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逃亡の月曜日(2)
昼休み。
「昼メシいかね?」
土御門がやって来た。
「カフェは高いからムリだけど、食堂ならいいよ」
オレはさらりと同意した。
うちの学校には、第一食堂と第二食堂があって、第一はいわゆるセレブな皆さんが、第二は俺たち庶民と先生が食事をするような仕組みになっていた。
元々は第二は先生の為に作られたんだけど、お金のない学生が潜り込む様になり、先生も黙認している。
んで、生徒は第一をカフェ。第二を食堂と呼んでいた。
「カフェに連れてくよ」
「じゃあ行かない」
土御門とカフェなんて、誰が行くか。カフェはブルジョワの溜まり場だ。晒し者になんかなりたくない。
「わかった。食堂に行こう」
俺はリュックの中に手を突っ込んで、iPhoneとケースを取り出した。
土御門と並んで歩くのが嫌だったから、土御門の後ろについて歩く。土御門はゆっくり歩いている。多分、並んで歩きたかったんだろうけど、そんなのは御免だったから、オレは慎重に土御門の後ろを歩いた。
途中、何度かあれっ?て感じで二度見されたりして、イライラする。
食堂に着くと、オレはさっさと券売機に札を挟んで、ワカメラーメンのボタンを押した。食堂のおばちゃんに券を渡して、土御門を完全に無視して空いている窓際のテーブルに座る。しばらくすると、土御門が戸惑った様子で向かい側に座る。
窓際に座ったのは失敗だったな。
軍神アレス。いや、盗賊の神ヘルメスか。本当に土御門は豪華だ。
陽に透けて赤く輝く髪、はしばみ色の目。
ガードをこんなにも固めていても、土御門はするりとオレの心に入ることが出来る。そのことが情けなくて、それから悔しくてたまらない。
「怒ってるよな?」
もちろん。
「いや、別に。オレのことをそこまで買ってくれるなんて、光栄だよ」
オレはにっこり笑ってみせた。
「悪かったと思って、電話したんだ。メールも」
おばちゃんがラーメンの番号を呼んでる。
「ああ」
オレは立ち上がると、iPhoneとケースを土御門の前に置いた。
「これ、返すよ」
そしてそのまま、ラーメンを取りに行く。戻って来ると、土御門が懇願する様に言った。
「なな」
その響きがオレの胸を突き刺して、オレは泣きたくなった。ガタンとトレイを置くと、乱暴に腰掛ける。
「約束を忘れないでくれないか?土御門くん。いや、土御門がいいかな。オレも神無月でいいよ」
オレは箸を取るとラーメンをすすり始めた。
土御門はじっとオレを見ている。
「怒ってるんだろ?」
当然だ。
人を罠にはめて置いて、望まないことをさせて、どうして怒らずにいられると思うんだ。
「いや。別に」
「携帯…………」
土御門が言い始めると、オレはぶっきらぼうに遮った。
「連絡用にどうしても必要だと思うなら、受け取ってもいいよ」
土御門がほっと息をつく。オレは言葉を続けた。
「ただし、日曜日のメールは消してくれ」
「なんで」
「興味がないし、見たくない」
土御門が真っ青になる。傷ついた瞳が真っ直ぐにオレを刺す。オレの胸が激しく痛む。なんでオレが傷つくんだ。こんなのはおかしいだろ。
「怒ってるんだな」
理解の色を浮かべて土御門が俺を見る。
「ああ」
オレは偽りの笑顔を棄てて言った。
「オレをはめたんだろ?しかも、用意周到に」
「…………そうだ。ごめん」
簡単に認めやがった。言いつくろいすらしないのか。
「ならいいさ。お前の家庭教師になる。でも、お前はオレの友達じゃないし、仲良くもならない。もう、お前に興味はない」
「どうすれば許してくれる?」
「オレを解放しろ」
土御門はゆっくりと瞬きした。
苦悶の表情で目を閉じると、頭を降りながら言った。
「…………ごめん。できない」
激昂したオレは立ち上がり、テーブルを叩いて叫んだ。
「なんでだ? 意味がわからない。なんでこんなことをする?」
土御門は真っ直ぐにオレを見た。
金色の斑点が苦しげに踊っている。
「側にいたいんだ」
オレを覆っていた冷たい怒りの鎧が、激しい痛みと一緒に粉々になる。
ひくっと喉がなった。
呼吸が荒くなって、ひどくオレの胸を焼いた。
ダメだ。なんだよ。なんでそんなこと言うんだ?
側にいたいだって?
全然、意味、わかんないよ。
土御門が、オレに手を伸ばす。オレは一歩飛びのいた。
頬を大量の暖かいものが流れ落ちる。カッコ悪すぎだろ。
オレはゆっくりとメガネを外してシャツのポケットに入れると、ぐしぐしと目を拭った。
周りがざわついて、誰かが近づいてくるのがわかる。
「なな」
その声がスタートだったみたいに、オレは脱兎の勢いで走り出した。
あーカッコ悪い。
最悪だ。
ぼろぼろ流れる涙を誰にも見られたくなくて、オレは走り続ける。
校内にいたら、その内誰かに見咎められてしまう。
そう思ったら、オレは外に向かって走っていた。
その日、
オレは生まれて初めて、学校をサボった。
** ** **
もう走れない。ってか、歩けない。
ボロボロでドロドロだ。
めちゃくちゃに走ったあと、ウロウロ歩いていたから、ここがどこだかわからない。辺りはもう薄暗い。
オレはコンビニに公衆電話を見つけると、吸い寄せられる様に近づいて、ポケットの中を探る。
マジックテープの財布を使うのをやめたせいで、金はそのままポケットに入っていた。
公衆電話に近いて、十円を入れた。
疲れて朦朧とした頭から、暗記していた土御門の携帯の番号を思い出して、ゆっくりと押す。ワンコールで出た。
「ローソン、◯◯店」
「すぐいく」
受話器を置くと、店の駐車場の目立たない場所に座る。
コンビニに迷惑がかかるのはわかっていたけど、限界だ。
ああ、飲み物くらい買えばよかった。
頭が痛くて、脱水を起こしているのがわかったけど、もう立ち上がれない。
どれぐらい時間が経ったのか。
腕を引っ張られて我に帰る。寝てたのか?オレ。
「なな?」
心配そうな声。
目をあげると土御門が立っていた。
「大丈夫か?」
オレはうなずいた。
土御門はそのままオレをぐいぐい引っ張って、黒塗りの車の中に押しこんだ。
「出して」
土御門が一声かけると、車はなめらかに走り出した。
「ごめ……」
土御門が言う。
「うるさい」
オレは憮然として遮った。
弁解なんか聞きたくない。オレを罠にはめたくせに、捕まえようとしたくせに。優しそうなふりして、騙したくせに。ボロっとまた涙が出る。
せっかく止まったのに。
「なな?」
「黙れ」
頬に涙が伝わる。
土御門は動揺しているみたいだが、絶対にそっちは見ない。土御門の目を見たら、ギャン泣きする自信がある。メガネを外して目をこすろうとしたら、土御門に手をつかまれた。
「その手でこすっちゃダメだ」
暖かい蒸しタオルを渡されて、顔を拭ったり、手を拭いたりしたら、タオルは真っ黒になった。都会をめそめそ泣きしながら歩いていると、こういうことになるのか。
土御門がタオルを引っ張って、ペットボトルのスポーツドリンクを差し出す。
「飲んで」
そういや、喉が乾いていたんだっけ。オレはごくごくと冷たい液体を喉に流しこんだ。
「メシは?」
オレは頭を振った。
「食べれる?」
また頭を振る。
「なな……」
「うっさい」
また涙が出た。ぱちぱちと瞬きで涙を止めようとしたけど、視界がぼやけただけだった。ぼやけたいろんなものを見ているのが辛くて、ぎゅっと目を閉じた。
一度閉じたまぶたはなんだかすごく重くて、開くのが難しかった。うと、うとと意識が揺れる。そっと何かが髪に触れた。ちょっと緩んだ意識の下にオレはゆっくりと落ちていった。
「直接離れにつけて」
その声で目が覚めた。黒塗りの車がすこし動いて止まる。寝てたのか。寝ぼけて動けないでいると、ドアが開いて、肩を優しく叩かれた。
「なな、着いたよ」
目を開けると、土御門の目を見ていた。ひくっと喉が鳴る。
着いたと言いながら、どかないと思ったら、抱き上げようとしてる。
「触るな!」
オレは座席の奥に逃げた。
土御門はオレをじっと見たが、体を引いた。
オレは自分で車を降りると、土御門の後ろにおそるおそるついて行った。
土御門は真っ直ぐに二階にむかう。
「風呂とベッド、こっちだから。風呂にお湯がはってあるはずだから、良かったら使って」
風呂。
オレはその言葉につられて土御門について行った。立ってても眠れるくらい眠い。ふらふらとオレは脱衣所に入ると、服を脱ぎはじめた。
洗面台にメガネを置く。
汗ばんだ制服が気持ち悪い。
オレは肌からシャツをひっぱがすと、おいてあった藤のかごの中に落とした。
チャックを下げてズボンとトランクスを下げるとよろめきながら、足を抜く。
靴下を指でひっかけて下ろした。
目を上げると、土御門がタオルを持っている。
そういや、先に土御門が入ったんだっけ。タオルが~とか、バスローブが~とか、聞こえたような気がした。
鳩が豆鉄砲って、こんな顔かな。唖然としてるみたいだ。
あ?オレの体がひょろいから?
疲れすぎて、頭が回らない。土御門の顔が唖然とした顔からどんどん曇っていく。
「それ、どうした?」
それ?視線を肩の辺りに感じて、身を乗り出して鏡で見る。
土御門の方から、なんか変な音がした。
「ああ、リュックだ。重かったから。痣ができやすいんだ」
オレは痣に指を這わせる。またきゅーって変な音が聞こえる。
風呂だ、風呂。
土御門の横をすうっと抜けて、風呂に入る。
すげえな。
疲れ切った頭で風呂を見回す。でっかい風呂に、シャワーブース。オレはシャワーで頭と身体をさっと洗うと、湯船につかった。
「うわ…………きもちい」
疲れた身体にお湯が染み渡る。緊張がゆっくりほぐれて行く。
うと、うと。一気に眠りがやって来て、オレはそのまま寝てしまった。
何度かお湯が顔に触れて、その度にはっとして頭を動かす。だけどまた眠気がしてどうしようもない。
「なな?なな!」
誰がが呼んでる。オレは湯の中に顔を突っこみかけて、はっとした。
またゆっくりとまぶたが閉じる。
「寝るな!」
誰かが肩をゆすぶる。
オレは目を開けた。
…………風呂か、風呂で寝てたのか。
視線を泳がせると、土御門が見える。なんだか怒ってるみたいだ。
お前が怒る権利なんかないだろ。
オレは無言で立ち上がった。
土御門の目が見開かれる。
さっきといい、今といい、貧相な身体を、なぜ鳩が豆鉄砲を食らったような衝撃のまなざしで見るのか。
風呂から出ようとして、よろめく。土御門が支えようとしたけど、オレはそれを避けて床に倒れた。
「った…………」
あー。床ひんやり。
下になんか柔らかいものがある。
すりっと抱き寄せるとくんくん匂いをかぐ。なんかいい匂い。
気持ちいいな。オレは腕に力をこめた。
「なな」
うわずったなにかを恐れるみたいな声。
うっさいな。オレは寝る。
もそもそと柔らかいものを手探りして、邪魔な布を取り払い、下の柔らかいものに直接触れて、ため息をつきながら撫でる。
「なな」
喘ぐような声にオレは目を開けた。
土御門がいる。
わあ。すげえ近いなこれ。
最初んときくらいか。
相変わらず綺麗な顔してんな。
瞳に浮かぶ金色の斑点を見ながら、手をゆっくりと動かす。撫でた先に小さな突起があって、そこを撫でると、乗っている柔らかいものがびくりと跳ねた。
顔真っ赤だぞ、お前どうした。
「なな」
掠れた声がオレを呼ぶ。
「うっさい。お前なんか嫌いだ」
ぶうと唇をつきだして、呟く。土御門の目がまんまるになった。これがイケメンの間抜け面か。イケメンは間抜けな顔してもイケメンなんだな。なんだか不公平だ。
オレはそのまま目を閉じると、夢の世界に滑りこんだ。
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