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第26話 真っ黒なエゴイズム
近堂と浦田の三文芝居には、何度見ても、虫酸が走った。
近堂が紡ぐ形だけの謝罪。
その言葉に、後ろめたさなど微塵もない。
自責の念など、含まれていない。
“俺が阿妻に映像を押さえられたせいで、お前にこんなコトを強 いて、ごめん”と、形だけの謝罪をすれば、“僕は平気だよ。近堂のためなら、なんだって出来るよ”と、浦田は健気を装う。
浦田も浦田で、押しつけるように恩を売る。
“僕が抱かれるコトで、贄となるコトで、近堂は守られている”のだと、“僕は近堂のために頑張っているよ”と。
……反吐が出る。
近堂は、狡い。
家庭という帰る場所を確保しながら、浦田で遊んでいるクズだ。
でも、浦田がそれでいいというのなら、俺が咎める話でもない。
いつかバレて、手痛い竹箆返 しを食らうかもしれないが、俺の知ったコトじゃない。
いつも流す浦田の涙は、哀しいからじゃない。
恥ずかしくて、でも興奮して、処理できない感情が涙となって溢れているだけだ。
この2人は、自責もなければ、我慢もない。
申し訳ないなどと思っていないクセに。
嫌だとなど思っていないクセに。
喜んで溺れているクセに。
“貴方のため”というメッキに覆われた本心。
その中身は、真っ黒なエゴイズムだ。
素直に告げればいいんだ。
俺の手には負えないから、他人の力を借りると。
お前だけでは物足りないから、他人をも喰らうのだと。
お互いに有益なら、それでいいじゃないか。
何故に本心を隠す必要があるのか、俺には理解が出来ない。
当事者たちが納得しているのなら、そこに建前など、…モラルなど必要ないだろ?
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