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第2話 王城は嫌い

 「ああ、今日もこのボロ屋はボロいな・・・・・・!」  涼は金持ちのボンボンニートだった。  リーフとして生まれ変わっても金持ちだった。  だからこんなボロボロの犬小屋のような場所で過ごすことが初めてだった。壁の通気性が良すぎて寒いし、変な音は鳴る。今座っている椅子もガタガタしているし、机は傾いている。ベッドなんて寝返りを打つ度に壊れるんじゃないかと思うぐらい嫌な木の音で軋む。  辺鄙な場所だから、ひっきりなしに人が訪れる子爵家とは違って居心地はいい。ボロいが、かえってそれが落ち着く。めんどくさいことは嫌いだが、人に会わない為なら嫌な家事でもやれることに気づいた。  それに暇だし。  暇ならいいじゃん、と昔の涼なら言っていていただろう。しかし、自分はどうやら暇が嫌いらしい。前世はゲームがあったから暇を過ごせたのであって、何も無い状態で無駄に時間を過ごすことがどうにも苦痛で仕方がない。  一日中寝ようとも考えたが、人間、寝ることだけでは一日を過ごせないみたいだ。  きっと城では暇なんてないだろう。それこそ仕事のために行くのだから寝る暇もないに違いない。暇といえど、仕事はしたくない。  だってめんどくさい。  「ああああああ、いきたくないいい」  ボロ屋の前に止まる、この場に似つかわしくない馬車がリーフの意識を現実に戻す。  まさか手紙の主が直々に迎えに来るとは思わなかった。手紙の主、つまり、リーフの伯母は公爵家なのである。事業に成功した子爵家といえど、規模は雲泥の差。リーフはおばさんと呼んでいた。母方のお姉さん(男)のスフィリオ・ピアガーデンだ。    「おばさん、ちょっとまって。・・・・・・あと五分くらい。これ、ジャム作ったから。雪の苺(ホワイトベリー)に砂糖ぶち込んで作った。母さんがレシピ持たせてくれて」  王城ともなれば、子爵家で訪れる人の何倍も人の溢れる場所なんだろう。行きたくない。リーフは何とか時間を引き伸ばそうと土壇場で抵抗する。だがしかし、それももう猶予がなくなってきた。行きたくないが、それ以上に罰も受けたくないのだ。  「・・・・・・ん、美味い。有難くいただく」  世辞でも何でもなく、嬉しそうに受け取るからリーフはスフィリオを憎めなかった。出来たてのジャムを何個か瓶に詰めて渡す。  スフィリオは無愛想で余り喋らない。表情筋が死んでいるのかと思うぐらい表情に変化がない。しかし、遺伝なのか顔だけは綺麗だ。スフィリオも綺麗な金髪を持っていて、髪は肩まで伸ばしている。華奢で、容姿だけなら儚く、か弱い女のよう。だからこそ、リーフはスフィリオなら何とか関わりをもてる。  しかし、自虐的で、それなのに行動力だけはあり、非常に面倒くさい。女みたい成りをしているくせに、話し方は堅苦しいオッサン。そういう所がスフィリオの夫に気に入られたらしいが、リーフにはさっぱりわからなかった。というか、人間と言うだけで気に入らない。  しかし、これでもだいぶマシになったのだ。今も、少しだけ笑っている。喜んでいるようだ。  公爵家の生活に慣れているだろうに、道端に落ちている素人の作ったものであろうと、スフィリオは喜んでくれる。金持ちだからこそ、それが余計に異質に映った。リーフなら得体の知れない材料で作られた手作りなんて食べない。  「執事服も似合う。私の見立て通りだ。リーは、本当に・・・・・・美しいから」  “リー”はこの世界でのリーフの愛称だ。  ため息をつくスフィリオに同じく共感する。確かに容姿だけは、この世界でトップレベルだ。元の世界ですらこんな整った容姿を見た事がない。しかし、長い引きこもり生活が、リーフ・アルドノリアという存在を打ち消している。まともに人と会ったことがない。  「おばさん、王城勤めは一年なんだろ?終わったらまた一週間ここで生活してもいい?」  しばらく無言が続いて気まずい。  「私としては、家に戻って欲しいが。結婚しても、ここで住むつもりか?」  「そもそも結婚なんかしたくないし。まあ、いないとは思うけど、最低限ここに来ても楽しんでくれるような人じゃないと結婚とか無理」  そう言うとスフィリオは大きなため息をついて、頭が痛そうに額に手を当てた。  「王城で働く方は、とても高貴な方ばかりだ。私からの推薦ということで特別、リーは一年だけ、王城勤めが許された。本当に、一年しかないんだ」  わざわざ推薦するなんてやっぱりこの人は頭がおかしいんじゃないだろうか?リーフは心の中で中指を立てる。  昔からリーフはスフィリオに、王城への嫌悪感を示している。それを無視するような形での推薦だ。気に入るわけが無い。  それに人間嫌いじゃなくても、結婚は早すぎると考えていた。まだ十六歳。つまり前世で言うなら高校生。普通に考えても結婚は早い。  「男ならまぁ、四十歳までなら結婚出来るんじゃね?」  そう言うと、スフィリオは絶句して、王城に着くまで口を開くことは無かった。  もちろん四十歳になっても結婚する気は無い。  逃げるように木漏れ日の差し込む馬車に乗り込む。スフィリオも従者に手を取られ軽やかに後に続いた。  人間嫌いのリーフにとって、か弱い女のようなスフィリオでも、喋ることは楽しいと言い難い。話すこと自体は嫌いではないが、そこまでいい気分にもならない。だからこそ、無言の空気も気にならず、王城までの道のりは穏やかに進んだ。高級馬車といえど、閉塞感はある。そのせいか狭い気がするし、スフィリオと距離は近いし、何となく落ち着かない。  できるだけ端によって、窓の外を見つめる。  森の中で鬱蒼とした景色は、すぐに開かれたものになり、白い建物がいくつも見える。  木漏れ日はなくなり、まばゆい日差しが窓から差し込む。少し暑い。せめてシャツの上に着た黒スーツだけでも脱ぎたい。落ち着きのないリーフを見兼ねたスフィリオは、風魔法を展開させる。夜の森を漂うような冷たい温度が緩やかに流れてきて、服を脱ぐのはやめた。  近くの家は白い箱のような建物ばかりだった。前世の家の屋根は、最頂部の棟から地上に向かって、二つの傾斜面が本を伏せたような山形の形をしているが、そんな屋根はない。本当にThe 箱(正方形)という感じである。雨が降ったら天井に溜まって、雨漏れしないんだろうか?  そして城下町が全体的に白い。どこもかしこも白い。国民が来ている服も白だ。建物も白。道の塗装も白。目がチカチカして頭がおかしくなりそうだ。子爵家ではこんなに白くなかったのに。茶色とか、赤とか、服も色は様々だった。  リーフは今更ながら、この世界での視野が狭いことに気づいた。子爵家からほとんど出たことがないから、当然といえばそうなのだが、余り変わらない景色が広がっていると思い込んでいた。今ここに来て、十年越しに異世界にいることを実感している。  王城に近づくにつれて道も綺麗に整備され、馬車も過度に揺れることなく進むようになる。王都に入る前には大きな門があったが、なんなくチェックを通過する。  というか、本当に男しかいないんだな。  行き交う人々は楽しそうな表情で会話を嗜み、店での売買を行っている。今、小さな子供の声が駆け抜けた。  前世と何も変わらないありふれた光景。  リーフは車酔いしない体質だ。それなのに、見ているだけで酔ってくる。気分が悪い。景色を見ないように窓から視線を外そうとしたが、馬車の中にいるスフィリオにどうしても意識が集中してしまい、気分が悪くなる。窓の外を見ないように、しかし、窓に出来るだけ身を寄せる。距離を取りたい。この馬車から出たい。でも、人がいるからやっぱり出たくない。  スフィリオがこちらを伺うように視線を寄越しているが知らないふりをする。彼も近寄っては来なかった。人が来ることで悪化することを理解しているからだろう。  城に着くと騎士が馬車の外に立っていて、馬車の扉を開ける。窓が扉側にあり、そちらに寄りすぎていたからか、扉が開いた瞬間あからさまに目が合う。一瞬の刹那、吐き気が込み上げる。騎士も、リーフを見て目を大きく見開いていたが、リーフはすぐに顔を逸らしたので気が付かなかった。瞬時に扉と反対側のスフィリオのいる場所まで下がり、口元を抑える。  クソっ、吐く。まじ、吐きそう。てか、俺出れねぇじゃん。新手のいじめかよ。  その上、こちらに手を差し出す始末。エスコートする気なのだろう。しかし、リーフにとってそれは不必要なものでしか無かった。  「もしかして、本日勤めでいらっしゃったリーフ・アルドノリア様ですか?」  「いいえ」  思わず否定してしまったが、その拍子に口の中になにやら酸っぱいものが広がる。  うう、最悪、気持ち悪い。  気分が絶不調に盛り下がったところで、焦ったスフィリオがリーフを騎士から隠すように出てくる。    「ああ、私から推薦を出して、本日から勤めるリーフ・アルドノリアだ」  「賢者様、お疲れ様です。アルドノリア様のご案内を頼まれていたのですが」  「いやいい。私も道は分かるから、君は下がれ」  「はッ」  騎士の足音が遠ざかったところで、リーフはやっと安堵のため息をついた。胃物を戻しかけたが、なんとか耐える。  こんなんで大丈夫だろうか。一日目すら迎えられる自信が無い。  「・・・・・・すまない。もう少し、過ごしやすいところで過ごせるはずだから、本当にあと少しだけ我慢してくれ」  あまりの気持ち悪さにリーフは返事をせずにいると、スフィリオが呪文を唱える。  スフィリオが言葉を紡ぎ終わると、リーフの体は浮いて、馬車から勝手に降りる。そのまま、城の中を進み出した。周りに人がいるが、スフィリオはあまり人のいない所を通る。それに、スフィリオはリーフとの距離自体も離していた。リーフは気遣いに気づくが何も言わなかった。視線は、感じない。リーフの存在が見えていないようだった。視線を感じない分、少し楽だ。存在感を消す魔法なのだろうか。よく分からない。  「・・・・・・気配遮断と、飛行魔法だ。レベル8の魔法を二重詠唱しているから、そこまで長い時間はもたない。急ぐぞ」  リーフの疑問を感じ取ったのかスフィリオは説明する。涼はゲームが好きでよくプレイしていたが、RPGの類いのゲームに興味がなかったから仕組みに対して察しが悪かった。魔法に興味がない訳では無いが、使えないから早々に学ぶことを放り投げたせいでもある。  道中目的地に着くまでに、リーフの話をする男たちがいた。内容を聞く限り、情報発生源はさっきの騎士らしい。トランシーバのような機械があるのかもしれない。  「アルドノリア様が無事到着したようだ。お体が弱いと聞いていたが、本当に体調が悪そうだったようだ。賢者様が近くにいらっしゃるそうだが、お前たちも気をつけろ」  「あとで向かいます。医者も呼んでおきましょう」  紳士さにウンザリするリーフだった。  「・・・・・・後で、来ないように伝えておく。心配しなくていい」  スフィリオが話の聞こえた方へ視線を向ける。  その言葉に少しだけほっとした。    「リーは少しここでは有名なんだ。もちろん、過ごしやすい環境は整えるつもりだから安心して欲しい」    珍しく少し焦ったような口調で付け足すスフィリオに、一言頷いてから口を閉じた。注目されていることに憂鬱になる。しかし、リーフにはその心当たりがあった。  実は、リーフは社交界デビューをしていない。この国では七歳になると王城でパーティーが開かれ、そこで一斉に七歳の子息令嬢(男)がお披露目会をする。だが、リーフはその頃、毒を盛られたことで人間不信になっている設定だったので、心配した両親が行かなくていいと言ったのだ。もちろん、リーフは行かなかった。何故って、人がいっぱいだから。それに、礼儀作法も無茶苦茶だった。  パーティー辞退の手紙に、風邪だとか、倒れただとか、そんなことばかり理由に出していたおかげで、リーフのことは病弱であるというイメージで噂されるようになる。社交界デビュー後も、社交界に顔を出すことは無かった。  また、この世界では当たり前に使える魔法が使えない令息としても有名だ。元々貴族は魔法の能力が高く、平民にはたまに魔法が使えないものが生まれるが、魔力が低すぎて出せないと言うだけ。リーフは全くの零。だからこそ魔法が使えないのだが、魔法を使えない貴族はリーフの出現で初めて。それなのに、この国一番の魔力持ちとされる賢者の称号を授かったスフィリオが、リーフを褒めちぎったため、気づいたらものすごい噂になっていた。  ちなみにこの噂は専属奴隷が伝えたためリーフは全て知っている。スフィリオには社交性の欠片もないが、魔力だけはある。そして、賢者という称号は、この国にとってものすごく尊ばれる称号だ。  今回の王宮勤めの件についても、噂になっていた。賢者の「推薦で特別に」だ。リーフに対する期待値は否応にも上がる。しかし推薦されたのは、魔法の使えない病弱な引きこもり令息。王宮勤めが務まるなど誰が思うだろうか。一悶着あったが、スフィリオは押し切った。  体感では長い間、体が浮いていた。少しずつ吐き気も治まってきて、城の中を見る余裕が出来てくる。広いし、でかいし、綺麗だ。  白で統一された壁に、綺麗な窓ガラスが外からの光を通して歩く道を照らしている。子爵家の家が質素に見えてくるくらいカーテンやカーペット、調度品の質がいい。だが、下品でもなく、調和の取れた美しい配置だ。  きっと選んだやつはセンスがいいんだろう。辺りを見回したい気持ちはあるが、人と目が合いそうであまり出来なかった。  着いた扉の前では、四十代ほどの男が立っていた。リーフに送られてきた執事服と同じものを着たロマンスグレーの髪色。利発的で、賢そうだ。片眼鏡をつけており、その表情は笑ってはいるものの、底が見えない。メガネの奥で光る目は厳しそうで、ちょっぴり萎縮するも顔には出さない。それに、彼とはかなり離れた距離にあるから結構平気だった。  スフィリオが魔法を解いて、リーフを空中から下ろす。ロマンスグレーの執事がこちらに視線を向けたが、一瞬で何も無かったかのように扉を開けた。  そして案内された先には、ソファで座る美しい男がいた。柔らかいくせ毛のあるミルクティー色の髪に、淡い紫色の瞳がにこりと微笑む。少し、皺が増えたようたが、それにしても美しい。  「ああ、久しぶりだね、レディ。僕の可愛いリー。また美しくなったかい?」  そう行って抱きつこうとこちらに近づいてくるのはスフィリオの旦那で、この国の宰相である公爵家当主だ。名を、レイラウド・ピアガーデンという。といえど、領地運営は弟が主に行っている。家督も譲っているらしいが、少し事情があって、レイラウドが領主代理を務めている。  リーフはおじさんと呼んでいた。何故かリーフのことをレディとよく呼ぶが、止めてくれと言っても聞かないのでもう諦めている。  レイラウドのリーフを見る目は優しく、なんとなくリーフは苦手意識が少なかった。しかし、このレイラウドという男、あまり善悪の区別がない。全ての生き物を慈しむ反面、愛のためなら何をしても許されると本気で思い込んでいる。リーフは、そんなところが少し怖かった。  「おい、リーももう適齢期だ。簡単に抱きつくな。お前も男だという自覚はあるのか」  見かねたスフィリオに首根っこを掴まれ、レイラウドは項垂れる。尻に敷かれている様子をリーフは半笑いで見ていた。  俺も男だけどな。  「リー、ごめんね。今日は来てくれてありがとう。実はね、頼みたいことがあって、ここで働いて欲しいんだ」  「王城に来んの嫌だってば。あと、魔法が使えないのも知ってんだろ。さっきも吐きそうになるし、無理。手伝いなんて出来ねえって」  この世界では、ほとんどのことを魔法で済ませてしまう。水を沸かすにしてもそう、掃除をするにしてもそう、全て魔法で片付く。でもリーフはそれが使えないから、どうしても手作業になってしまう。もちらん、手作業でも暮らしていける。しかし、魔法が当たり前の世界で、手作業で仕事をするというのは、使えない人材を使う意味と同等だ。  「いいんだ、君だからできることだから」  レオラウドは、長い人差し指で机を二度叩く。執事が一枚の紙を取りだした。魔法で空中を飛び、リーフの手に収まる。  「俺に出来ることなんてないと思うけど」  「いや、実は第三王子のシルフィ様の世話をして欲しいんだ」  「・・・・・・は?」  

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