。そのことが情けなくて、それから悔しくてたまらない。 「怒ってるよな?」 もちろん。 「いや、別に。オレのことをそこまで買ってくれるなんて、光栄だよ」 オレはにっこり笑ってみせた。 「悪かったと思って、電話したんだ。メールも」 おばちゃんがラーメンの番号を呼んでる。 「ああ」 オレは立ち上がると、iPhoneとケースを土御門の前に置いた。 「これ、返すよ」 そしてそのまま、ラーメンを取りに行く。戻って来ると、土御門が懇願する様に言った。 「なな」 その響きがオレの胸を突き刺して、オレは泣きたくなった。ガタンとトレイを置くと、乱暴に腰掛ける。 「約束を忘れないでくれないか?土御門くん。いや、土御門がいいかな。オレも神無月でいいよ」 オレは箸を取るとラーメンをすすり始めた。 土御門はじっとオレを見ている。 「怒ってるんだろ?」 当然だ。 人を罠にはめて置いて、望まないことをさせて、どうして怒らずにいられると思うんだ。 「いや。別に」 「携帯…………」 土御門が言い始めると、オレはぶっきらぼうに遮った。 「連絡用にどうしても必要だと思うなら、受け取ってもいいよ」 土御門がほっと息をつく。オレは言葉を続けた。 「ただし、日曜日のメールは消してくれ」 「なんで」 「興味がないし、見たくない」 土御門が真っ青になる。傷ついた瞳が真っ直ぐにオレを刺す。オレの胸が激しく痛む。なんでオレが傷つくんだ。こんなのはおかしいだろ。 「怒ってるんだな」 理解の色を浮かべて土御門が俺を見る。 「ああ」 オレは偽りの笑顔を棄てて言った。 「オレをはめたんだろ?しかも、用意周到に」 「…………そうだ。ごめん」 簡単に認めやがった。言いつくろいすらしないのか。 「ならいいさ。お前の家庭教師になる。でも、お前はオレの友達じゃないし、仲良くもならない。もう、お前に興味はない」 「どうすれば許してくれる?」 「オレを解放しろ」 土御門はゆっくりと瞬きした。 苦悶の表情で目を閉じると、頭を降りながら言った。 「…………ごめん。できない」 激昂したオレは立ち上がり、テーブルを叩いて叫んだ。 「なんでだ? 意味がわからない。なんでこんなことをする?」 土御門は真っ直ぐにオレを見た。 金色の斑点が苦しげに踊っている。 「側にいたいんだ」 オレを覆っていた冷たい怒りの鎧が、激しい痛みと一緒に粉々になる。 ひくっと喉がなった。 呼吸が荒くなって、ひどくオレの胸を焼いた。 ダメだ。なんだよ。なんでそんなこと言うんだ? 側にいたいだって? 全然、意味、わかんないよ。 土御門が、オレに手を伸ばす。オレは一歩飛びのいた。 頬を大量の暖かいものが流れ落ちる。カッコ悪すぎだろ。 オレはゆっくりとメガネを外してシャツのポケットに入れると、ぐしぐしと目を拭った。 周りがざわついて、誰かが近づいてくるのがわかる。 「なな」 その声がスタートだったみたいに、オレは脱兎の勢いで走り出した。 あーカッコ悪い。 最悪だ。 ぼろぼろ流れる涙を誰にも見られたくなくて、オレは走り続ける。 校内にいたら、その内誰かに見咎められてしまう。 そう思ったら、オレは外に向かって走っていた。 その日、 オレは生まれて初めて、学校をサボった。 ** ** ** もう走れない。ってか、歩けない。 ボロボロでドロドロだ。 めちゃくちゃに走ったあと、ウロウロ歩いていたから、ここがどこだかわからない。辺りはもう薄暗い。 オレはコンビニに公衆電話を見つけると、吸い寄せられる様に近づいて、ポケットの中を探る。 マジックテープの財布を使うのをやめたせいで、金はそのままポケットに入っていた。 公衆電話に近いて、十円を入れた。 疲れて朦朧とした頭から、暗記していた土御門の携帯の番号を思い出して、ゆっくりと押す。ワンコールで出た。 「ローソン、◯◯店」 「すぐいく」 受話器を置くと、店の駐車場の目立たない場所に座る。 コンビニに迷惑がかかるのはわかっていたけど、限界だ。 ああ、飲み物くらい買えばよかった。 頭が痛くて、脱水を起こしているのがわかったけど、もう立ち上がれない。 どれぐらい時間が経ったのか。 腕を引っ張られて我に帰る。寝てたのか?オレ。 「なな?」 心配そうな声。 目をあげると土御門が立っていた。 「大丈夫か?」 オレはうなずいた。 土御門はそのままオレをぐいぐい引っ張って、黒塗りの車の中に押しこんだ。 「出して」 土御門が一声かけると、車はなめらかに走り出した。 「ごめ……」 土御門が言う。 「うるさい」 オレは憮然として遮った。 弁解なんか聞きたくない。オレを罠にはめたくせに、捕まえようとしたくせに。優しそうなふりして、騙したくせに。ボロっとまた涙が出る。 せっかく止まったのに。 「なな?」 「黙れ」 頬に涙が伝わる。 土御門は動揺しているみたいだが、絶対にそっちは見ない。土御門の目を見たら、ギャン泣きする自信がある。メガネを外して目をこすろうとしたら、土御門に手をつかまれた。 「その手でこすっちゃダメだ」 暖かい蒸しタオルを渡されて、顔を拭ったり、手を拭いたりしたら、タオルは真っ黒になった。都会をめそめそ泣きしながら歩いていると、こういうことになるのか。 土御門がタオルを引っ張って、ペットボトルのスポーツドリンクを差し出す。 「飲んで」 そういや、喉が乾いていたんだっけ。オレはごくごくと冷たい液体を喉に流しこんだ。 「メシは?」 オレは頭を振った。 「食べれる?」 また頭を振る。 「なな……」 「うっさい」 また涙が出た。ぱちぱちと瞬きで涙を止めようとしたけど、視界がぼやけただけだった。ぼやけたいろんなものを見ているのが辛くて、ぎゅっと目を閉じた。 一度閉じたまぶたはなんだかすごく重くて、開くのが難しかった。うと、うとと意識が揺れる。そっと何かが髪に触れた。ちょっと緩んだ意識の下にオレはゆっくりと落ちていった。 「直接離れにつけて」 その声で目が覚めた。黒塗りの車がすこし動いて止まる。寝てたのか。寝ぼけて動けないでいると、ドアが開いて、肩を優しく叩かれた。 「なな、着いたよ」 目を開けると、土御門の目を見ていた。ひくっと喉が鳴る。 着いたと言いながら、どかないと思ったら、抱き上げようとしてる。 「触るな!」 オレは座席の奥に逃げた。 土御門はオレをじっと見たが、体を引いた。 オレは自分で車を降りると、土御門の後ろにおそるおそるついて行った。 土御門は真っ直ぐに二階にむかう。 「風呂とベッド、こっちだから。風呂にお湯がはってあるはずだから、良かったら使って」 風呂。 オレはその言葉につられて土御門について行った。立ってても眠れるくらい眠い。ふらふらとオレは脱衣所に入ると、服を脱ぎはじめた。 洗面台にメガネを置く。 汗ばんだ制服が気持ち悪い。 オレは肌からシャツをひっぱがすと、おいてあった藤のかごの中に落とした。 チャックを下げてズボンとトランクスを下げるとよろめきながら、足を抜く。 靴下を指でひっかけて下ろした。 目を上げると、土御門がタオルを持っている。 そういや、先に土御門が入ったんだっけ。タオルが~とか、バスローブが~とか、聞こえたような気がした。 鳩が豆鉄砲って、こんな顔かな。唖然としてるみたいだ。 あ?オレの体がひょろいから? 疲れすぎて、頭が回らない。土御門の顔が唖然とした顔からどんどん曇っていく。 「それ、どうした?」 それ?視線を肩の辺りに感じて、身を乗り出して鏡で見る。 土御門の方から、なんか変な音がした。 「ああ、リュックだ。重かったから。痣ができやすいんだ」 オレは痣に指を這わせる。またきゅーって変な音が聞こえる。 風呂だ、風呂。 土御門の横をすうっと抜けて、風呂に入る。 すげえな。 疲れ切った頭で風呂を見回す。でっかい風呂に、シャワーブース。オレはシャワーで頭と身体をさっと洗うと、湯船につかった。 「うわ…………きもちい」 疲れた身体にお湯が染み渡る。緊張がゆっくりほぐれて行く。 うと、うと。一気に眠りがやって来て、オレはそのまま寝てしまった。 何度かお湯が顔に触れて、その度にはっとして頭を動かす。だけどまた眠気がしてどうしようもない。 「なな?なな!」 誰がが呼んでる。オレは湯の中に顔を突っこみかけて、はっとした。 またゆっくりとまぶたが閉じる。 「寝るな!」 誰かが肩をゆすぶる。 オレは目を開けた。 …………風呂か、風呂で寝てたのか。 視線を泳がせると、土御門が見える。なんだか怒ってるみたいだ。 お前が怒る権利なんかないだろ。 オレは無言で立ち上がった。 土御門の目が見開かれる。 さっきといい、今といい、貧相な身体を、なぜ鳩が豆鉄砲を食らったような衝撃のまなざしで見るのか。 風呂から出ようとして、よろめく。土御門が支えようとしたけど、オレはそれを避けて床に倒れた。 「った…………」 あー。床ひんやり。 下になんか柔らかいものがある。 すりっと抱き寄せるとくんくん匂いをかぐ。なんかいい匂い。 気持ちいいな。オレは腕に力をこめた。 「なな」 うわずったなにかを恐れるみたいな声。 うっさいな。オレは寝る。 もそもそと柔らかいものを手探りして、邪魔な布を取り払い、下の柔らかいものに直接触れて、ため息をつきながら撫でる。 「なな」 喘ぐような声にオレは目を開けた。 土御門がいる。 わあ。すげえ近いなこれ。 最初んときくらいか。 相変わらず綺麗な顔してんな。 瞳に浮かぶ金色の斑点を見ながら、手をゆっくりと動かす。撫でた先に小さな突起があって、そこを撫でると、乗っている柔らかいものがびくりと跳ねた。 顔真っ赤だぞ、お前どうした。 「なな」 掠れた声がオレを呼ぶ。 「うっさい。お前なんか嫌いだ」 ぶうと唇をつきだして、呟く。土御門の目がまんまるになった。これがイケメンの間抜け面か。イケメンは間抜けな顔してもイケメンなんだな。なんだか不公平だ。 オレはそのまま目を閉じると、夢の世界に滑りこんだ。

ともだちにシェアしよう!