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花見 1

『花見をしませんか』 そう朝倉さんから電話がかかってきたのは昼休みのことだった。 新卒で採用された新入社員用に資料をコピーしていたので、手元ではカシャンカシャンと紙の束を吐き出す音がしていた。それでも朝倉さんの低く静かな声は耳によく届いた。 「あ、はい」 突然のことに感情を処理できなくて気のない返事になってしまう。 先だって飲みに行って以来のことだった。次があると思っていなかったので応える言葉が宙に浮いてしまう。 けれどそんな素っ気ない私の反応に慣れている朝倉さんは構わず待ち合わせの日時を指定した。 『金曜の夜八時半、いつもの場所で大丈夫ですか』 頭の中で近々のスケジュールを確認する。新年度が始まったばかりではあるけどそこまで残業が続くほどでもなかった。 「大丈夫だと思います」 『もし都合が悪くなれば連絡をください』 「わかりました」 ホチキス留めまで自動でしてくれるコピー機を見張っているだけの私はオフィスの窓に目を向けた。昼休みで照明を落とした室内との対比で春の空はとても眩しい。 朝倉さんは外だろうか。大勢の人たちが思い思いに行き交うざわめきが受話器越しに聞こえる。 『休み時間も仕事ですか』 「大量コピーは人の少ないうちが早く終わるので」 『確かに』 微かに笑った朝倉さんの声に耳障りなエラー音が重なる。液晶の画面には紙詰まりのサインが表示されていた。 レンタルされてから長いこのコピー機は最近よく紙詰まりを起こす。噛み込む部位はいつも決まっていて私は電話機をスピーカーに設定して床に置くと正面のカバーを開けた。 多分その音が届いたのだろう。 『トラブルですか?』 「紙が詰まりました」 『それは厄介ですね』 「ええ」 『邪魔をするのも心苦しいのでそろそろ切りますね』 気配を察した朝倉さんが言う。人気のない事務所内で彼の声が聞こえる。その違和感に何だかむずむずとした。気取られないように、ではまたと電話を切る。 シャツの袖を捲った腕を突っ込んで詰まっていた紙を取り出す。千切れた欠片も摘んで取り除き、開いたコピー機の内部をもう一度確認する。 目で見た限りでは問題はないようなのに一旦エラーが発生すると立て続けに同じトラブルを起こす。多分もう特定の部品が駄目になっているんだろうなと所内の人間はみんな思っている。なのに担当者の腰は重い。 面倒だけれど一度総務の同期に声を掛けるかなと設定をし直して印刷のスタートボタンを押す。順調に吐き出される紙にほっとしながら携帯電話を摘んでスラックスの後ろポケットに仕舞った。 見下ろした指の先と手首に擦れたインクの跡がついていた。手を洗いに行かないとなと思いながら私はもう一度窓の外の白さに目を細めた。

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