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激動の木曜日(3)

起立がかかる前に高橋が後ろを向いて言った。 「授業終わったら、全速力でついて来い」 は? 「礼!」 「行くぞ!」 高橋が弁当を持って教室を出る。オレは高橋を追いかけた。 「近道はこっちだ!」 高橋がくるりと身を翻すとこいこいって手を振った。 いや、サッカー特待生のダッシュについてけると思ってんの? それでも、ぜいぜいしながら階段を降りると、高橋が軽快にその場で腿上げランニングをしていた。降りてくるオレを見るとにやりと笑って弁当を差し出す。 「オレは参戦してくるから、これ持って購買んとこで待ってて。なんか食いたいのある?」 「なんでもいいよ。金、渡す」 「そんなの後だ!」 じゃっと敬礼すると、弾丸のように高橋が走って行く。 あの……廊下は走っちゃダメだよな? オレがもたもたと走って購買につくのと、高橋が購買から戻ってくるのはほぼ同時だった。 「お宝GET」 高橋がニヤリとして、パンを見せる。 「焼きそばパンウィンナーに、ダブルハンバーガーに、夕張メロンパンに新作のプリンパン。あと、コーヒー牛乳」 焼きそばパンウィンナーは、入手難易度が高くて、オレは見たことがない。他のパンもオレが行く頃には大体売り切れなんだよな。 「七重の足がもうちょっと早かったら、一番だったんだけどな。途中で待ってた分ロスしたから、今日は三番だ」 「うらなり舐めんな。チアノーゼで倒れるって」 「よしよし、元気になったな」 にやっと笑った高橋がぽんぽんと頭を叩く。 あ?そっか。 気を使ってくれたのか。 確かに走ってる間、笑ってたかも。さすが運動部。これが昇華ってやつか。ぎこちない微笑みに、わんこみたいな笑顔が返って来た。 「行こう」 「食堂?」 「外」 高橋が前を歩き始める。上機嫌なその姿に尻尾が見える気がした。 結構歩いて、たどり着いたそこは果樹園みたいな場所だった。 芝生が敷き詰めてあって、所々に背のあまり高くない木が植えてある。リンゴかな。青い実がなってる。 「こんなとこ、あったんだ」 うんうんって高橋が頷く。 「校舎からは見えるんだけどさ~直接通じてる道がなくて、ぐるぐる回り道しないとダメだから、人はあんまり来ないんだよな」 校舎から木で遮られているとこに高橋がわーいって感じで滑り込む。たしたしと叩かれた隣に座ると、高橋がオレが持っていた弁当を取りあげた。包みを開けながら、高橋が聞く。 「パンは、さ。どれ食う?」 「高橋はどれが食べたいの?」 「オレは全部食ったことあるから、どれでもいい。七重には貴重品だろ?」 「まあなあ。A組だってハンデがあっても、運動部が走ったらムリだし。そもそも走ろうって発想ないし」 「七重は人いっぱいとかダメじゃん?」 「う。……なんで知ってんの?」 「人見知りすごいもんな。購買もわざと残り物買いに行く感じだろ」  なんでそんなの知ってるんだよ。ん~って泳いだ視線に高橋が微笑む。はあってため息をつくと、もだもだと言う。 「見てるなよ。恥ずい」 へへって笑い声。むうってすると誤魔化すように高橋が並べたパンを指差した。 「んで、どれ?」 「悩むなぁ~もう二度と食える気がしないし」 「じゃあ半分食ったらよこせ」 ああ、それなら全部食べれるもんな。 うんって頷くと、高橋がやったって顔をする。なんだ、高橋も全部食べたかったのか。言えばいいのに。 「金は?いくら?」 後ろポケットを探ると、高橋が上機嫌でコーヒー牛乳にストローを突き刺しながら言う。 「覚えてないから、一個百円でコーヒー牛乳入れて三百円」 「いやいや、そんなに安くないだろ」 差し出されたコーヒー牛乳を受け取って、五百円玉を差し出したら、二百円返される。 「これで財布を買いなさい」 「買えるかよ」 ははっと笑ったオレの顔を高橋がじっと見る。 ん?って見返すと、わんこみたいにへにょって微笑んだ。 相変わらずすげえ高橋のかーちゃんの弁当つつきつつ、コックピットのあるバルキリーリンゴでアルトごっこしたりして、半分づつパンを食べる。 なんか久々に和んでるんじゃね? 陽射しが気持ち良くてころりと寝転んで伸びをする。ほけ~っと空を見ていると、高橋が聞いた。 「七重さ…………土御門とは、もうつきあってんの?」 「え?」 オレはがばっと起きあがって、高橋を見た。 高橋は腕まくらをしたままオレを見て、ふにゃんと微笑う。 「まだ、間に合うなら、おれにしとかない?」 嫌な汗が噴き出す。 「な、何言ってんの?」 高橋はころりと体をひねると、うつ伏せになって、腕を伸ばすと、オレの顔を覗き込んだ。 笑いのカケラもない真剣な顔で言う。 「あいつとお前じゃ、世界違いすぎるだろ? 絶対これから苦労する。でも、おれならずっと一緒にいられる。七重に合わせてやれる」 「え?ちょ、待って?」 高橋が?オレを?? え?オレ、男だよな?? なんで? 「おれはずっと七重を狙ってたんだ。一年の時から。お前の前の席、結構高かったんだぜ?」 「高い?買ったの??」 「七重さあ。前の席の奴がいきなり変わっても、全然気づかないのな~」 いつも通りのわんこみたいな笑顔。 「棘だらけの七重相手に頑張ってさ、普通に話したりさ。笑ってくれる様になって。ふざけてじゃれたりしてくれる様になってさ。  他の誰にも懐かないから、安心してたら、急に持ってかれて」 知らなかった。気がつかなかった。友達だと思ってて。 「だからさ、おれにしない?おれといると楽だろ??今だって楽しかったろ?」 楽しかった。すげえ楽しくて…… ……けど。 「ご、ごめ。……」 正座した高橋の手が伸びて来て、オレの口をふさぐ。 「やっぱダメだったか」 高橋はうつむいてため息をついた。喉が苦しくて、それから目も熱い。どんどん視界が歪んで高橋の姿が見えにくくなる。 「な……おれ、消えた方がいいか?」 掠れた声、辛そうな高橋の笑顔。 口は押さえられたまんまだったから、オレは首を振った。 「じゃ、友達だな?」 うん。と頷く。 「オレは土御門にお前を盗まれたと思ってる。多分、土御門は盗んだと思ってる。だから、おれ達は仲良く出来ない。わかるか?」 うん。 「あと、土御門がお前に急に近づいたのは、おれがお前に近づいたせいだ。お前がおれと笑ってたから。だから、お前が土御門に傷つけられたら、おれのせいだ。わかるか?」 ちがうよ。 「そう思いたいんだ。 だから、土御門となんかあったら、おれんとこ来い」 ダメだよ。 「頼むから頷け。土御門のこと、ぶっ殺すの我慢してんだからさ」 ……うん。 「辛いな。やっぱ」 うん。 「課題見してね」 うん。いや、ダメ。 高橋はまたわんこみたいに笑うと、ぱっと手を離した。 泣き出しそうなオレをじっと見ている。 高橋は立ち上がるとズボンを叩いてオレに手を差し伸べた。 「帰ろ?」 複雑な道を反対に辿りながら、高橋はオレの手を離さなかった。 そして、振り返らなかった。 オレが泣いていたから。 そして、それを見られるのを、オレが嫌がっているのを知っていたから。

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