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その足音が側で止まり、「ゼン!居るのか!」と、リュウジの声も同時に聞こえ、春翔(はると)は思わずゼンの体を腕で突っぱねた。理由があるにせよ、抱き合う姿を見られたら、きっと誤解を生みかねない。 「す、すみません、僕…!」 「いや」 しかし、自分を落ち着かせようとしてくれた行為に対し、唐突に突き放したのは失礼だったかもしれない。咄嗟に謝ったが、ゼンの表情は心なしか暗い。 「あ、あの」 「狸め」 「え?」 「こっちの話だ、気にするな」 苛立ちのこもった声だったが、春翔に対してではなかったようだ。ほっとしていると、障子戸を何かが引っ掻く音がする。犬か猫でも飼っているのだろうか、そもそもここはどこで、今何時だと、春翔はようやく自分の状況について頭を巡らせ始めた。ゼンは、困惑した春翔をそのままに立ち上がり、障子戸を開けた。そして戸の開いた先、春翔の真正面に見えたのは、狸だった。 「え?」 何故、狸。思いがけない動物との遭遇に、きょとんと固まる春翔だったが、それは狸も同じようで、一人と一匹は暫し見つめ合った。 「…何事だ」 低く発せられたゼンの声に、狸ははっと我に返った様子で、慌ててゼンの足元に近寄り、何かを訴えるように二本の前足でゼンの足を叩いている。 「…おい、何をしている」 狸は必死な様子だが、ゼンにはその思いが伝わらないようだ。すると、今度は着物の裾を噛んで部屋の外へ連れ出そうとする。 「こら、やめろリュウジ、お前何がしたいんだ」 「リュウジ?」 狸の名前だろうか、春翔は思わず呟いた。名前を呼ばれてか、狸はびっくりした様子で春翔を振り返った。 「この子もリュウジっていうんですか?君、リュウさんと同じ名前なの?」 ゼンに尋ね、狸と目を合わせてみる。狸は人の言葉が分かるのか、何故か懸命に首を横に振っている。 「ふふ、かわいい。この子、ゼンさんが飼ってるんですか?触ってみてもいいですか?」 「いや、こいつは狸というか、」 「キュ、キュウ!!」 ゼンの言葉を遮り、狸は可愛く鳴くと、春翔の膝目掛けて飛び込んだ。 「うわ、人懐こいですね!ふわふわだ…まだ冬の毛なんだね。キレイに手入れしてもらっていいね」 狸を撫でるのは初めてだ。愛くるしく見上げる瞳と、そのふわふわの毛並みがたまらず、春翔の頬は緩みっぱなしだ。癒されるな、と心の内も緩めていたのだが、その時間はゼンによって取り上げられてしまった。 「いつまでそうしているつもりだ?」 「あ、すみませ、」 凄みのある声にびくりと肩を跳ねさせた春翔だが、ゼンは春翔ではなく、狸の首根っこを掴んで睨んでいる。そして狸は気まずそうに目を逸らし、ぽつりと口を開いた。 「…だって、(はる)が起きてると思わなかったんだよ」 「ほぉ、ならば膝の上で愛でられようと」 「ち、違う!お前じゃあるまいし」 反論した狸がひっと悲鳴を上げる。それもそのはず、狸の周りには青い炎が浮かんでいた。 「しょうがねぇだろ!真斗(まこと)の術は、俺達自分の力じゃ解けないんだって!ゼンだって知ってるだろ!?」 「俺が腹を立ててるのはそこじゃない」 「ごめんってば!春にこの姿見られたくなくて狸を貫こうとしたんだよ!俺にとって春は弟みたいなもんだって、散々言ってきただろ!」 「…あの」 それまで黙って見つめていた春翔は、思わず挙手して口を挟んだ。 「…先程から、僕には狸が喋っているように見えるんですが…しかも、どう聞いてもそれがリュウさんの声にしか思えないのは、何故でしょうか…」 「当然だ、リュウジだからな」 やめてやめてと、首を振る狸に構わず、ゼンはそう言うなり狸の顔に手のひらを見せる。すると、淡い光が狸の体を包み、畳の上に尻もちをついた男が現れた。狸の代わりに現れたのは、リュウジだった。 「いてて、」 「…リュ、リュウさん?」 尻をさするリュウジは、春翔と目が合うと、気まずそうに目を逸らした。 「え、リュウさん、狸だったんですか…?」 「狸じゃねぇよ!いや、狸だけどその辺の狸と同じじゃなくてだな、」 「化け狸だよ」 新たな声がして振り返ると、そこには狐がいた。ツンと澄ましてはいるが、毛並みは黄金色に輝き、どことなく近寄りがたさを感じる。まさか、と思いゼンを見ると、彼は何も言わず狐に向かい手のひらを向ける。リュウジと同様光に包まれた狐は姿を消し、ユキが姿を現した。 「まったく、リュウのせいで酷い目に遭ったよ」 ゼンに摘ままれていたわけでないので、ユキは尻もちをつく事なく、すくっと立ち上がり、煩わしげに髪を掻き上げるだけだ。 「俺じゃなくて、お前が突っかかってくるからだろ!」 「春ちゃん目が覚めたんだね!良かった!」 ユキはリュウジの反論をしっかり無視して、ぽかんとしている春翔に視線を合わすように腰を下ろした。 「あはは、びっくりした?」 「い、今のは一体…」 「俺達、人間じゃないんだ」 「へ…」 あっけらかんと告げられた事実に、春翔は拍子抜けする。普通ではない事は、鈴鳴(すずなり)川の出来事や、今の彼らの姿で察する事は出来たが、だからと言って、いきなり人ではないとは理解が追い付かず、正体を明かされても、現実として上手く飲み込む事が出来ない。深刻な素振りを一切見せないユキの態度がまた、現実味を失わされているのかもしれない。

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