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三人で食事を終え、春翔(はると)和喜(かずき)に連絡を入れた。真斗(まこと)がついてくれているものの、何故春翔がまた倒れたのか、何故真尋(まひろ)が居ないのか、詳しい事は何一つ話せず、それでも和喜は無理に納得して、自分の事は心配いらないと、待ってると言ってくれた。 ちゃんと落ち着いたら、話さなくてはいけない。春翔は自身の胸に手をあてた。自分の中に居る妖が居なくなった時、真尋は側に居てくるのだろうか。 いつだって自分にべったりだった和喜が、兄以外に見せた執着はバッカスの活動だったように思う。真尋と歌って踊っている時は本当に楽しそうで、芝居もやりがいを見出だしているように感じる。歌もダンスも、芝居もアイドルも、一人でも出来る。けれど、今まで二人で築いてきたものをそう簡単に奪えない、真尋だってきっと…。 「…腹いせにとか、復讐とか、馬鹿げてる」 早くこの中から出て行ってくれ。 足元に出来た影にそう願っても、変化が起こる事はなく、春翔は一つ溜め息を吐いて客間を出ると、居間に向かった。 「…ゼンさん」 居間へと続く廊下の先、縁側に腰かけ空を眺めるゼンの姿があった。春翔が近づくと、ゼンは難しい表情を僅かだが緩めてくれた。 「隣、いいですか」 「あぁ…だが、それ以上近づかない方がいい。俺はお前に触れられない」 線を引かれたと思い、甘く鳴った胸が再び沈んだが、そこで先程から気になっていた疑問が浮かんだ。 「…あの、触れられないって、」 「あぁ、言ってなかったか。真尋が、そういう術をかけた。そのおかげで、お前の中の妖は眠らされているが、俺がお前に触れれば、それが妖を目覚めさせるキッカケになるそうだ。奴は俺が狙いだからな、その意思を止める為にかけた術だから、自然と俺が鍵になったんだろう」 「…じゃあ、このままゼンさんにさえ触らなければ」 「いや、術は永遠に効くわけじゃない。真尋はあの時、妖を止めようとして一時しのぎでもと術をかけたんだろう」 「…真尋君が…」 春翔は自分の手のひらを見つめ、きゅと握りしめた。 「守ってくれたんですね」 ぽつりと呟いた春翔の横顔を見て、ゼンは思わず伸ばしかけた手を握りしめ、膝の上に置いた。 「…怖いか」 「…怖さはそれほど。実感が湧かないっていうのもありますが…ゼンさんは怖くないですか?」 「怖い?」 「真尋君の術が解けて、突然僕がゼンさんを傷つけるかもしれませんよ?」 「…それでお前が救われるなら、それでもいい」 「…え、」 問いただす間もなくゼンの影が降りかかり、春翔は後退ろうとするも間に合わず、仰向けに倒れ込んでしまった。 視線を上げれば、春翔に覆い被さるようにしてゼンの顔が間近にあり、ドッと胸が震え、声が引っ込んでしまった。 「妖の目的を果たさせてやれば、お前は解放さる。刺されてやるのも一つの手だと思わないか」 「え…」 まっすぐと揺らがない瞳に問われ、春翔はゼンが何をしようとしたのか分かり、目をみはった。そして、焦って首を振る。 「そ、そんな事させません!」 「…お前にとって俺は、ついこの間出会ったばかりの相手だ、責任を感じる必要は何一つない。巻き込んだのは俺だ、お前を救う責任が俺にはある」 「そんな責任いりません!そんな事言うなら教えて下さい、僕達、昔どんな話をしていたんですか?何をして過ごしていましたか?どんな遊びをしましたか?あの川で何があったんですか…僕は、どうして何も覚えてないんですか」 ゼンの戸惑いに揺れる瞳が、だんだんとぼやけてくる。涙が出そうだと、春翔はそれを喉奥に押し込めようとする。 「この家を出てから、毎晩、ゼンさんの、夢を見ます。あの妖みたいに、とても、怖い顔、して、襲われて、」 胸が震えて、声が震えて、顔が熱くなって、耐えきれず泣いている事に気がついた。 「毎朝、怖くて、でも、そんな夢、見る自分が、いつも信じられなくて、だって知ってますよ、僕は、あなたが優しい人と分かって、分かってるんです、なのに何も分からない…」 何も知らない、何も分からない、何も出来ない。そんな自分が情けなくて、胸が溢れて、春翔は顔を手に当て止まらない涙を必死に宥めようとする。しかし、止められない。触れられないゼンの手は力なく春翔の顔の横につき、拳を握った。 「…すまない」 春翔本人も気づかない内に、不安が胸の奥底に渦巻いていたのだろうか、涙はいつまでも止めどなく溢れ、あやす言葉も温もりも持たないゼンは、どうする事も出来ない。こんな時に限って、隼人はレイジに呼ばれて外に出て行ってしまった、ゼンは成す術なくオロオロとしていたのだが、少しすると、春翔の顔から手が離れ、気づけば春翔はそのまま眠ってしまったようだ。 泣いたせいもあるだろうが、妖が体内から現れたり、予想外の出来事の連続で疲れもあったのだろう、不安を口に出したせいかも分からないが、今は規則正しい寝息が聞こえてくる。 しかし、困った。 春翔に触れられないので、ゼンは春翔を抱いて客間に運ぶ事も出来ない。だが、このまま縁側で夜風に晒されていたら、春翔は風邪を引いてしまう。 「……」 どうしたものかと困って春翔を見つめていると、春翔の顔が僅かに歪んだ。また嫌な夢でも見ているのだろうか、その赤い目元に、胸の奥が握りしめられる。 今、触れてしまえば、春翔は意識を乗っ取られても気づかないかもしれない。 自分が思うより、春翔は慕ってくれている、思い出を持たない自分に、縁を感じてくれている。自分が消えたら、春翔は悲しむだろうか、だけどそれも一時だ、春翔の人生に、自分は不必要だ。 「あーあー、悪い男だね~」 のんびりとした声が背後から聞こえ、春翔の目元に触れようとしたゼンの手首が、幾分細い手にしっかりと掴まれた。 「これ以上、(はる)ちゃん泣かせるのは反対だよ」 「…ユキ」 まったく、と溜め息を吐いた顔は困った様子で笑い、ユキはゼンの手を春翔から遠ざけさせた。 「早めに帰ってきて良かったよ、さっきレイジと隼人に会った。人の世の妖達が動き始めてるらしい。真尋も一緒みたい」 「…そうか、」 「うまくやるよ、大丈夫。それに、やっと会えた人をさ、そう簡単に諦めないでよ。残された方が辛いって、ゼンが一番よく分かってるじゃない」 ユキはそう言うと、そっと春翔の体を抱え上げた。 「春ちゃん、凄く悲しむよ。自分のせいだって思ってほしくないじゃん、何も悪くないのにさ。だから、俺達がしっかりしないと」 ね、とおどけたようにウインクをしてみせて、ユキは「寝かせてくるよ」と、春翔を抱え客間に向かった。ゼンはその背中を見送ると、大きく息を吐き、ふと自分の手のひらに目を落とした。 「…そうだな」 ぽつりと零れた言葉は誰に届くわけでもなく、頼りなく風に揺れて消えていった。

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