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第10話 セイントシュガー祭②
今日は“はじめてのおつかい”だ。
前世なら微笑ましく見守られるものなのだろう。問題は、対象が小さな子供ではない事だ。
「はあぁぁぁぁぁ」
誰に聞かせるわけでもなく自然と大きなため息が出る。はじめてのおつかいをするのはリーフだった。リーフとして生を受けて早十年。前世の歳も合わせると、三十代頃だろうか。執事も奴隷もなんでもござれの我が子爵家では、お使いなんて縁のない代物である。
シルフィからはいつものグズりはなく、快く部屋から追い出された。
『リー、早く行きなさい』
『そうだよ、リー。ジャムが腐るよ』
この場にいないはずなのに、何故か声だけ聴こえる事実に、リーフはついに幻聴を聞くまでストレスが蓄積しているのかと頭を抱える。
『嘘ではない。私の魔法も永遠続く訳では無いからな。あと三日もしたら解けるだろう。セイントシュガー祭にはギリギリ間に合うがあと一鐘程で出なければ間に合わないぞ』
『地図は外の馬車に渡してるよ。裏道から通ってね。リーの素敵な旅路を祈ってるよ』
苛立つリップ音が聞こえ、それから二人の声が聞こえることは無かった。リーフは気配遮断の魔道具を起動させながら城を出る。今日は結界日と呼ばれる前世で言うところの休日だ。城を中心に大きな結界を発生させ、絶対不可侵の領域を作り出す。一度作動させると絶対に壊れることは無い。絶対 だ。今回の結界は百鐘分ほど効果が続くらしい。
だから今日は城の守りが薄い。必要最低限の者だけがここにいる。王城には結界が二重になっており、害あるものが侵入できないようになっている。しかし、元から害のあるものが中にいた場合は効果がない。あくまで外からの刺激に対してのみの反応である。
人の薄いところを掻い潜りながらリーフは難なく外に出る。中から外に出る分にはとても簡単だ。リーフの場合、スフィリオからかけられた特殊な魔法陣が反応し、外出したことが記録される。リーフはただ外に出ればいい。結界日だからそこまで厳重でもない。いつもなら門前に番がいて通れないが、今日は記録係が一人チェックで待機しているのみ。リーフはその待遇が普通だと思っているが、そのように簡単に外出できるのは王城でも両手で数える程だ。
裏門を抜けると小さな馬車がひとつある。見た目は質素でどこにでもあるような馬車だ。御者は、召喚獣だった。気配遮断の魔道具を停止させる。
「・・・・・・うん?猫っぽい何かは馬引けるの?」
「“猫っぽい何か”てなんやねん!わいにはお前らなんかにゃ比べ物にならんほど尊い名前があるんや!」
「なんて呼べばいいんですか?猫様?」
「わいを猫と同じにすんな!」
結局、自分の名前は人が呼ぶことが出来るほど安いものではないと教えてくれなかった。
にゃんにゃんと騒ぐ召喚獣を撫で回し、馬車の中に入る。中は外見からは考えられないほど広い空間になっている。そして、疲れが最小限に済むように、ふわふわの柔毛で作られた毛布が置いてあったり、寒くないように温度調節の魔法石、マッサージ機、他にもリーフの好きな食べ物が大量に用意されていた。まさに人をダメにする空間である。
それから、何となく御者を見て予想はしていたが、鳥っぽい何かと犬っぽい何かもいた。2匹ともリーフをチラチラとみて落ち着きがない。
「可愛いなぁ。まじ癒しだわ」
働くことは嫌いだが、暇なことも嫌いなリーフは、これで道中退屈しなさそうだとどん底の気分が少し浮上する。結局、気まぐれなリーフに構い倒されて召喚獣はお疲れのようだ。しかし、リーフが疲れて眠ると、召喚獣は興味深げにリーフの顔を覗いたり、毛布をかけてやっている。
「ワンワンッワン」
「うん、怖い、ない」
言葉を発することが出来ない犬っぽい何かと、単語ごとなら話せる鳥っぽい何か。異形と呼ばれる召喚獣は、いつどの時代でも迫害の対象だった。スフィリオに召喚された時は、主 が召喚獣に無関心であったため、“マシな主に当たった”というのが全員の共通認識だった。
任された仕事は子供の世話。嫌がられることも、泣き出されることも、暴力に耐えなければならないことも考えていた。召喚獣は治癒能力が高く、どんな傷でも翌日には治る。しかし、痛みを感じない訳では無い。一昔前では、貴族の遊びで当たり前のように拷問が行われていた。現在は禁止されているが、それでも扱いは良いものでは無い。
召喚獣はいつ召喚されるか分からない。召喚されないことを選べない。そういう存在なのだ。
「主。主」
この三人の主はスフィリオであり、リーフではない。しかし、リーフやスフィリオのいない所で密かに“主”と呼んでいた。召喚獣は初めて自分たちを可愛がってくれる存在が大好きだった。
「んぁ・・・・・・?あぁ、鳥っぽい何かか。ほら、こっち」
自分たちがかけた毛布に気づいた主が、その毛布を持ち上げて入るように促してくる。召喚獣は分からない。本当はあそこに入っていいのか。でも、一緒にくっつきたい。
「また嫌がってんな?まぁ、俺には関係ないがな!」
無理やり引き込んでくれる主が好きだ。嫌じゃないことを伝えたいけど、どうしてもリーフと話すことが怖い。強気な召喚獣や強い召喚獣は臆すことなく話すが、弱い個体はどうしても躊躇う。主の機嫌を損ねてしまうと思われるもの全てを表出させたくない。特にリーフには、今までとは違う理由で話したくなかった。ただ、嫌われたくない。
「はぁ、あったけぇ。んじゃ、寝るから」
一瞬で寝た主に、二匹の召喚獣は顔を合わせる。そして、どちらかともかくリーフにくっついた。
馬車に揺られ、一際大きな揺れが来てリーフは起きる。外はもう暗くなっており、一体何時間寝ていたのか検討もつかない。
「着いたで。はよ起きにゃ!」
たまに語尾に“にゃん”がついてしまう召喚獣ににやけながら、頭を撫でてやる。また怒ったようににゃんにゃん騒いでいるが、リーフは気にしない。
目の前には可愛らしいくるくるとした文字で書かれた“ま〜くんのみせ”の看板が目に付く。ショッキングピンクで塗られた看板は夜でも目立つ。
何となく可愛らしい人がいそうな気がしてドアを召喚獣にノックさせた。リーフは三匹の召喚獣の後ろで扉の向こう側を伺っている。
野太い声がして、出てきたのは巨大な筋肉ダルマだった。リーフは恐怖で声も出ない。リーフは男が嫌いだ。特に大きくて怖い男が怖い。自分の抵抗など無駄だと嘲笑うような巨体男がリーフを睨みつける。
「クソが死ね」
いきなり暴言を吐かれたリーフは、失神間際であった。召喚獣はリーフの盾になるかのように立ち塞がってはいるが、リーフは震えることしか出来ない。
「何?わざわざ出てきてあげたんだけど。要件は?何?遅いな、うぜ」
筋肉を自慢するかのように扉を破壊する勢いで大きな音を立てて閉まる。リーフは思った。
あ、これ、無理。
召喚獣の毛皮をぎゅっと掴んだ瞬間、また大きな音が鳴る。
「おいクソ、お前、あいつのとこの使いだろ。髪色そっくりでムカつく」
せっかく閉まった扉は一瞬で開き、中から1枚の紙が投げ捨てられる。
「さっさと持っていけよ、クソが」
また大きな音が鳴って扉は閉まった。
衝撃で動けないリーフの代わりに召喚獣が紙を拾う。
「これはあれやな。隣国の情報や。ここに依頼してたんか。これを取りに来たんやな」
猫っぽい何かの声に『いやいや』とリーフは頭を振る。そんな変なものを取りに来た訳では無い。劣化せずに保管されているという雪の苺ジャムを取りに来たのである。
「お、おじさん、まさか、俺を騙したな!?」
要は、雪の苺ジャムがメインなのではない。この書類を取りに行かせることがメインだったのだろう。リーフは直ぐにそのことに気づいた。
「道理で今回しつこいと思ったよ!おい!肝心のジャムどうなってんだ!」
人がいないところではわりと元気に声を出すリーフは、家の中から大きな足音が近づいていることに気が付かない。扉を開ける音に気づいてやっと口を噤む。
「うっせぇ、マジだるい。家の前で騒ぐな死ね」
何回扉は開くんだろう。ついに、大股でやってきた巨大男はリーフの胸倉を掴んだ。男はやけに軽い体を不思議に思いながら、手の中のうるさい男がどんな顔をしているのか見てやろうと覗き込む。
リーフが一週間一人暮らしをしていたといえど、子爵家で綺麗に整えられた名残で王城に来た頃まではどこに出しても満足してもらえる容姿であった。しかし、さらに一ヶ月の月日を経て、前髪は伸びて目は隠れ、細い髪は手入れをしていないから枝毛だらけでボロボロ。誰も気にする事はないから服も皺だらけだ。
しかし、男に捕まれ、後ろに流れる前髪からは、綺麗な顔が現れる。
「あらヤダ、可愛い顔してるわね」
急に高くなった声に、リーフを助けに飛びかかろうとした三匹の召喚獣はぎょっとする。ちなみにリーフは、巨大男がリーフに向かって三歩近づいた時点で失神していた。
「やっだぁ。ほんと可愛いわぁ。長い前髪でうっすらあいつに似てるようなぐらいしか分からなかったけど、全然似てないわね!可愛いわぁ」
猫っぽい何かは驚きすぎて口が開きっぱなしだ。巨大男はくねくねとリーフを見ながら可愛いと言っている。召喚獣は、狼狽えながらも巨大男に攻撃する。
ーー無詠唱魔法。
この魔法こそが、召喚獣が呼ばれる所以の一つである。無詠唱で魔法を行使できるのはこの世界に召喚獣だけ。そして能力は元々の召喚獣の基礎能力と召喚主の能力が合わさり決定される。特に、言葉を話せる個体というのはほとんどが上位種だ。現時点でこの召喚獣達に敵うものはいないといってもいい。
難なくリーフの奪還に成功し、巨大男は残念がっていたが、先程の高い声はいつの間にか消え、召喚獣達を睨みつけていた。
召喚獣も負けじと殺気立つが、巨大男が怯むことはなく、蔑むような視線を向ける。
「醜い。召喚獣はほんとに醜いな。醜いものは消えればいいのに」
巨大男は家に戻り、それから出てくることは無かった。
醜いと言われるのは慣れている。召喚獣たちは気にすることなく、リーフを馬車に戻す。しかしそこで、犬っぽい何かと呼ばれる召喚獣の存在がいないことに気がつく。しばらく馬車で待機していると、鳴き声がする。
「ワンっワンワンッワン!」
「・・・・・・おんまぇ、手癖悪いよなぁ。それであってんか?匂い?おお、あってんのやな」
犬っぽい何かは、口に白い何かが入った瓶を口にくわえていた。リーフの匂いがすると言う。恐らく雪の苺ジャムだろう。
巨大男の部屋に侵入し、勝手に取ってきたようだ。賊対策に色々な防御魔法が複雑にかけられていたが、気にせず入っていったらしい。
「ナイスや。こんなとこすぐにでも離れたいよな」
燃えている鳥の召喚獣の横で、猫のしっぽの影が二つから九つまで増える。鳥の炎はいつの間にか赤から青へ、犬の羽は白から黒へ染っていた。
召喚獣たちは、一度顔を見合わせ、お互いがひとつ頷くと王都へ向けて走り出した。
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