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第5話 近寄んな
「っう・・・・・・っ、・・・・・・ッ」
「リ、リー?そんなに泣かなくても・・・・・・リー?ほら、大丈夫だから」
「だ、大丈夫?どごがだよ!人に急に触られだら怖いに決まっでんだろ!」
「ああっ、リー。ほんとに泣かないで、どうしたらいいのか分からなくなるから、ど、どうしよう、私のリー。泣かないで」
「こ、怖がらぜで、ぎづいてだけど、な、んか、手が」
目が覚めると、だだっ広いベッドの上に寝ていて、薬品の匂いや、包帯の匂いで、ここがどんな場所か想像がついた。少しだけ痛む頭に、なんとなくだが、こうなる前の出来事を徐々に思い出した。
(泣いてた、震えてたのに、無理やり近づいたから・・・・・・)
いつもなら、後悔後先に立たずと開き直るのだが、今日ばかりはそうはいかなかった。どうして近づいてしまったのか、しかも、初対面の相手に無理やり抱きつくなんて不審極まりない。突き飛ばされて当然である。
リーフが王子の立場で、巨人が自分に手を伸ばして捕まえてこようものなら、間違いなく失神する。そんな状況を想像するだけで寒気が走った。
痛む頭が気にならないほど、自分の髪を雑に掻く。爪先に温い温度が灯るが、気にしない。シーツに赤い斑点が飛び散る。
自分がまずいことをしてしまったことだけは理解していた。これは不敬罪だろうか。考えなくても分かる。不敬罪以外の何物でもない。鞭は嫌だ。痛くて、熱くて、一度されただけでもトラウマになるぐらい痛かった。
それに、不敬罪のことだけではない。人に触られる恐怖や、近づかれる恐怖をリーフはよく知っているのに。
いつも人に対して「近づくな」と言っていた。それでも一定数近づいてくる人間はいて、そんな人間達はリーフにとって害虫と同じだった。嫌がっているのになぜ近づいてくるのか、本当に理解できなかった。
そんな害虫のやつらと同じことをしたのである。
第三王子がリーフを求めていたような気がして、という言い訳は通用しない。なぜなら、奴らも同じことを言ったからだ。
『涼は本当は寂しいんでしょ?強がらなくてもいいよ。慰めてあげる』
『リーフ様が私だけに優しくするから、私を誘惑するから、ほら、今もそんなに潤んだ目で誘ってる』
そんなこと一欠片も思っていない。全部向こうの妄想だ。リーフも同じだった。何となく、モヤが絡みついて行かないでと言っているように見えて。
後悔と、自分がそのような目にあった時のことも思い出して、伝う涙が止まらず、頭の包帯が取れて白衣を着た男が飛んできた。そこから、その男に対しての威嚇で思い切り叫び、泣いていたのも相乗して、パニック状態になった。呼吸が上手くできない。苦しい。
大声で叫んで息が出来なくなって、そしたらレイラウドが飛んできた。切羽詰まった様子でリーフの名前を呼ぶから、少しだけ力が抜けた。
レイラウドがベッドの方に近づき、リーフにゆっくり触れる。それから、背中を何度も擦り、ゆっくり深呼吸を促してくる。最初は上手くいかなかったが、次第に息が楽になってくる。
「過呼吸だね。大丈夫。落ち着いて。ここは君を害するものなんてないんだよ。僕が守ってあげるからね、ほら、吸って、そう、上手。ゆっくり吐いて」
思考回路も少しづつクリアになってくる。こんなことになったのも元はと言えばレイラウドが原因だったことを思い出す。こんな場所に連れてこなければ何もなかったのに。
契約書のことも思い出し、許した訳では無いことを睨むことで伝える。レイラウドもそれを理解しているのか、リーフの背中に触れていた手をどかした。
「リー。ごめんね。辛いことさせて。リーなら、シルフィ様のことを受け入れてくれると思って。怖かったよね。契約書も破棄するから、この話はなかったことに」
「違うッ」
リーフは、レイラウドの手を掴んだ。さっき彼から手が離されたのに、自分から掴んだ。気持ち悪いとか、そんなことは考えていなかった。ただ、王子を気持ち悪いとリーフが思っていると、理解して欲しくなかった。
「ちが・・・・・・ッ、ちが、う、ちがくて、ッ」
「リー。落ち着いて。なんとなくだけど事情はわかってるから」
「だから、違う、ち、がッ、違う。怖くないッ、でもお、おれ、が。無理、に、さわったから、罰が、い、いだいの、いやだ。もう、ムチは、い、やだ」
「誰も鞭でリーを打たないよ。王子も気にしていないよ。ほら、大丈夫だよ。僕が保証する」
「そ、そんなわ、け」
最後に見たのは、1点の光から溢れるたくさんの涙。それから、すごく震えていて、こちらを怖がっていたのが、言葉を貰わなくても伝わってきていたのに。近寄るだけではなく、むりやり手で触るようなことをした。
俺は本当に最低のクソ野郎だ。
「うぅ・・・・・・っ、ッハっ」
「あああ、リー!そんなに泣いたら目が腫れちゃうよ、また呼吸が浅くなってる。大丈夫だから、はい、息を吸って」
そのうちスフィリオまでやってきて、リーフたち二人を一瞥した後、困ったように近づいてくる。
「リー。大丈夫か?そんなに泣いて思い詰めなくて大丈夫だ。またゆっくり話せばいい。明日も世話を頼むと、王子からの伝言だ。明日も会える。その時に謝りたいことがあれば謝ればいい」
「お、俺が王子の立場なら、俺みたいな害悪に会いたくないって、いう、絶対会いたくない」
「だから、世話を頼むと王子からの伝言だと言っただろう。お前もそこの宰相と同じくらい話を聞かないな。その汚い鼻水を拭いてから話しなさい」
そう言いながらも、鼻をかませてくれる。
「せ、世話?なんで?」
「リーが気に入ったんだろう」
一呼吸して、王子を思い出しても、それはないと即答できた。自分がしでかしてしまった事実に辟易するが、「明日も」と王子が望むなら、行かないわけにはいかない。
「伝言ってなに?話せるの?」
「違う、脳内の考えを可視化する魔法があると言うだけだ。レベルが高すぎて私しか使えないがな」
要は心の声を読める能力だ。そんなものがあるなら、自分も欲しい。
「とりあえずリーの口から話を聞きたいな。何があったんだい?」
おじさんは混乱する俺を促すように、言葉を紡ぐ。呼吸はだいぶ落ち着いていた。
「・・・・・・ノックしたけど、返事が来なかったから勝手に入った。トイレを掃除しようとしたら、中にいて、驚いたけど、なんか、可哀想だったから、慰めたい?とおもって、震えてたけど触った」
あの時何を考えていんだろう。あまりよく分からなかった。小さくて黒い王子が、助けを求めるようにモヤを伸ばしてくるから、包んであげたいと思っていたような気がする。
「王子はどうだった?リーからみてさ」
「・・・・・・黒いペット、みたいな」
王子をリーフと重ねるぐらいには人として見てしまう反面、小さな愛らしい小動物のように思う部分もある。
嫌うには人っぽくなくて、好きになるには人っぽい。どうしようもない差異が、表現の距離を測りかねていた。
「怖くなかった?」
「怖くはなかった。人より、まし」
むしろ、可愛いと思っていた。震える黒いモヤとか、全身で俺の言葉に答えてくれたりとか、それに小さくて、腕に抱えた時もふわふわとわたあめのようで心地よかった。
自然と笑顔になるリーフをレイラウドは眩しいものを見るかのように目を細める。
「リーはすごいね」
それから、少し寂しそうに目を伏せる。
「僕は、少し怖いと思ってしまったよ」
だからきっと、信用されないんだろうね、と自虐的にレイラウドは呟いた。リーフはなぜそんな思考回路になるのか理解できない。それに、レイラウドはどんなモノに対しても好感を抱ける人だ。この世界で醜いと迫害されている召喚獣ですら好意的に接していたのに。第三王子は可愛かったのに。
「いや、そんなことはないと思うけど。おじさんの甥って言ったから、扉を開けてくれたと思うし。信用は、してるんじゃない。信頼は、分からないけど」
レイラウドが王子にとって怖い存在であるなら、彼はトイレの扉を開けてリーフの話を聞かなかっただろう。リーフだって、初対面の人に、レイラウドの知り合いだと言われるのと言われないのでは、緊張の度合いがかなり違ってくると思う。
レイラウドは、リーフの頭に包帯を巻き直し頭を撫でた。無茶はしないようにと少し怒るが、やはり、リーフを見る目が甘く、何となくリーフは前世の母親を思い出していた。仕方ないな、と呆れるような視線が、レイラウドとそっくりだ。
レイラウドのことを許した訳では無い。ただ、毒気は抜かれた。これも前回と同じパターンである。
「食事を届けに行ったんだが、その時に王子が僕の手を引っ張ってね、君が倒れてるとこまで連れて行ってくれたんだ。珍しく慌てた様子で、泣いてたから心配してたんじゃないかな」
泣いてたのは、俺が無理やり近寄ったせいです、とは言えないまま、無理やり口角を上げて感謝の言葉を告げる。
レイラウドを負傷した自分のところまで案内してくれたのなら、治療してやろうという気持ちはあったらしい。流石に好かれているとまでは楽観的に考えられないが、死ぬほどまでには嫌っていないようだ。
また明日も世話をとの事だから、もしかしたら今日のことについて言及される可能性も否めないが、それでも幾分か落ち着いた。もしかしたら、そこまで怒っていない・・・・・・かもしれない。
「リーは頭を打ったからね、もうちょっとここで様子を見るって、医者が言ってる。今日はここで寝ていきなさい」
2人に気を遣われながら、布団に顔を押し付ける。暖かい。王子はきちんと寝れているだろうか。一人ぼっちであの大きな部屋の中で寝ているんだろうか。綺麗になったシーツは喜んでくれているだろうか。
『シルフィ』
ふと頭に浮かんだ王子の名前。今までその名を王子の名だと認識しつつも呼ばなかった名前。リーフは人の名前を呼ばない。リーフが名前を呼ぶと、決まって男はリーフに執着するようになるから。だから何年も、誰の名前も呼んでいない。いつも、おばさんや奴隷、王子などの普通名詞を借りる。
きっとこれからも呼ぶことは無いだろう。だけど。
シルフィ様、と心の中で呼んでみる。
自分と同じようで違う高嶺の王子様。きっと呪いで誰も、王子でさえも、高嶺だなんて思っちゃいないだろうけど。
リーフにとっては初めての、いや、人間不信になってから初めての、家族以外の人間。今世の家族以上に仲良くなりたいと思った特別な人間。
今日は酷いことをしてしまったけど、本当に悪気はなかったんだ。
また少し考えては落ち込む。もう涙は止まったと思っていたのに、勝手に零れてしまう。リーフは泣き疲れていつの間にか眠りについた。
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