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第110話 間一髪②

「それぐらいでなんだよ? キスなんかアメリカじゃ挨拶代りみたいなもんじゃねーか」 「ここはアメリカじゃねえ!」  浩貴が低く吐き捨てるように言った。 「汚い真似すんじゃねーよ、今里。おまえ、翔多の飲み物になに入れたんだ? オレにはちゃんと見えてたんだよ!」  え……?  浩貴の言葉に硬直する翔多。  今里は、浩貴の言葉に初めて狼狽を見せたが、やがて開き直ったように口を開いた。 「……どうして、おまえがここに来るんだよ!? 浩貴。オレがここに泊っていることは話していないはずだろ?」 「翔多の伯母さんがおまえたちの話を耳にしていて、ホテルの名前も憶えてくれてたんだよ」  浩貴と今里が火花を散らして言い争っているうちに、他のテーブルのあちこちでざわめきが起こり始めていた。  数人の男性スタッフと警備員が翔多たちのほうへ走ってくるのが見える。 「翔多、帰るぞ」  浩貴は言うと、翔多の手を握り、そのままエントランスへと向かう。事情を聞こうと立ちはだかるスタッフたちのあいだを強引に通り抜けようとするが、 「待ちなさい! 君たち、高校生だろ!? いったいなにがあったんだ!?」  その場の責任者とおぼしい一人が食い下がってくる。  今里が後方から声をかけてきた。 「すいません。ちょっとした諍いです。でももうおさまりましたから」  彼がこのホテルの長期宿泊客だということは、その派手なルックスが物を言い、スタッフたちにはよく知られていたようで、浩貴と翔多はそれ以上は咎められることはなく、その場をあとにした。  浩貴に引きずられるようにして、ホテルの外へ出た翔多は、窓ガラス越しにラウンジを振り返った。  だが、そのときにはもう今里の姿はなく、ラウンジも穏やかさを取り戻していた。  浩貴は翔多の手をつかんだまま、無言で人の波をかき分け、足早に歩いていく。  つかまれた手が少し痛かったが、斜め後ろから見える浩貴の表情がとても険しかったので、翔多はなにも言えずに、引きずられるような形で、彼についていくしかなかった。

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