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夏休みの憂鬱
「あっつ‥」
エアコンのない自室で不機嫌な声を上げる七海は、机に突っ伏したまま髪をグシャグシャと掻きむしる。いつも夏休みが終わる頃に慌ててやる宿題を今年こそは早々に片付けてやろうと決意したものの、机に散らかった英語の課題は全くと言っていいほど進んでいない。七海の首には一筋の汗が流れていた。
夏はあまり得意ではない。むしろ苦手だ。普段から落ち着きがなく暑苦しいくらい騒がしいくせに、夏の暑さがダメだなんてよく周りから変だと笑われるのだが、七海からしてみたら『それとこれとは全然違う!』。空気が肌にまとわりつくような、息の詰まるような不快感がたまらなく苛つくのだ。
しかしこのイライラの理由は、今はそれだけではない。
夏休み前、修作と最後に会ってからもう3週間になる。あれから一度も連絡はしていない。別に会いたいと思うこともないのだが、時々暑さで意識がぼんやりすると、不意にあの日の事が頭を過る。そしてその度に
『あっ‥‥!――先生っ‥』
そう、思わず声に出してしまった事を七海はとても後悔する。あの時の修作の怪訝な顔が頭に焼きついて離れない。散々おかしな事をしてきて「何も聞かないで」なんて自分勝手すぎるのは分かっている。でもそれしか言えなかった。先生のことは誰にも言わないと決めていたから。
修作と触れ合えば触れ合うほど心の奥にしまっていた記憶が蘇り、七海はその快感と現実に引き戻された時の空虚感との間で苦しめられる。あの時教室を出る時に溢れそうになった涙は、また全てを失ってしまうことへの恐怖心からだったのだろうか。
思えば、自分に良いようにされている修作はこの行為をどう思っているのだろう。嫌ならメールだって無視すればいい、あの教室に来なければいい。‥なのにこうして関係を続けるのは何故?よっぽど自分にされるのが気持ちいいのか、それとも“悩んでいる後輩”を助けているつもりなのか。もしそうなら、やはりただのお人好しだ。修作が何を考えているのか、七海にはちっともわからなかった。
そして今回のことで、修作はきっと自分が誰かの代わりにされているという事に気付いてしまっただろう。次はもうないかもしれない、そう思うと言いようのない虚しさに襲われて、七海の胸の奥がチリッと痛んだ。
夏は嫌いだ。思考能力は落ちるし、どうでもいい事は頭に浮かんでくるし‥いい事なんて何もない。
‥と、スマホが短く振動してメッセージの受信を告げるランプが点滅する。画面を開くと依伊汰からのラインだった。
『穂輔くんもうすぐバイト終わるみたいだから、そのあとみんなで会わない?』
先程まで悩んでいたのが嘘のように、七海の顔からは笑みが溢れる。不思議なもので、仲の良い友達からの誘いは驚くほど暑さを忘れさせてくれた。
慣れた手つきでメッセージに返信すると、七海は立ち上がってぐっと首筋の汗を拭った。
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