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困惑の水曜日(1)
朝方、明るくなる部屋の中でもう何度も出した答えを、またなぞる。沢山重ねた枕にもたれながら震える息を吐いて、両目を覆った。
オレは土御門に惹かれている。
土御門が男だとか、育った環境が違うだとか、オレを側に引き寄せる為にした策略だとか。オレが土御門を拒絶するべき理由は沢山ある。
多分そうするべきなんだろう。
でも……
悩む心がまた口を挟む。
オレはどうしようもなく、土御門に溺れている。
土御門の髪に触れたかった。榛色の瞳の金色の斑点が輝くのをひたすら見つめていたい。
溺れた頭では理性なんか働くはずがない。
手が震えている。
オレは立ち上がると、メガネを持って洗面所に行った。洗面所で顔を洗ってメガネをかけて鏡を見る。どこか惚けた自分の顔が見返して、ドキっとする。
土御門に溺れたオレの顔。
呼吸が浅くなる。
濡れたような目、ほんのり色づいた頬。
まるで、恋人を待つ女みたいな表情。
こんなんじゃ、すぐバレるだろ?
いや、もしかしたらもうバレているのか?
恥ずかしさに涙が滲む。メガネの下に指をすべりこませて涙をぬぐった。
どうしたらいいんだろう。
どうしたいんだろう。
そう考えたところで、答えが出るわけがない。一晩考えたってわからなかったんだから。
堪らずに寝室を出て廊下に出た。
廊下の窓からは屋敷の裏口が見える。
小型のバンが止まって、裏口から荷物が運ばれて行く。裏口は空いたままだ。
……今なら誰にも気づかれずに屋敷から出られるんじゃないか?
気がついた時には走っていた。大急ぎで制服を身につけると、ネクタイをひっつかんで、階段を駆け下りる。土御門にはメールをしよう。少し考えたいって……そう思って、携帯を返したままだと気づく。オレはリュックからノートを取り出すと、シャーペンで走り書きをした。
『先に学校に行きます。』
もっときちんと何か書きたい。でも、裏口から外に出る為には早く行かないと。
後で謝ればいい。学校で。
オレはリュックを背負うと、ダッシュで裏口に向かった。幸い裏口は開いたままで、オレはドキドキしながらそこを通り抜けた。走り続けて、土御門の家の塀が見えなくなると足を緩めた。
少しだけ、時間が欲しいだけなんだ。
オレは駅を探しながら、そう考えた。
他人に興味がなく、他人の気持ちがわからないオレが、初めて恋をしたのが男なんて、キャパシティをオーバーして当たり前だ。
自分の気持ちに馴染む時間が欲しい。
思い悩みながらうろうろと歩く。この辺は、家の区画がデカイ。どこまでも似たような壁が続いていて、方向がよくわからない。都内で庭つきの家がどかどか建ってるとかなんなんだよ。
コンビニもない。めっちゃ静か。
携帯があれば、地図が見れるんだけど。オレはぷるぷると頭を降りながら、あてもなく駅を探す。結構な時間をかけてやっとで駅が見つかったと思ったら、全然別の路線だった。学校へは、大きい駅まで行って、別の線に乗り換えして、戻らないといけない。
でも、間に合うからいいか。オレは電車に飛び乗った。
電車の中では土御門の事を考えていた。メモ見てるかなとか、心配してないかなとか。後ろの人が何回かぶつかって来たけど、満員電車だから仕方が無いかと思っていた。
終点の駅に着くと、後ろから声をかけられる。
「君……」
三十を超えたくらいの、スーツを着た男の人に声をかけられた。
「はい?」
男の人はいいにくそうに、苦笑いした。
「後ろ、汚れてる」
混んでいたから、荷物は胸に抱えたままだった。
えっと思って後ろを手探りすると、べたっとしたものが手につく。
顔が青ざめるのを感じる。
「あ、ありがとうございます」
オレはもごもごと呟くと、トイレに駆け込んだ。
まず、手についたものを洗い流し、セーターが裏返しにならない様に、腕を抜いて頭から脱ぐ。べったりとセーターについた精液 精液を見て、青ざめていた顔がますます青くなった。鏡で背中を見て、Yシャツやズボンに汚れがついていないか確認して、ホッとした。
セーターどうしよう。うちの学校はブルジョワ校だから、制服はもちろん高い。でも、洗ったとして、これをまた着る気にはならなかった。
「大丈夫?」
声がかかってびくっとする。鏡を見ると後ろに男が立っている。さっきの男の人だと気がついてちょっとほっとした。
「大丈夫です。お構いなく」
オレはいつもの声で言った。動揺を他人に見せたくなかった。セーターに目を落とすと、握りこんで汚れを隠そうとした。
「君さ、お金持ちの学校のコでしょ? なんで電車なんかに乗ってるの?」
その声に含まれたいやらしさに、はっとして目をあげると、鏡の中で目が合う。会社員はギラギラした目でオレを見ていた。
「君さ、きれいだよね」
腰をつかまれて、びくっとする。服の上から身体をなぞられて、恐怖と嫌悪で吐きそうになった。
オレはとっさにセーターをつかむと、会社員に投げつけた。
気持ちの悪い部分が、顔にまともにぶつかった会社員がひるんだすきに、オレはリュックをつかむと、ダッシュでトイレを出た。
きょろきょろと周りを見回して、駅員を捕まえた。追いかけられる恐怖に縮み上がりながら、もだもだと訴えた。
「そこの男子トイレに、変質者がいます」
何か聞いて来そうな駅員をかわして、学校へ続く路線の改札を目指す。
電車の中は地獄だった。さっきのショックで、人と触れると吐きそうになる。リュックをしっかり背負って後ろをガードして、前は座席のポールに捕まってガードする。
駅に着いた時は、怖くて半泣きだった。
土御門の携帯の番号が何度も頭に浮かぶ。駅前の公衆電話が目についてふらりとそちらに足が進む。そこでぎゅっと目をつぶってふんばった。
勝手に飛び出して来て、困った時は呼び出すとか、オレ、どんだけクソなんだよ。
アパートに帰ろうか。隠れてしまいたい衝動がこみあげる。でも、昨日の今日でオレが学校に行かないと土御門に迷惑がかかる。
行かなきゃ。そう思うけど、行きたくない。視界が歪んで涙が滲む。
泣くな。
オレはぎゅっと目を閉じると、自分に言い聞かせた。
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