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激動の木曜日(1)
「なな?」
まだ薄暗い明け方、声が聞こえた。指先が優しく髪にもぐりこんで、甘い声がもう一度オレを呼ぶ。
「なな。起きて」
寝惚けた目を開けると、ハルの顔がすぐ近くにある。榛色の瞳は今日も綺麗だ。
ハルの唇がおりてきて、オレの唇を塞ぐ。夢うつつのままゆっくりと誘うように口を開いた。ハルの熱い舌がオレの口の中をまさぐる。
ぼんやりした頭で自分の喘ぐ声を聞いた。
唇が離れると、オレはハルの茶色の髪に手を突っ込んで引き寄せた。胸にハルの頭を抱えて、つぶやく。
「気持ちいい」
「うん」
胸からハルが顔をあげる。
「なんか、ななが泣くまでやっちゃいたい気分なんだけど、いい?」
鮮やかに微笑んだ顔に、寝惚けていた意識がはっきりした。そして、ハルがしたこと、自分のしたことを思い出して、顔が熱くなる。
「だ、だから、ここ壁が薄いんだって」
オレは恥ずかしくなって、ハルの裸の肩を押した。
くすくすと笑いながらハルがオレを抱きなおす。
「壁が薄くなきゃいいんだ?」
「わかんないよ!そんなん!」
「キスして、も一度考える?」
「ダメ!つか、なんでこんな朝早く起こしたんだよ」
ああって残念そうにハルが息を吐いてオレを放した。起きあがってベッドに座る。ハルが動くと筋肉が波のように蠢いた。振り返ってハルが言う。
「あーあ、つまらない。学校に行くなら、俺、ウチに帰らないと制服ないと思って」
「ああ。行きたくないけど、行かないとまずいだろうなあ」
つまらないって言われて、むっとした。それから頭が痛いことに気がつく。オレは横になったままで、目頭を抑えた。
「具合悪いのか?」
「寝不足で、頭、痛いだけ」
「休む?」
「行かないとまずいだろ。最近、目立ちすぎだ」
「ゴメンな」
「なんか……そういう感じで謝られるの苦手だ。後悔してる?やり直したいのか?」
妙にいらっとして、オレは言い放つ。
ハルはそんなオレをじっと見て、息を吐く。
「……してない。やり直しても結果は同じだ」
「なら、謝るな」
「解った」
「オレ、ここでギリギリまで寝て、時間来たら学校でもいいんだけど。教科書持ってきてくれるなら」
オレはなんだか泣きたいような、いらいらした気持ちのまま言った。
「一緒に行こう」
「オレ、寝てたい」
オレは意固地になって言う。もう……構うなよ。
ちょっと間があって、ハルがオレに向き直って、真剣な顔で言った。
「なな……大好きだよ」
髪をなでようとした手を弾いて、オレは身体を起こした。
「と、突然、何言ってるんだよ!」
嬉しいような、苛立たしいような気持ち。顔が赤くなる。
ハルはため息をついて言った。
「ななが謝るなって言うからさ。
今、怒ってるよな?不安になった?不安な気持ちのまんま俺を拒否してるんだろ?そういう時に離れても碌なことない。
……そうでなくてもいいんだ。
ななと今、こうして居られるのは俺にとっては奇跡だから。居られる時間は一緒に居たいんだ。もし、どうしてもここで寝てたいなら、俺がななを学校に送るよ。その後、遅刻して学校行く。教科書は届けて貰うから」
ハルの言う通りだと気付いて動揺する。オレ、また逃げようとしてたのか?
「なんかオレめんどくさいな」
両手に顔を埋めて呟いた。
こういう自分は嫌だと思う。安定していたいのに、ぐらぐらばっかりして、ハルに迷惑をかけている。
「面倒なんかじゃない。遠くで何も出来ないよりは全然いいよ。
俺も不安なんだ。ななが指からすり抜けて離れていくんじゃないかってさ。
だから、強引になったりするんだと思う。
本当に俺と来るのが嫌なら、俺がここにいていい?」
じんわりと涙が浮かぶ。
せがむように腕を伸ばすと、ハルがベッドに乗って俺を抱き締める。
「一緒に行くよ」
腕の中で掠れた声で呟くと、ハルのため息が髪の毛を撫でた。
「ありがとう」
ささやく声。髪に唇が触れた。
「腕を出してるって、新鮮だ」
ベスト姿に半そでの夏服姿に、妙にテンションの上がったハルに連れられて、俺はアパートを後にした。
* * *
学校でハルに会いたいと思ったらどうすればいいだろう。
2校時目の行間休み、オレはとっくに終わった課題のプリントを前に、前髪を握りながら机に肘をついて、考えを巡らせた。
会いたいというか、見たいんだけど。いや、なんとなくなんだけど。
ハルは当然の様に昼休みには来るんだし。それまで待てないってことはない。うーん。うん。でも、今、見たいんだよな。
なんか、さ。ハルと一緒の時は案外見れないんだよ。学校だと人目が気になるし、二人きりだと、恥ずかしくて見れないし。そういうんじゃなく、なんか普通にしてるハルが見たいってか……なんてか。こっそり見たい、のかな。
オレのクラスはA組で、廊下の一番手前にある。だから、ハルは通りすがりにオレを見る事ができる。そして、廊下は突き当たりになっている。つまり、オレは何か用事がなければ、B組より向こうに行くことが出来ない。
いや、禁止されているわけじゃない。用事がなければ行っちゃいけないかなあという、オレの気持ちなだけで。
友達でもいれば、そいつに会いに行くふりをして、チラッと見ればいいんだけど。残念ながら、ぼっち属性がついたオレには他のクラスに友達なんかいない。
ちょっと行って、チラッと見て、帰って来る。
簡単だよな?
とりあえず。
保険としてこのプリントは持って行こう。
ふらりと立ち上がると、オレは教室を出て、B組へ向かった。
A組とB組は当然隣だから、後ろから出るとすぐ隣な訳で、チラッと作戦はすぐに達成する筈だった。
いやいや、いないことだってあるわけだしね。軽い気持ちで。
チラッ
B組の教室の真ん中に、なんか壮絶にインパクトのある集団がいる。ぱっと見た目でイケメンオーラの出てる数人。なんか金髪とかもいたんですけど。
チラッとしか見てないけど、ハルもいた。椅子に脚組んで座ってた。
オレは立ち止まることなく、すうっと前に進んだ。
いや、むり、むりだって。ハードル高すぎ。
なんだよ、ハルって友達もすごいのか。いや、目立つグループにいるっていうのは知っていたけど、まじまじと見るとグループ全体のレベルが違うっていうか。ああいうのがうじゃうじゃしてる中で、なんでオレに目をつけちゃったんだろ。いや、オレの立ち位置ってなんだ。
全然意味わかんないよ。
D組でさりげなく立ち止まり、上がる心拍数を整えつつ掲示物を見るふりをしていた。
「誰かに用事ですか?神無月くん」
D組の女子に話しかけられて、びくってする。
「あ、違います。すいません」
早口でそう言うと、じっと女の子が見てくる。D組の教室の中からも、おい見ろよ、とか、神無月だとか声が聞こえたような気がした。冷や汗が出てきた。
……教室に戻ろう。
チラッと見て、びっくりしたで締めておこう。
うん。
あと、もう出来心は起こさない方向で。
女の子に会釈をして、ぎこちない笑い顔を浮かべる。なんでか、女の子の顔が赤くなった。笑顔がひきつってて気持ち悪かったのかな。
速足で自分の教室に向かうと、廊下でハルが辺りを見回している。
オレを見ると嬉しそうに微笑った。
な、なんで?見てた?
「なな。どした?」
チラ見しに来ました。
なんて、言えるわけない。
「あの……なんでもないです」
「え?」
ハルが聞き返す。
はっと保険に持って来たプリントを思い出す。
「ええと。ここなんだけど、答え合ってると思う?」
オレはぎくしゃくとプリントを出すとおどおどとプリントを指差して聞いた。
「ん?これ?ああ。うちまだやってないかも」
そっか。
って言おうとして、目をあげると、なんかB組の入り口にさっきのイケメン達がいっぱい立ってる。短髪になんかすっごい怖い顔をしたのとか、金髪のロン毛のにやついた顔のとか、細身のすばしっこそうなのとか、ふわふわ茶髪の小さいのとか、無表情な日本人形みたいなのとか。
こわっ。存在感がこわっ。
オレはじりじり後ろに下がると、方向を変えてダッシュで教室に戻った。
チラ見作戦失敗だよなこれ。
Curiosity killed the cat.
好奇心は猫を殺す。
九個命を持ってる猫でも、あちこち興味を持ちすぎると死ぬことがあるって意味だっけ。
なんて英語のことわざを思い出していたら、始業の鐘が鳴った。
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