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第11話 セイントシュガー祭③
リーフが目覚めると、ふわふわの柔毛の中で可愛らしい召喚獣二匹に囲まれた幸せ空間の中にいた。夢を見ていたのかと体を起こすと、目の前に忌々しい紙が置いてあって、それにどうも見覚えがある。
「夢じゃないのか、マジか、これでこそ夢であってくれよ」
結局、あんな死ぬ思いをしてゲット出来たのは、レイラウド宛に書かれた隣国の情報という紙のみ。破り捨ててやろうか。
元々、王子があんなに喜んでいなければここに来ることは無かったのに。
シルフィのことを考えている時に、そういえば、と思い出す。
「・・・・・・雪の苺ジャムどうしよう」
あんなに楽しみに送り出してくれたシルフィの元へ手ぶらで帰ってしまうことがどうしても罪悪感で出来そうにない。絶対泣かれる。しかし、もうあそこに戻る気力がない。怖すぎて無理である。
「ほんとにどうしよう」
悶々と両手で顔を覆い、半べそをかいていると、脇腹をつつかれてそちらを見る。
「犬っぽい何か、どうした?お腹すいたか?」
召喚獣はご飯を食べなくても生きていけるから普通は食べない。しかしリーフは、なぜかご飯を食べさせようとする。召喚獣たちは不思議だったが、リーフのくれるものは美味しいので、楽しみにしていたりする。
召喚獣は、巨大男の家から盗ってきた瓶を咥え、リーフに押し付ける。
「うぉ、お、お?おぉ!?これは!なんで!?」
見覚えのある瓶だ。間違いなく王城へ行く前にスフィリオに渡したジャム瓶である。
「お前もしかして、俺の代わりに交渉してくれたのか!?偉いぞ」
交渉することなく盗ってきたのだが、召喚獣はもちろん言わない。これでシルフィの悲しむ顔を見なくて済むと、リーフは召喚獣たちを上機嫌で撫で回した。
城に戻る頃には夕方になっていて、既に寝すぎて時間の感覚が分からないリーフは、今が何日目なのかも分からない。ただ、手元にジャム瓶があるという事実を感動とともに噛み締めていた。
裏道に止まった馬車からリーフが降りようとした時、城が騒がしいことに気づく。皆が一様に城の方を見上げていて、リーフもつられて視線を上げると、黒い雲が、城の頂上付近にあった。
「もしかしてあれって」
王子のモヤだ。そう確信して、気配遮断の魔道具を発動させる。鳥っぽい召喚獣に頼んで背中に乗せてもらい、城の中から入るのではなく、直接もやがある方へ向かってもらおうとする。想像では、軽く乗せてもらいかっこよく窓から入るつもりだったのだが、思った以上に背中が安定せず、早々に諦めた。代わりに城の中を駆け足で走る。階を移動するための魔道具がある場所まで移動するが、手続きで人の目に触れる必要があることを忘れていた。リーフは躊躇するが、できるだけ距離を離しながら近づく。
忙しくなく走る人から声が聞こえる。現在、魔道具は不具合で使えないらしい。
リーフはその情報に、素早くその場から離れた。
例え王子になにか異変が起きようともリーフは魔法を使える訳ではないから、何か異常が起きていても何も出来ないし役に立たないだろう。しかし無意識に、自分が行かなければという強い焦燥感があった。
黒いモヤが窓から溢れ出るように出てきた様子が、どうにも気になって仕方がない。今まで黒い身体からモヤが出る原理を詳しく考えたことがなかったが、門から見えるくらい黒い煙を出してしまって大丈夫なのだろうか。王子は無事なのか、それさえ分からない。
リーフはただ、可愛いから世話をしていただけだ。可愛がっていただけだ。王子の身体がどうなっているかなど、“ただそうであるから”としか考えなかった。だって、そういう生き物なのだろうと、人間であることを無意識に排除していた。
今更になってリーフは考える。
王子はどうやってモヤを出すのだろうと。
本日はまだ結界日だ。城の中は極端に人が少ない。だからこそリーフは動きやすかった。城には数は少ないものの階段がある。自然と足はそちらに向かった。階段の存在は貴族にとっては泥道と同じようなものだから、衛兵以外誰も近寄らない。
リーフは滅多に魔道具で階を移動しない。階を移動するために魔力を注ぐ必要があることや、そもそも城の中にひきこもっているため階を移動することが無いからだ。だからこそ、人の少ない階段の場所を知っていた。
長い永久に続くかのように思える魔の階段。登る前からそのあまりの長さに変な汗が流れる。
階段を登り始めるが、一向に着く気配はない。王子の部屋がかなり高い位置にあったことを思い出し、げんなりする。しかし、登らなければ。そんな一心で手すりを掴んで登る。なぜこんなに必死に頑張っているのかリーフ自身ですら分からない。しんどいからやめたい。足が震える。息がしにくい。普段運動をしないから、全身が悲鳴を上げている。
顔から流れるように出る汗が、階段を濡らす。余りの辛さに過呼吸のような呼吸になる。思わず階段でしゃがみこんだとき、上の方から爆発音が聞こえた。同時に階段が揺れて、悲鳴も聞こえる。
王子だ。
リーフには今の爆発音が王子のモヤと関係していると本能的に察知した。立ち止まった足を踏み出し、無我夢中で頂上を目指す。階段の揺れが近いからもうすぐだ。
「クソっ、・・・・・・ぉえッ、まじきッつ」
近くで見守る召喚獣は、心配そうにリーフを眺め、リーフの負担が軽減されるようにリーフを引っ張っている。召喚獣は主に対して魔法を使えないようになっている。回復魔法のみの行使が可能だ。一説では召喚獣が召喚主を殺した事件があったことで、呪いが降りかかったといわれている。召喚獣の主はスフィリオだが、スフィリオはリーフに危害が与えられないよう、リーフへの回復魔法以外の魔法の行使を禁止していた。この禁止とは契約だ。契約を破ってしまった場合、召喚獣は死ぬ。
吐き気と、大量の汗で視界が歪む。召喚獣が回復魔法をかけようとしてくれたが、断った。シルフィの虫歯のために回復魔法のことを調べていたから、その魔法の特性に知っていた。
回復魔法は体力まで回復する訳では無い。かけてもらっても直ぐにバテるだろう。それに、この魔法は術者の魔力をかなり削る。何度も使えないからこそ、貴重な魔法なのだ。万が一、シルフィが大怪我をしていたら、と考えると貴重な魔法をここで失いたくなかった。
やっとの思いで着いた場所では、黒いモヤが廊下中に広がっていた。廊下の窓は全て割れ、王子の扉が木っ端微塵になっている。近くには、スフィリオとレイラウド、それに何人か知らない人がいる。スフィリオは怪我をしているようだった。
あまりの変わり果てた惨状に、立ち竦んでいるとスフィリオがこちらに目を向け、リーフに向かって手招きをした。
「レイラウド、リーがそこに。リー。魔法は解かなくてもいい。近くに来なさい」
リーフの魔法の源がスフィリオであるからか、賢者ゆえの能力なのか、魔道具で気配を消しているリーフを容易く見破る。
リーフはスフィリオと、どこか怒りの表情が見えるレイラウドの元へ駆け寄る。スフィリオはレイラウド以外を遠くに追いやった。近くにいた人はスフィリオに回復魔法をかけていたらしい。レイラウドは魔法が使えないから歯がゆい表情だ。
「リー。第三王子は今、物凄く機嫌が悪い。母親に罵られた時でさえこんなことにはならなかった。リーが居なくなってから徐々に不安定になって、私が臨時で世話をしていたんだが一悶着あってな」
スフィリオは全身が真っ赤だ。服は破け、悲惨な状態だが、今のところ額にある傷と、腕から流れる血以外に傷はない。スフィリオも傷や痛みを気にした様子はない。しかし、レイラウドはスフィリオの傷を親の仇を見るような目で睨みつけている。
「リー。リオは死ぬところだった。あと少し神官が到着するのが遅ければ確実に死んでいた。シルフィ様は可哀想な子だと思うけれど、僕はリオを傷つける者だけは絶対に許さない」
レイラウドの言葉にリーフは息を飲む。スフィリオの様子から、さっきまで死にそうな状況にあったとは夢にも思わなかったからだ。
スフィリオはレイラウドの言葉とリーフの表情に少し不機嫌そうな顔をする。
「・・・・・・大丈夫だ。もうほとんど治っている。それに、リーのせいじゃないから、そんな顔するな」
賢者と言われる存在でも、魔法使いは皆一様に自分自身に回復魔法を使うことは出来ない。だからこそ、主の近くにいて、回復魔法を行使する召喚獣が必須なのである。スフィリオの召喚獣は、リーフについていた。だからこそ神官が来なければ命に関わっていた。
レイラウドは召喚獣に、スフィリオの残りの傷の治癒をするように命じる。召喚獣たちはリーフを一瞥し、一瞬悩んだように見えたが、直ぐにスフィリオに回復魔法を展開させた。
レイラウドはそれからリーフを見る。
「リーも、王子のことが気になるだろうけど行かなくていい。どうせ、日が過ぎれば落ち着く。またその時に行けばいいんだ。今は危険だよ」
レイラウドは線引きが明確だ。自分に仇をなすもの、害のないもの、自分の懐に入れたもの。害のないものすら慈しむ。しかし、仇をなすものには容赦はしない。
レイラウドは王子とリーフの安全を天秤にかけ、リーフを取った。
リーフも分かっていた。ここで王子の元へ行くのが危険なことを。先程から出ているモヤはどことなく気分が悪くなるし、爆発であちこちの骨組みが剥き出しになっている。床には鋭利な破片がいくつも散らばっており、もう一度爆発が起きて風圧で飛んでこようものならリーフも無事では済まないだろう。
それでも、やっぱり中の様子がとても気になる。その危険な場所にシルフィがいるから。
「おじさん、ごめん。おばさんも、怪我痛そうだけど、でも、でも、俺しかっ。いかないと」
「リー?リー!待って!」
リーフはレイラウドの静止を振り切って走り出す。レイラウドはリーフを追いかけようとしたけれど、リーフが通り抜けた場所はレイラウドには小さかった。それに、先程死にかけた最愛のスフィリオを置いてはいけず、深追いもできない。
反対にスフィリオは止めなかった。ただ、リーフの周囲に軽い防御魔法をかけただけだ。膨大な魔力量を誇るスフィリオは、何故か魔力が残り少ししかなかったから、強い魔法をかけられない。
降りかかる砂粉を払いながら、ガラスの破片の上を歩く。何度か、足の裏に何かが刺さったような感覚があったが、シルフィを見つけることに夢中であまり痛みを感じない。
「王子!王子!どこですか!」
リーフは叫ぶ。
もちろん返事はない。リーフはモヤの濃い場所に向かって近づいて行った。場所は、トイレの方だった。トイレの扉も粉砕されている。隅の方で濃く黒く丸まっているのがうっすら見えて、姿が見えたことにほっとした。
「王子、リーフです。王子。大丈夫ですよ、もう大丈夫です」
モヤの発生源はシルフィだったが、初めの出会いの時のように隅で丸まっている様子が、何かに怖がっているように見えた。リーフはシルフィが自分の声でこちらを見たような気がして近づく。その瞬間、濃いモヤがリーフを襲う。
「う・・・・・・っ、ゲホッ」
モヤが巻き付き、いつもとは違う体を突き刺すような感覚がまとわりつく。モヤが体内の中に入り、口から吐血する。
シルフィはリーフの変化にリーフの元へ飛ばしたモヤを自分の方へ戻した。しかし、シルフィの体から溢れる黒い煙の量は増えていて、濃度が濃くなる。
身体中を巡る痛みに、リーフは吐血が止まらない。口から血を流しながらも、きっと自分を攻撃する意思はなかったんだろうと分かった。
いつものように、甘えようとして手を、モヤを伸ばしただけ。
痛みは体を巡るが、少しずつ吐血の量が少なくなってくる。痛みも少しマシになった。スフィリオのかけた魔法が少しづつだがリーフの全身状態を改善していた。
「大丈夫、で、すよ。怖くありま、せん」
リーフは、動くようになった体でシルフィに近づく。あの時と同じだ。
ただ違うのは、お互いの相手への気持ち。初めてあった頃のシルフィはこの部屋に来る人間 に警戒していたし、リーフもまた、まだ見ぬシルフィを怖がっていた。
シルフィはリーフを好きで、心底触れたいと思っている。リーフも、また、興味や関心なんて軽い気持ちじゃない。シルフィに触れたいと手を伸ばした。
リーフの手がシルフィを包む。シルフィを胸に抱え引き寄せると、小さな光が2つ見える。
「いつ、も泣いて・・・・・・っゲホッ、あ、すみま、せん」
吐血して鮮血がシルフィにかかってしまう。謝るがシルフィは更に大粒の涙を流して、離れたいというかのようにリーフの手の中で暴れる。
リーフは離さなかった。大丈夫、と伝えるかのようにシルフィの頭を撫でる。
「俺ね、王子に、持ってきたんです。雪の苺のジャム。王子の為に、頑張りました」
胸元から取り出した雪の苺のジャム瓶。手に付いた血で、少し汚れてしまう。しかし、シルフィは気にする様子なく泣きながらジャム瓶を受け取った。透き通る瓶をいつまでも見ている。
不思議なことに、真っ黒な濃度で溢れた空間が雪の苺のジャムを中心に、淡く白く輝き始める。浄化が始まったかのように、モヤで息苦しかった空気が少し薄れる。
シルフィもその光景に暴れる事をやめた。食い入るように瓶を見つめるが、ポロポロと流す雫はいつまで経っても止まない。
リーフはシルフィの泣き顔に、どうしてあげたらいいのか分からない。心底困り果てて、せっかくなら、とジャムを食べるように促す。
シルフィはいつも食事をすると機嫌が良くなるからだ。あれだけ食べさせたくないと思っていたくせに、自分から瓶をあけ、シルフィに差し出す。遠慮なのか、戸惑っていた様子だが、もう一度促すと勿体なさそうにシルフィがひと舐めする。
味の感想を聞こうとした瞬間、シルフィを中心に、目に染見るほどの強烈な光が放たれる。
「・・・・・・っ!?な、に」
思わす目を瞑る。眼底まで届くような光になかなか目が開けられない。
光が収まり、ゆっくり目を開けると、部屋中にあった密度の高いモヤは全て消えていた。シルフィからもモヤは消え、ただ黒い体だけがあった。
「お、王子?あれ?もう痛くない」
部屋やシルフィの変化に混乱しつつ、自分の体調も良くなったことに気がつく。少し喉の奥が張り付いた血が気持ち悪いぐらいだ。シルフィからモヤが出ていないことを不思議に思いつつ、しかし微動だにしない様子を見て、自分のジャムで死んでしまったのかもしれないと焦る。
『王子』と何度も叫び、体を揺らすが一向に反応しない。モヤが消えたことで確認しに来たスフィリオが血だらけのリーフの惨状に悲鳴をあげ駆けつけるが、シルフィの様子がおかしいことに気づく。リーフに落ち着くように促し、シルフィの容態を見るために脈を図る。
「大丈夫だ。生きてる。安心しろ。ただ眠っているだけだ。リーフも、王子も無事でよかった」
一歩間違えば死んでいたかもしれないレイラウドだが、そんな過去はなかったかのようにシルフィを気遣う。
この時ばかりはリーフもスフィリオを気にかけている余裕はなく、ただシルフィの無事を祈った。
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