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第8話 触って欲しい

 頬に綿棒でつつかれているような感覚が続く。痛くない。むしろ力が弱すぎてこそばゆい。  「ん、・・・・・・んぁ?」  間抜けな声が聞こえると思ったら自分だった。行儀悪く組まれた足の真ん中には、両手で抱えられるほどの小さな五歳児がいて、黒いモヤのかかった指先が目と鼻の先にあった。  「すみ、ません。寝てました?」  小さく二回縦に振られた頭を、謝罪とともに撫でる。気づいたのが今更ながらで申し訳ないが、この王子様は頭を撫でられるのが好きらしい。嫌なことでも、ご褒美に頭を撫でるとなんでもやる気をだす。リーフも可愛がりたいから、惜しむことなく撫でてやる。  「清潔魔法(クリーン)やっぱり使えなさそうですか?大丈夫ですよ、歯ブラシありますから」  子育て本を読みながら、仕事を始めてはや一ヶ月が過ぎた。子供に清潔はとても意味のあるものらしく、今はご飯後の歯磨きをしようとしているところだ。  高い魔力を持つ貴族は、大抵歯磨きを清潔魔法で済ませる。小さい頃から教えなければならず、レイラウドからは、『シルフィは魔法を使える』と聞いていたのだが、リーフはシルフィが魔法を使っているのを見た事がない。本人も、清潔魔法が使えないと言うので、リーフが歯ブラシで磨いてやっている。     歯ブラシを貴族で使うものはほとんどいない。日常的に魔法を使えないぐらい魔力の低い平民が使うものだ。まぁ、リーフは魔力が無いし、レイラウドも雀の涙程しかないから、歯ブラシを使っている。一応リーフたちのような貴族が使う歯ブラシもあるのだ。シルフィの歯ブラシも特注で作ってもらった。  魔法を教えようにもリーフにはさっぱり分からないし、一度スフィリオにも相談してみたが、問題ないとの事だった。スフィリオ曰く、『第三王子の魔力操作のレベルは高く、魔力感知も優れているため、一度見たら覚えるだろう』との事だった。レイラウドも使えると言っていたから、使えるはずなんだろうが、本人は使えないと言う。  リーフが魔法を使えないから、やり方を忘れたのかもしれない。身の回りの魔法を使える人と言えばスフィリオしかいないのだが、シルフィは余程のことがない限り部屋にリーフ以外を入れたがらなかった。しかもスフィリオは、なかなか帰れないリーフをスフィリオと無理やり引き剥がして連れて帰るので、敵対視されている。それに、スフィリオ自身も、どうやらシルフィが苦手なようなのだ。  「今日は、自分で歯ブラシしてみましょう」  手のひらサイズの歯ブラシを渡すが、シルフィは顔を横にそらして頑なに受け取ろうとしない。ご褒美に撫でをチラつかせてもうんともすんとも言わない。  「やっぱダメかぁ。王子、お口をあーんしてください」  頭を撫でられる事が好きとはいえ、全てをご褒美で釣れるわけではない。苦手な野菜を食べたり、おもちゃを片付けたりすることは出来るが、歯磨きはどうしてもやりたくないらしい。  可愛いから別にいいのだが、問題は別にある。歯磨きを手に持ったはいいもの、シルフィの口の中が全て黒いから、どこが汚れているのかさっぱり分からない。歯があるとこは磨いているつもりだが、正直きちんと磨けていないと思う。  清潔魔法を使えない場合、きちんと磨かないと虫歯になってしまい、高い治療費を払って回復魔法をかけてもらわなければならない。この世界に保険という概念はないし、回復魔法を使える術士は少ないから、治療費が高いのだ。  もちろん、シルフィが虫歯になったらお世話係であるリーフのせいである。スフィリオにも王子に甘すぎると言われたし、もう少し厳しく接した方がシルフィにとっていいのかもしれないが、小さな手でリーフに甘えてくるのを見るとどうしても叱れない。    あまりにも自分の歯磨き技術に不安を持っていたため、清潔魔法の使える魔道具をスフィリオから貰って一瞬で綺麗にしてみた所、シルフィがギャン泣きした。それはもう可哀想なぐらい泣くもんだから、その魔道具は部屋の奥の方にしまってある。  魔道具の原理は分からないが、魔力感知が優れすぎて、魔道具から発する魔力に違和感があるのかもしれない。しかし、掃除等の魔道具を使っても、シルフィは平気そうにしているし、と考え、きっと距離の問題に違いないと納得した。リーフには魔法が使えないし、何も感じない。そして知識もないから、原因など分かるはずもなかった。  スフィリオにも相談したが、王子がダメならダメなんだろうと、割と適当に返事をされて、放って置かれている。  シルフィが虫歯になったら絶対スフィリオに治してもらうと決意する。  実はシルフィは歯磨きだけではなく、お風呂もリーフがいれないと綺麗にしてくれない。清潔魔法があれば一瞬で身体中綺麗になるのだが、やっぱりしてくれない。まぁ、歯磨きで清潔魔法を使えないから当然かもしれないが。  「あれ、王子なんか色薄くなりました?何となく歯の色が灰色っぽいような、あ、消えた」  毎日磨いているリーフにしか分からないだろう微々たる差。しかし、身体中にあるモヤが少し動いたあと、先程見えた色は消えていた。気の所為かもしれない。  「どうしたんですか?嬉しそうですね。ついでにお風呂も入りましょうか」  口の中の歯磨き粉をゆすがせると、小さな黒い手がリーフの手の平を開けさせ、人差し指を掴む。最近指を噛むことを覚えて、機嫌がいい時にリーフの指を噛んでいる。甘噛みだから痛くはない。本人が納得するまで好きにさせている。  リーフの育児力は格段に上昇しており、今では五歳児を一人で風呂に入れることなんぞ余裕だ。最初は、体の洗い方がよく分からなかったし、ちょっと雑に洗っていたからか、シルフィが背中の痒みを訴えることもあった。真っ黒で湿疹が出来ているのかすら分からないわ、触ってみてもモヤでよく分からないわで、本当に困った。本を見ながら丁寧に洗うようにしてからは、割と快適そうに過ごしている。身体にも魔道具を使うと同じくギャン泣きされた。  魔道具はほんとにダメらしい。  「私も魔法が使えたら良かったんですけどね」  人生で何回言っただろうセリフにため息をつくが、猫の目のように光らせた2つの光がこちらを向く。小さな体を洗うためにしゃがみ込んでいたのだが、泡のついた黒い手にぺちぺちと両頬を叩かれる。  「うーん?王子どうしました?」  一応綺麗に洗っていたつもりだったので、再度洗えていないところはないか確認する。頬のシルエットが少し膨らんでいるような気がする。  一言も話さないという言葉に嘘偽りなく、こんなに懐かれているリーフですら第一声を聞けていない。言葉も分からないから、たまによく分からないところで不機嫌になったり、むくれていたりする時に何を考えているか分からない。  大概、小さな手や足でじたばたと暴れてくれるから、何となく不機嫌なことはわかるが、原因が分からないことには対処の仕様がない。  「あ、分かった。王子も、魔法が使えないですもんね。俺が使えるようになったら、困るんでしょ」  一ヶ月ともなると、口調も軽くなり、不敬がどうとか罰がどうとか言っていたくせに、軽口を叩けるような間柄になった。シルフィも嫌がらないし、堅苦しく話す方が嫌がられるので、リーフも楽にしている。  「ちょ・・・・・・っ泡、泡が口に入・・・・・・っ、まずっ」  泡だらけの手で顔中触ってくるもんだから、口の中にまで泡が入ってきた。怒っているらしい。うーん、五歳児って難しい。  「王子は魔法を使えなくてもいいですよ。私がお世話しますから」  そういうところりと機嫌を治すから、やはり子供は単純だ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  シルフィは敢えて魔法を使いません。  リーフに触ってもらえる機会を思う存分に楽しんでいます。

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