6 / 12

第6話 入りたくない

 親の金でニートライフを送っていた涼は、生まれ変わって超絶天使のリーフ・アルドノリアになっていた。  現在、王城勤めを初めて二日目、何故か昨日よりも重く大きく見えるシルフィ(第三王子)の部屋の扉の前で立ち止まっている。  ノックをしたくない気持ちで、手の甲が宙に浮いたままだ。しかし、後ろからの視線がどうにも痛い。スフィリオこと賢者様が、ずっとこっちを見ている。  さぁ、早く行けと言わんばかりに。  「リー。まだ入ってなかったのか。私が一時間前に通った時もそこにいたな。早く行きなさい」  もう一時間も経っていたのか。時計を持っていないから時間なんて分からなかった。  一応この国では、時計の他にも、時間の目安として一日に二十四回鐘がなる。鐘同士の間隔は一時間だ。  魔法で国中どこにいても聞こえるようになっているのに、それが聞こえないくらい、目の前の扉に集中していたらしい。  ちなみに、寝ている時は聞こえないようになっている。不思議だがそういう魔法なのだ。  「お、おばさん、なんか、具合が悪いような気がする」  「大丈夫だ。熱は無いぞ」  額に手を当てられるが、触れられた手に対して気持ち悪さを感じなかった。目の前の扉への嫌悪感が強すぎて、逆に安心したくらいだ。こんなことを思う日が来るなんて、天変地異の前触れだろうか。本日のリーフの体はやっぱり具合が悪いらしい。  「そんなに緊張しないでいいと言っただろう。ほら、私がノックしてやるから」  「あっ、ま、まっ」  止める暇もなく、スフィリオは三回扉を叩いた。叩いてしまった。  小さな子供が駆け寄ってくる足音がする。足音は扉の前で止まった後、扉の前で動かないでいるようだった。少し時間を開けて、鍵の開く音がする。リーフには分かる。きっと、鍵を開けるか迷ったんだと。つまり、リーフに会いたくないということだと。  俺も会いたくないような気がする!  「リー、緊張しすぎだ。ほら、行きなさい」  珍しくよく触れてくるスフィリオに背中を押され、思わず扉を開けてしまう。  ビビりすぎたせいで、挨拶もろくに出来なかったが、それどころではなかった。  目の前に、それはそれは小さな黒い男の子がいた。こちらをじっと見ている。昨日はしゃがみこんで震えていたのに、今日は二足歩行でしっかり立っている。頭は膝の高さくらいだ。  息をするのを忘れていると、スフィリオに背中を叩かれる。やっと呼吸ができて、深呼吸をすると、少し脈が早くなっていく。  シルフィは昨日見た時よりもモヤが少し薄れており、人のようなシルエットが鮮明にみえる。髪は長い。女の子みたいだ。正直、シルエットだけでは女の子にしか見えない。それに真っ黒だから、結局そこまで人っぽくない。リーフの人間センサーからは外れた。  「じゃあ、私は行くぞ。扉は閉めておいてやる」  「え、あ」  またしても止める暇なく、スフィリオは一方的に扉を閉めて行った。長年傍に居ると、性格が似てくるとは言うが、スフィリオも大概人の話を聞かない。  「ん?」  スフィリオへの呆れでため息をついていると、ズボンの端を引っ張られるような感覚がして、足元に視線を落とす。  シルフィが、リーフのズボンを引っ張っていた。  「あっち?ですか」  ズボンを掴む手と反対の手で、庭のある方を指さしている。連れて行けということだろう。  「行きましょうか」  ズボンから手を離さないから、ズボンを掴むシルフィが転ばないようにゆっくり歩こうとする。だが、小さな手はズボンがシワになるぐらい強く握りしめていて、動こうとしない。座りこもうとするし、結局一歩も動けない。それでも、指は向こうを指したままである。どうすればいいんだ。  「庭の方に行きたいんですよね?」  小さく頷かれるが、やはり動かない。  「・・・・・・えっと、持ち上げてもいいですか?」  動かないなら自分が運ぶしかないと、恐る恐る尋ねたのだが、シルフィはその場で数回ジャンプして、体に纏う薄いモヤをリーフのズボンに絡ませてくる。  それが、好意を寄せているような愛情表現に見えて、右手で自然と上がる口角を抑える。  「バンザイしてください。あ、バンザイは、両手を上げるんです」  シルフィは躊躇いもなく、ズボンを掴むのをやめ、両手を上げてリーフの方を見る。やっぱり、目なのか、顔の部分に小さな光が二つあり、光が弱まったり強まったりしながらこっちを見ている。期待している、ような。  両方の脇の下を掴み、お尻を支えながら抱き上げる。シルフィの小さな手が、リーフのシャツを掴んでいるのをじっと見つめる。小さく握りしめているのがすごくキた。  なんだこれ。ほんとに、にやけてしまうのが、止まらない。  なんだこれ。  カーテンは閉まっていたから、シルフィを抱き抱えながらゆっくり開けていく。リーフの髪の毛が気になるようで、数本掴んで不思議そうに引っ張る。痛くはないが、口に含みそうな勢いだ。  昨日との対応の違いに戸惑いが溢れる。  一晩でこの変わりようは、普通なのか?自分の小さい頃の記憶なんてほとんど覚えてないから、よく分からない。でもリーフは少なくとも、人に懐く以前に、慣れるまでにもかなりの時間がかかった。ましてや、あんなに泣かせたのに。  「王子は、私の事怒ってないんですか?」  カーテンを開けなから、シルフィの方を見ずに言う。それでも、シルフィが頭を縦に振るのは分かった。  「昨日、私に触られて怖くなかったですか?」    また、怖くないと頭を振るから、その小さな頭を優しく撫でた。嘘だな、とは思ったが、肩のところに黒い頬をスリスリと押し付けて甘えてくるから、撫でる手が止まらない。  罰とか、鞭とか不敬だとか、全部忘れて、ただこの小さな黒い王子が、可愛くて仕方なかった。元々人間以外なら博愛主義な方だが、人に対してニヤけが収まらないぐらい可愛いと思ったことは人生で初めてだ。人と言って良いかはよく分からないが。  「朝の食事は済ませましたか?」  この質問には頭を横に振る。昨日掃除したばかりのテーブルに食事がまるまる残っているのが見えて、そこに座る。そういえば、レイラウドが食事は食べたがらないと言っていたことを思い出す。  本日はハンバーグだ。昨日言った食事が次の日にあるなんて運がいい。  「食べましょうか。こんなに小さな口なのに、ハンバーグなんて食べられるのかな」  赤ちゃんみたいな大きさということもあって、なんとなくそのまま食べさせるのが怖い。一口サイズのハンバーグに切り分けた後、少し潰してスプーンに載せる。シルフィがリーフの腕から降りようとしないので、全部片手でした。  自分で言うのもあれだが、案外器用じゃないか?  「はい、あーん」  “あーん”が伝わらなかったのか、口を開かない。しかし、スプーンの中の匂いを嗅いでいるようだ。  「王子、あーんって言われたら口を開けるんですよ」  そう言うと、少し迷った後、小さく口を開ける。口の中は真っ黒で、正直どこに入れたらいいのか分からない。歯や舌はあるような気はする。おおよその見当をつけて、舌に食べやすく潰したハンバーグを載せていく。  「よく噛んでくださいね、三十回モグモグしてください」  一口目はそのまま飲み込んだから、焦った。噛むように促すが、シルフィはあまり分かっていないようだった。レイラウドはどんな風に食事をあげていたんだろう。子育てなんて彼もしたことがないだろうから、あんまり分かっていないに違いない。リーフも偉そうなことは言えないのだが。というか、ほとんど何をしたらいいのか分からない。  レイラウドとスフィリオには子供がいない。スフィリオはΩ性で子供を産める体だが、子供を産む選択をしなかった。その代わりに、リーフを自分の子供のように可愛がってくれる。レイラウドは養子に取ろうとするレベルでリーフを溺愛だ。  「そうです、モグモグできて偉いですね。今度はこの野菜も食べましょうね」  よく茹でられていたから、片手でも簡単に小さくすることが出来た。しかし、口に近付けても食べようとしない。  「これは、好き嫌いってやつか・・・・・・」  リーフも好き嫌いは多い方だ。嫌いなものは食べなくても普通に育ったし、咎められる環境もなかった。前世も今世もリーフにとっては甘い親だった。  シルフィの食べようとしない野菜は無理に食べなくていいだろうと、適当に避ける。  「ハンバーグだけ食べましょうか」  結局、ハンバーグと、デザートとして置かれていた果物を食べて食事は終わった。用意された食事の七割は食べている。十分に違いない。  次はどうしよう。子供といえば、よく寝て食べて遊ぶことだろう。リーフなら、ご飯を食べたら寝たい。  「王子、寝ます?お布団で」  王子も目の光を大きくさせて頷くから、小さな体を抱えながらベッドの方に腰掛ける。寝かせようとしてもやはりリーフから手を離さないので、一緒にベッドの方に横たわる。  「可愛いなぁ」  前世では、母親がリーフの人間不信っぷりを心配して、犬を買ってくれた。世話もしたし、よく一緒に寝ていた。今世でも、両親はやっぱり犬を買ってくれた。人間不信には動物を買い与えるというのが親の常なのだろうか。  ペットは、リーフの唯一の友達だ。もちろん、一緒に寝たことも何度もあるし、リーフ自身も可愛がっていた。世話はめんどくさくて親に任せりだったし、今世は使用人がしてくれていたからしたことは無いが、おやつをあげるのはリーフの役目だったから凄く懐かれていた。  そんなペットに対する感覚と同じように、小さな黒い王子の頬に軽く口付ける。  「おやすみなさい」  最初は世話をするつもりなんて半分くらいしかなかった。怖かったのと、契約してしまったことで無理やりこの部屋に来ただけ。  だけど、いつの間にか自分で来たいと思うようになった。昨日ならきっとレイラウドは、リーフが嫌だといえば王城勤務を辞めさせてくれたのに。リーフは否と答えた。  “リーフがシルフィの姿を見て怖がった”と、シルフィ自身に思われたくなかった。その他の誰かと一緒にして欲しくなかった。自分は安全だと、どうしても言いたかった。  そんな心境だからこそ、今は少しだけ、父親のことを信用している。リーフがあれだけ拒絶しても、めげずに話しかけてくる。だけど、距離はしっかり取る。怖いなんて思っていたけれど、彼もきっと自分を抱きしめて慰めたいと思っていたはずだ。リーフは一度のシルフィの拒絶で、部屋に入るのを躊躇った。泣かせてしまったことに罪悪感を抱き、また泣かせてしまうのではと怖かった。  自分の父親は凄いと、本気で思った。  リーフはベッドに横になると、シルフィと一緒に布団に潜り込む。過剰睡眠でない限り一瞬で眠れるという特技を持つリーフは、そのまま寝た。

ともだちにシェアしよう!