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困惑の水曜日(4)
高橋はその後もむっつりしてて、放課後になるとクラブに行ってしまった。教室で待っていると、土御門がやって来た。
「帰ろ」
「な、高橋と何かあったのか?」
「言いたくないし、言わない」
それってどういうことなんだよ。小首を傾げてうーんって唸った。
「今朝、ななが家を抜け出した理由と方法を細かいところまで全部話すなら、話してもいいけど?」
さらりと土御門が言う。
う。
お前を好きになって、悶々とした挙句、気持ちをもてあまして、一人で考えたくなったからです……とか言えるか!ムリ!絶対!
「もういいです」
オレはしょんぼりと言った。
「よし」
満足そうに微笑んで土御門が言う。オレは教科書をリュックに入れようとして、手を止めて言った。
「あのさあ。オレ、アパートに一度、帰りたいんだけど」
「なんで?」
土御門の微笑が消えて、その表情が強張る。ぴりっとした空気が流れて、オレはもだもだとしゃべり出した。
「せ、セーターがさ、なくなったから、ベスト取りに行こうかと思って」
うちの学校はエアコン完備で、オレは寒がりだから、夏でも長袖のセーターを着てたんだよな。他の生徒はほとんど半袖のワイシャツ一枚かノースリーブのベストを着ていて、その辺は揃いで買わされるから家にはあるんだ。
あと数日で夏休みだし。
課外は7月中で終わりだから、それまでならベストでも耐えられるだろ。
「ああ」
ほっとした様に土御門は言った。
「車で送るよ」
土御門はそう言ってくれたけど、オレは手をひらひらさせて言った。
「いや、いいよ。ベストの他にも取って来たいものあるし、うちの前道が狭いから、でっかい車とか待たせとくとかムリだし」
オレはぼそっと付け加える。
「あと、ボロいとこ、見せるのやだし」
しばらく土御門は黙っていたけど、ため息をついて言った。
「帰りは?電車のれんの?」
言われてギクっとする。
朝、乗り換えした後の冷や汗は半端なかった。
でも、夕方だし。そんなに人に密着はしないだろと自分に言い聞かせる。
「ラッシュじゃないなら大丈夫だと思う。…えと……土御門ん家までの道、あんま覚えてないから、駅ついたら公衆電話で電話するからさ、迎え……頼んでいい?」
「もちろん。ななの携帯持ってくればよかった」
「番号、覚えてるから大丈夫」
土御門が、考え込んで言った。
「……あのさ。俺、ななんとこの駅まで迎えに行ったらダメ?」
「え?」
「ななを一人で電車に乗せたくない」
電車の話でビビったの見抜かれたかな? 胸がドキドキしはじめる。
「迷惑じゃない?運転手さんとか」
「バイクで行くよ」
「な、ならいいかな。あの、本当はさ、ちょっと電車乗るの、ヤダなとは思ったんだ」
「そうか」
土御門が微笑む。
オレも嬉しくなって微笑んだ。
「じゃあさ。オレ、歩いてうちまで行くから、荷物まとまったら、携帯に電話するよ。
んで、この教科書は、持ってってくんない?」
「了解」
迎えが来た土御門と車回しで別れた。
しかし暑いな。今日も真夏日なんだっけ?
月曜日は倒れるまで歩いたし、昨日は寝てないし、いろいろ考えるとピンチなんじゃね?
脱水が一番まずそうだから、スーパーでポカリを買う。
ポカリ飲みながら、ぷらぷら歩いていると、アパートが見えてきた。
学校が近くて安いという理由で決めたアパートは、正直ボロい。
リフォームで新しいユニットバスが入っていて、風呂にシャワーがついてるのだけが取り柄って感じで、壁とかぼろぼろっとした土壁だもんな。
オレは階段を登ると、真ん中の部屋の鍵を開ける。
二日しか家を空けてないんだけど、なんだか空気が篭ってる様な気がして窓を開けた。
中も外もあんまり変わらないか。
エアコンがないから、扇風機を回す。
「あっち~」
扇風機の前で風を浴びる。
ぱたぱたと歩き回って、持ってくものをそろえた。
ベスト、制服のYシャツ、着替えをもうちょい。あと、水出し紅茶用のポット。参考書を数冊。
土日電話出来るかわかんないから、ばあちゃんに家電から電話しとこう。お互い元気にしてるかの確認と、向こうの家に世話になっているから電話は通じないって話をした。
「大丈夫なのかい? 迷惑なんじゃないのかい?」
「オレもそう思ったんだけど、その方が勉強はかどるって言うからさ。お金持ちの家の考えることだから」
「しょうがないねえ。くれぐれも迷惑はかけないようにしなさいよ」
「うん。わかった。じゃあ、」
電話を切ってため息をつく。
ぱたぱたとシャツを引っ張って空気を服に送り込む。身体、ベタベタするな。
そういや、セーターの上からだけど、悪戯されてそのまんまなんだし、気持ち悪い……まだ土御門だって家についてないだろうし、ちょっと時間あるよな。…………シャワー、浴びちゃうか。
立ち上がると服を脱いで、熱めのシャワーを浴びる。うわ、生き返る感じだ。隅々まで体をこすってついでだからって、シャンプーまでしてしまった。
シャワーを出て身体をこすりながら後悔した。
やばい、フラフラする。思ってたより、疲れてたみたいだ。服を着て、ベッドに腰掛けて扇風機の風を浴びていると、猛烈に眠くなる。
「……電話しよ」
土御門に電話したら、留守電につながったんで、メッセージを残そうか一瞬迷ったけど切ってしまった。留守電なんて恥ずかしい、うまく話せないもんな。
三十分くらいしたら、またかけよう。折り返しかかってくるかもしれないし。
ちょっと、だけ、寝よう。
オレはメガネを外してころりと横になると、目を閉じた。
玄関のチャイムが鳴ってる。
ぼんやり目を開けると、部屋が暗い。
なんで……暗いんだ?
チャイムがまた鳴る。
オレはフラフラと立ち上がり、玄関のロックを外して細めにドアを開ける。
「はい?」
見上げると土御門が立っている。
オレを見た瞬間、土御門の目に怒りが浮かぶ。
ぐいっとドアを開けられて、よろめいて倒れそうになる。
俺の腹に手を差し入れて土御門がオレを支えて持ち上げた。
もう片方の手でドアを閉める。
カチリという音がした。
起きがけでまだ頭がよく回らない。
土御門は土足でそのまま中にあがると、オレをベッドに放り投げた。
「暑いな」
言いながら、窓を閉める。
「なんで、閉めるんだよ」
暑いなら、閉めることないよな。回らない頭でそう思う。
「騒いでるの聞かれてもいい?」
めちゃくちゃ冷たい声。
暗い部屋の中、外からの明かりで土御門の目が暗く煌めいている。
「ここが大事な、ななの巣なのか?」
馬鹿にした様に土御門が嗤う。
「なんで、知ってるの?」
「アプリで調べた」
俺が怪訝な顔をしていると、土御門はにっこり笑って言った。
「『iPhoneを探す』ってアプリ知ってる?電源入ってたら、GPSで失くしたiPhoneの場所がわかる。
いっぱいアプリ入ってただろ?全部、俺のアカウントで入れたんだ。つまりさ、あのiPhoneは俺のものってことになってて、操作できるってこと。
金曜日、俺、電話してさ、電気消してって頼んだよな。建物までは判ったけど、表札がなくて、部屋が判らなかったから、それで電気消してもらって、部屋を調べたんだ……ななは賢いからさ、バレるんじゃないかってひやひやした」
『特定完了』
土御門はそう言った。
あの後、土御門から来たメール。
『おやすみ』
見ていたんだ。オレの部屋の電気が消えるの。オレが寝たって知ってたんだ。
「なん、で、そんな事?」
「知りたかったから」
吐き捨てるように土御門は言った。
「ななのことを知りたくて仕方がなかった。どんな小さいことも、大切なことはもちろん。
誰の事もそんな風に思ったことはないのに、ななの事は気が狂うほど知りたかった。
自分で自分が気持ち悪くて、恥ずかしくて仕方がなくて。でも、知った時にはめちゃくちゃ嬉しくて、そんな自分がすごく気持ち悪いんだ」
オレは固まったまま、思いを吐き出す土御門を呆然と見ていた。
土御門の視線がゆらっとあがる。
苦しみに歪む顔、暗い光を称えた瞳が光って、粗く息を吐く。
「俺、またなんかした?ななが逃げたくなる様なこと、したかな? 家がボロいとか、言い訳だろ? 俺から逃げる場所が欲しいから、教えたくないんだ。分かってるから、黙って行かせたのに……なんで?
戻って来るって、言ったから。信じたんだ。
なのに……さ」
ドンって土御門が壁を拳で殴る。その音にビクンと跳ね上がった身体見て、土御門の顔はますます険しくなった。
「俺、耐えられないって言ったよな?
ななのこと、捕まえる方法は沢山思いつくんだ。ロマンチックな方法から、汚い方法まで。でも、逃がす方法は一つも思いつかなくて……だから、嫌がられても側に置くしかなかった」
土御門が髪をくしゃくしゃにする。
「頭がおかしくなりそうだ。いや……もうおかしいのかな。
……嫌になる」
土御門がオレをじっと見る。
ゆっくりとゆっくりと瞳の金色の輝きが消えて行く。
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