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第4話 不意打ち怖い

 コンコン、とノックの音が何も無い廊下に響く。返事はない。第三王子は生まれてから一度も話さなかったと言っていた。つまり、返事がないのがデフォということだ。入ってもいいということだろう。詳しく説明しとけよ、とレイラウドに対する不満を募らせつつ、実際に淡々と説明されていたら怒りが増長していたことは想像に容易い。  もう一度ノックを鳴らしてみるが、返事はない。五分ほど迷ったが、静かに入ることにした。  開けた瞬間、埃が舞って思わず大きなくしゃみをしてしまう。  「っん、くしゅッ。はっ!」  『王子の扉を開けた瞬間くしゃみ=不敬罪=鞭打ち』の公式が成り立った瞬間、扉が大きな音をたてて閉まる。なんとかこの音と相殺できたのではないか、なんて考えながら部屋を忍び足で進む。  部屋は広いが、カーテンを開けていないせいで昼なのにとても暗い。あまり掃除もされていないようで、埃が溜まり、目に付いた壁には落書きのようなものが残っている。衛生環境が悪そうだ。  掃除ぐらいしてやれよ。仮にも王子の部屋だろ。  リーフは軽く舌打ちをする。部屋を一瞬見ただけで王子の不遇さが垣間見える。生まれてこの方不満ある生活などしたことの無いリーフは、五歳の第三王子に初めて同情した。なんでも揃ってる生活に改めて感謝する。人と関わりたくないとは思っていても、リーフは人に支えられて生きている。本当に関わらないとは王子のことを指すに違いない。  壁の文字はなにが書いてあるか分からない。低い位置にあり、何となく小さい子供が書いたことは分かる。   「・・・・・・第三王子ー?」  か細い声が広い部屋に響くがやはり返事はない。もしかしていないのだろうか?しかし、親にすら嫌われている呪い持ちの五歳児が部屋を出てどこに行くのだろう。リーフには検討もつかない。  「カーテン開けて窓も開けるか」  とりあえず埃っぽい。鼻がムズムズする。  豪快にカーテンを開け、窓も開け、外の空気を通す。窓の外から、城の庭、そして城下町が小さく見える。スフィリオに魔法で浮かされながら来ていたから実感は無かったが、案外高いところに部屋があるらしい。  窓からの眺めはとてもいい。庭に咲いた赤い薔薇が綺麗に咲き誇っている。薔薇の奥の城下町は全体的に白く、庭の様子を引き立てている。鮮やかすぎる禁忌の色に蝶がたむろうのをみていると、部屋にある小さな針が動く音が聞こえてくる。  一定のリズムで刻まれる音に、瞼が重くなると、強ばっていた全身の力が緩むのを感じた。  爽やかな風が髪の隙間を通り抜けながら部屋に入る。カーテンが揺れ、差し込んだ光で埃の舞が見える。  そのまま、少しだけ目を閉じた。大きく息を吐く。思った以上に、人と会ったことのストレスや王城への緊張、先程の件で疲れていたみたいだ。  「はぁ。落ち着く。やっぱりひとりが、一番」    流石にこんな場所で眠れるほど神経が図太い訳でもないので、暫く目を閉じて束の間の休憩を楽しむ。  今日は嘘をつかれ、騙された最低な一日だった。嫌いだと酷い言葉を投げつけたが、試されたような気がしてやはり気分が悪いから、後悔はしていない。ただ、魔法を学ぶのをやめた自分のせいなのかもしれないという思いは少なからず存在した。  本当は、レイラウドもスフィリオも、好きだ。リーフは彼らが自分を愛してくれているのを分かっていた。でも、やっぱり何かが違う。どうしてもリーフの人生に横入りしたという感覚が強すぎて、親族と言えど、いや、リーフの親ですら本当の家族とは思えない。あんまり、会いたくない。なんとなくしんどくて、同じ空間にいたくない。  嫌々ながら体を起こし、小時間庭を眺めたあと、掃除用具を手に取る。なぜ自分が人の部屋の掃除をするはめに、と不思議に思いつつ手を動かしはじめる。  今まで世話をしていたのはレイラウドだ。なぜスフィリオに手伝わせなかったのか、少し疑問が残る。大方、大切な妻を他の男と二人きりにさせたくないとかそんな理由だろう。相手は五歳の王子だが。  スフィリオは国一番の魔力持ちである賢者だが、レイラウドはほとんど魔力がない。魔力量が少なくなると体にだるさが現れたり、アルコールに酔ったようなフラフラとした状態になる。レイラウドは、飲み水を出すぐらいで精一杯だ。貴族生まれにとって魔力の量とはかなり重視される。魔法で色々苦労していたからこそ、勉強をして今は宰相の地位にまで登りつめた。  魔法なしで掃除となると、生粋の公爵家で育つレイラウドには無理だろう。掃除なんてやったことないに違いない。  というか、おじさんだけに世話を任せるなんて、どれだけこの王子に近づきたくないんだ。  雑巾で上から下に、床は置いといて、タンスの上や、窓を拭いていく。あとはベッドのシーツを交換。リーフは満足しているが、出来は皺だらけでメイドがみたなら悲鳴をあげているレベルだ。一応壁の落書きも落とす為に擦る。  リーフはやり始めたらやる気が出てくる方だ。久しぶりの大掃除だからか少し楽しくなってきた気もする。やるまでが面倒だが。  無意識に昔好きだった曲を口ずさみ、掃除用具を両手に、ド底辺家事力を発揮していく。淀んでいたガラスは外の景色がはっきり見えるぐらいにまで透明度が上がり、床もモップがけであからさまな汚れは消えた。メインルームの掃除の大体は終わり、足跡のような汚れが続く場所に行くと浴室だった。  仕方ない、やるしかない。浴室の掃除に取り掛かる。水周りの掃除をしたことが無いリーフは適当に水をかけ、汚れのある所だけ雑巾で磨く。見えるようになった所で掃除の手を止め、それからトイレの文字がある扉に手をかけるが、開かない。  「・・・・・・?開かない。鍵か?」  と言った瞬間、中で微かな音が聞こえた。  「ん?もしかして中に、何か・・・・・・な、にか」  何かがいるなら、第三王子しかいなくないか?という考えに、喉の奥からひゅっと音が鳴る。  途端緊張がぶり返す。リーフが掃除をしていたのは第三王子の部屋だ。王子以外に誰かいるとしたらそれもそれで問題である。  「いやいや、ネズミかも」  悲しいくらい説得力のないセリフに、呼吸が浅くなる。  「·····ッう」  心臓の音が早くなる。  全ての神経が目の前の扉に集中している。  あまりにも突然の人の存在に、体が震える。  第三王子はとても小さい。大丈夫。俺でも、なんとか対処出来る。大丈夫。  胸元のシャツを思い切り握りしめる。  繰り返し深呼吸する。大丈夫。俺なら大丈夫。  シャツから手を離すと、皺だらけでとても見れたものじゃなかった。  なけなしの勇気でトイレの扉を叩く。  また中で、人が動くような音が聞こえた。  「だ、第三王子」  会話は、身分の高い方から声をかけられることで始まる。リーフは子爵家だから、ほとんど先に話すことはない。そもそも身分が高くてもリーフから話しかけることなどほとんどない。  もちろん知り合いは別だ。レイラウドとスフィリオからはむしろ、向こうからやめるように言われている。  だが今はリーフが声をかけるしかない。  不敬罪で罰せられたらどうしよう。  焦りと不安と緊張が王子に対する嫌悪感を上回る。鞭打ちだけは本当に嫌だった。  「私、リーフ・アルドノリアと申します。宰相である叔父上の宰相に代わり、お世話係を努めさせていただきます。本日からよろしくお願いします」  早口で自己紹介を行い、扉の前でお辞儀をすると、トイレの中の音は止んだ。しかし、鍵の空くような音が聞こえて、思わず一歩後ろに下がる。  少しだけ扉が空いた。  脈が早い。両手をきつく握りしめる。  扉の間から、黒いモヤのようなものが少しだけでてくる。それは流れるということもなくただそこにあった。硬貨ひとつ分ほどだ。しかし、なかなか出てこない。  少し拍子抜け、いや、安心して一息呼吸をつく。もしかしたら、本当に人間には似つかないような生き物なのかもしれない。しかし、害を与えてくるようであれば世話はしたくない。リーフに拒否権があるかという話は別にして。  なぜ出てこないんだろうか。  ーーまあ、人よりその、少し人見知りが激しくて、たまに怒ってしまう時もあるんだが、死人は出ていないぞ?  レイラウドの言葉も思い出して、人見知りだったと納得する。  ここは出てくるまで根気強く待とう。とりあえず怒られないようにだけは気をつけたい。自分の魔法の話は早めに確認しておいた方がいいかもしれない。    「叔父上から聞いてはいらっしゃると思いますが、私は魔法が使えません。だから、掃除も世話も手作業になってしまいます。家事も上手くできる自信はありません。正直、他の方を見つけてきた方が快適に過ごせるのではないかと思います」  『自分が森に引こもるために他の人を代わりにした方がいいのでは』というアピールも忘れない。  蝋燭の火のように、扉にくっついているモヤが揺れている。漠然とだが、返事をしてくれているような気になって嬉しくなる。リーフは人は嫌いだが、話すことが嫌いなわけでもないし、人以外なら割となんでも好きだった。  しかし、リーフに話す機会などほとんどない。最近まで閑散な場所で一人閉じこもり、子爵家にいた時も話す者といえば距離の空いた奴隷と、月に一度話す家族のみ。何を話せばいいのか分からなかった。  なけなしの話題で、今日のご飯の話や、レイラウドの話をしてみた。しかし、彼はトイレから出てこない。リーフは自分のコミュ力の無さが原因なのか、王子自身の人見知りが原因なのか区別がつかなかった。  扉を開けてくれているだけマシなのかもしれないが、それでも出てくる様子はない。モヤが少しはみ出たり、引っ込んだりと、迷うような動作をしている。  しかし、そうこうしているうちに話題も無くなる。昼だったのがあっという間に夕方になり、段々と辺りが暗くなってくる。その間はずっと無言だ。居心地の悪い空間に早く切り上げたいという気持ちが強まる。リーフは、王子がいつまでもトイレの中にいるのもよくないし、と適当な理由を作り少しだけ近づいてみる。  扉という物理的な距離で少し強気だった。  「王子、私、お腹がすいてきてしまいました。もう夕食の時間ですから、一緒に食べませんか?」  扉の前までゆっくりわざと足音を立てながら近づくと、小さく揺れていたモヤが途端に奥の方に引っ込み、そのせいで大きな音が鳴る。しかし、扉の鍵は開いたまんまだ。鍵のかかっていない扉を一応ノックする。  「王子?開けますね?」  また、音がドンッとなった気がするが、ゆっくり扉を開ける。すると、そこには、隅の方で小さくまるまった黒いモヤが顔を両腕で抱えて震えていた。一応、人型だった。しかし、モヤだ。目や鼻、口もない。肌色の部分もなく、服も着ていない。ただ黒いモヤが集まった人っぽい何かだった。なんとなく体の部位が分かるものの、とても小さい。頑張れば両手で持てるぐらいだ。  思ったよりは醜くなかった。どちらかと言えば、可愛らしい。それに、思った以上に人っぽい。しかし、体のパーツがあまり見えないから、個性がないというか、人らしくない。  大きさは縮こまっているからか、小型犬ぐらいだ。五歳とはこれほど小さかっただろうか?  モヤはひっきりなしに動いていて、手や背中らしきものがずっと揺れている。これは、震えているのかもしれない。リーフは、そんな姿が酷く可哀想で、怯えている姿に少し触りたいと思ってしまった。なんとなく昔の自分と重なる。  『人が怖い。近づかれるのも怖い。触られるのはもっと怖い。でも一番は、ギラギラとした目で見られるのが怖い』  震えていた。この小さな黒い生物のように、周りが見えないように両手で頭を抱え、できるだけ人と距離を取るように隅の方に行った。今も距離を取る癖は治っていない。  リーフは今この王子にできる最善が何かを理解していた。放っておいてこの場から立ち去ることだ。しかし、小さくて、自分を怖がる存在がとても気になった。体の周りにあるモヤの感触も気になる。  「大丈夫ですよ。怖くありません。私は魔法も使えませんから、何もできません。叩かれたら直ぐに吹き飛んでしまいます」  そういや、来ないでと言っているのに「大丈夫だ、俺は怖くない」といって近づいてくる今世の父を思い出した。あの人はいつ見ても、なんとなく怖いと思う。しかし、最後はいつも泣きそうな顔をするから、リーフは仕方なく一言二言だけ話す。それだけで酷く嬉しそうな顔をするから、嫌いにはなれなかった。  「いつもあなたのお世話をしている方は分かりますか?その方の甥です。私の話は理解されていると聞いています。叔父上とは一緒にご飯を食べられているんでしょうか?もう外は暗いですよ」  できるだけ身体が大きく見えないように、視線を合わせしゃがこむ。リーフが近づくにつれ震えが大きくなっているように見え、生まれて初めてなにかに怯えられているという事実に少し泣きたくなった。自分は本当に王子に害を与えないし怖くないのに。そんな思いで近づくのは父親も同じだったのかもしれない。  酷く可哀想な生き物をみていると、自分が彼を虐めているような気分になってくる。何も悪いことはしていないが、謝りたくなる。父親も母親もいつも俺に謝ってばかりだった。  「怖がらせて申し訳ありません。王子がすごく可愛いから、お話してみたいと思ったんです。また明日にしましょうか」  丸まった小さな王子は一際大きく黒い体を揺らし、震えが止まる。ただ、動きはしない。あまり無理強いもよくないと思い、その場から立ち上がろうとした。しかし、こちらを見て王子がゆっくり体を起こしていたから、もう一度しゃがみ込んだ。  正面から見ると、やっぱりどこもかしこも真っ黒で、人かと言われればそう出ないような気もする。ホラーや幽霊はわりと好きであるし、グロ耐性も強い。もちろん、今世の両親は知らない。  特に怖いという印象もない。小さくて黒い人型の動物と言えばいいだろうか。これが本当は人であると言われたなら、確かに驚くかもしれない。  「お食事にしませんか?」  手を王子の方に差し出して、一緒に手を繋ごうとしたのだが、さすがにびっくりされ、また隅の方に後ずさりされてしまう。犬にお手を催促するような感覚で手を出してしまった。密かにショックを受けながらも、手は出し続ける。  「ハンバーグなんてどうでしょうか?私好きなんですよね」  ハンバーグがお気に召したのか、パッと彼は、顔を上げた。瞬間、モヤの中にある一点の光と目が合う。  目だ。  目が合った。そう思った瞬間、少しだけ怖くなる。でも、その光が一瞬大きくなり、そこから大粒の水が雨のように落ちる。  泣いている。  どうしよう。怖がらせてしまった。それに泣かせてしまって、どうしよう。分からない。慰めたい。でも、何をすればいいんだろう。  リーフは泣いた子供を見るのが初めてだった。いつも自分が泣いていたからだ。自分より小さいペットはいたが、こんなふうに泣かない。だから、ただ見て慌てることしか出来なかった。  「ど、どうしよう。だ、れか呼んできます」  冷静なリーフなら、誰かを呼ぶなどという選択肢は選ばなかっただろう。しかし、今世も前世でも人と関わらないように必死に生きてきたから、誰かを宥めるためにどうすればいいのか分からなかったのだ。この時ばかりは、自分の人間嫌いの性質も忘れて、誰かに頼りたかった。この小さな子供が泣いたのは自分のせいだと分かっていたから、罪悪感もあった。  立ち上がり部屋から出ようとした瞬間、冬のような鋭い冷気が首元を掠めたような気がして、反射で後ろを振り向く。  モヤだ。小さな黒い身体からまるでリーフを逃がさないとでもいうかのようにこちらに伸びてくる。  リーフはそこでやっと気づいた。  「・・・・・・すみません。やっぱり、ここにいます」  小さな小さな光からは、とめどなく涙が溢れている。リーフから距離をとるような様子も変わらない。ただ、モヤだけは、彼の心を示すようにリーフに向かっていた。逃げないでと縋るように。    リーフは濃くなるモヤの方へ無意識に手を伸ばす。リーフの手を見て小さな黒い身体が震え出したことには気づいていた。しかし、周りのモヤはリーフを受け入れるかのように包み込んでいく。    リーフの伸ばした手は小さな体に届いた。一瞬の大きな振動を感じるが、力が加わらないようにそっと両腕に抱え込む。それから震えの大きくなった背中を優しく撫でる。  「申し訳ありません。・・・・・・()も、昔は(・・)両親に抱きしめられると安心していたことを思い出しました。今は、私は、誰かとどう接すればいいか分からないんです」  瞬間、黒いモヤの王子はリーフの手から抜け出し、全身全霊でリーフの胸の方に体当たりをかます。リーフは鈍い痛みに思わず唸り、後ろのトイレの扉に倒れ込むように激突した。助けを呼ぶ暇もなく、意識が薄れる。目の前が赤く染まって、床に血が流れているのが分かる。頭が熱い。  体に力が入らず、そのまま気を失った。

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